2012年6月10日日曜日

本当に「経済成長」をあきらめることはできるのか

わしは現在、四日市に通勤しているわけですが、近鉄電車に乗ると、津から桑名あたりにかけての駅名には、ずいぶんと美しい地名が多いことに改めて気づきます。

わしが乗り降りしているのは「塩浜」という駅ですが、ここは文字通り、塩田でもあったのかもしれないと想像できます。(駅の近くには、伊勢神宮の荘園であったことを示す御園(みその)という地名が残っており、御園神社という神社もあります。かつては神宮に塩を納めていたのでしょうか。)

塩浜駅から北(名古屋)方面には、海山道、霞ヶ浦、(川越)富洲原、などの駅名が並びます。反対に南(津)方面には、長太ノ浦、若松、鼓ヶ浦、磯山、豊津(上野)などの名前の駅が続きます。
このあたりの伊勢湾沿岸が、どれほどのどかで美しい海岸風景だったか、そして、いかに豊かな漁場であったかに思いが馳せられます。

しかし、そういった美しい地名をイメージして現地に降り立つと、この塩浜駅のあたり、特にコンビナートに姿を変えたところは全くその雰囲気は失われています。



近代的な工場群が立ち並ぶ光景は近代的で、これはこれで美しい(特に夜景は幻想的でさえある)ものですが、あたり一帯が白砂青松の風景だったころに比べて、人々がやすらぎとか懐かしさを覚える風景ではないような気もします。
もっともこれはわしの個人的感想で、ここで生まれ育った人々にはかけがえのない原風景なのかもしれませんが。

最近、そんな印象を持ちながら「四日市学」の本を読んでいます。
今年(平成24年)は四日市公害裁判の津地裁四日市支部が原告(患者)側の勝訴の判決を下した日から40年目の記念すべき年に当たります。
日本の四大公害と言われた四日市ぜんそくについては、以前このブログでも触れたことがありましたが、まさかその時は自分が四日市に勤務することになるなどとは夢にも思っていなかったので、心のどこかにやや距離を置いた自覚があることは否めませんでした。
しかし、今、風向きによってときどき化学薬品のような異臭が漂ってくる塩浜にいると、昭和40年代の最悪期は脱したといっても、かつての白砂青松や豊かな漁場にはもう決して戻ることができない現実が目の当たりになります。

かつての日本人と日本社会は間違いなく経済的な豊かさを第一番に求めていました。
今では高度成長を追った時代が遠い昔のことのように思えますが、「成長しない経済」は2012年の日本の現実となり、そうしてそのような「成長との決別」も理論的には可能だと理解していても、同時に何となく、成長しない社会を窮屈な、暗いものと感じる我々自身がいます。

そんな目で読むと、40年前以上の公害問題は驚くほど示唆に富み、今でも重たい教訓に思えるのです。

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