2012年3月10日土曜日

伊勢松尾観音の初午祭

 春の訪れを告げる風物詩ともいえる、初午のお祭りが各地で行われているようです。
 三重県では松阪の岡寺の初午祭が有名ですが、伊勢では「日本最古の厄除け観音」と称する松尾観音寺の初午大祭が賑わいます。

 普段は閑静な松尾観音寺も、年1回、この時ばかりは露店が出たり、檀家の方々が厄除けの縁起物を販売したりしています。
 善男善女がわらわらと集ってきて、境内には200~300人近くの人々がいたように見受けられました。

 寺伝によると、松尾観音寺は奈良時代初期の712年、奈良の大仏の建立に深くかかわった僧 行基 が伊勢神宮を参拝した際、この松尾山に龍が住むと伝えられる池があることを知り、そのほとりに自ら観音像を刻んで寺を創建したのが始まりだそうです。

 行基はもちろん実在の人物です。
 奈良時代の僧侶は国家に管理された社会エリート階級であり、学究が活動の中心で、政治に深く参画する僧侶も少なくありません。しかし、行基は国家の統制を嫌い、民衆と共にありたいと独自の教派を形成して活動した、当時としては珍しい僧侶でした。
 教科書に日本最古の地図として「行基図」が載っているように、全国各地を旅して開墾や治水事業なども行ったという伝説があります。行基創建と伝えられる寺院も全国に多数あるようで、その真偽はともかく、ある意味、「空海(弘法大師)伝説」と共通するものがあるのかもしれません。

 行基が実際に伊勢に来たことは史実のようですが、興味深いのは、伊勢参宮の目的が、聖武天皇の大仏建立の発願と深くかかわっているらしいことです。

 大仏建立の成就を祈るために、天皇の命により行基は伊勢神宮に仏舎利を奉納に訪れます。
 そして、神前で祈りをささげている途中、行基は天照大神(伊勢神宮の祭神)から神託を受けます。
 その内容は実に驚くべきものでした。
 天照大神自身が、日本に大仏が建立されることへの満悦の意です。日本土着の最高神であり、異国の宗教である仏教とは本来は相いれないはずのアマテラスが、天皇による大仏建立を深く喜んでいるというのです。
 さらに、「仏舎利は神宮から遠く離れた飯高(いいたか)の地(現在の松阪市飯南町~多気郡多気町あたり)に埋蔵するように」との具体的な内容の神託も受けます。
 行基はさっそく実行して神意に従ったのでした。

 歴史家の高野澄氏は、飯高地域が奈良時代当時、日本で数少ない水銀の産地であったことに注目します。
 金銅仏である大仏に金メッキを施すためには、金と同時に、メッキに使う大量の水銀が必要になります。当時、水銀は貴重品であり、戦略物資でもありました。
 伊勢神宮が支配していた飯高の水銀の利権を、朝廷が大仏建立に優先的に利用することを行基という高僧が受けた神託という形で正当化しようとした政治的な背景があったと推理するのです。

 このあたり、まだまだはんわしにはわからないことも多いのですが、松尾観音のような何気ない小さな寺にも、おそろしく古い歴史が積み重なっているというのが伊勢の奥深さのような気がします。

■龍池山 松尾観音寺 公式ホームページ  http://matsuokannon.jugem.jp/

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