2012年11月16日金曜日

三重中京大が示す地方大学の危機

 明治神宮野球大会に、愛知・東海・北陸三連盟代表として出場していた三重中京大学が、11月12日の準々決勝で、東京六大学連盟代表の法政大学に0対1で惜敗したことが各紙に報じられていました。
 三重中京大学は三重県内でもその存在を知らない人が実は少なからずいるという、松阪市にある小さな大学でした。皮肉にも、三重中京大学が有名になったのは神宮での活躍と同時に、同校が今年度、つまり平成24年度の卒業生をもって閉校するという、地方における深刻な少子化や、近年の大学乱立による新入生獲得競争の激化といった「地方大学経営難の時代」を体現していた存在だったという点です。




 三重中京大学は、昭和57年に「松阪大学」という名前で開学しました。
 これはわしが高校2年生くらいのことで、その当時、三重県内にはいわゆる社会科学系の学部を有する大学がなく、法学部とか経済学部、経営学部に進学を希望していた高校生はすべて県外の大学に行かざるを得ない状況だったため、大いに歓迎されていた記憶があります。

 バブル期で大学生の就職は明るいという見通しもあったのか、新設校で人気が高かったためか、わしの同級生も何人かが松阪大学に進みました。彼らは自分たちの学校を「阪大」と呼んでいました。ギャグかもしれませんが。

 さて平成24年5月現在、三重県内には下の表のように7つの4年制大学があります。

作成:はんわし

これを見ると、国立の三重大学のガリバーぶりが目立ちます。医学部を有する総合大学であり、教員数、大学院生数も桁違いです。
 私大では戦前の官立「神宮皇學館大学」の系譜を受け継ぐ皇學館大学が健闘していますが、学生数は三重大の半分以下。しかも、この皇學館大も平成10年に名張市に開学した社会福祉学部が、やはり学生確保が難しいなどの理由によって設立10年ほどで廃止に至るなど、三重県という地方部での大学経営の厳しさに直面した経験を持っています。

 田中真紀子文相による大学不認可騒動も、野田内閣総辞職によってうたかたのように消えてしまうわけですが、この問題に関しては、近年のあまりにも安易な大学新設に危機感を持ち、田中文相の暴走も理由なしとしない有識者が(意外にも)多かったことが記憶されます。

 資源のない日本にとって人材こそがすべての出発点であることは言うまでもありませんが、地方の疲弊と、それにともなう大学経営の行き詰まりは、地方の若者たちの学ぶ機会を奪ってしまいます。これが若者の流出と、地場の企業の経営停滞につながり、ひいては都市部との格差を固定化してしまう悪循環につながるので問題は深刻なのです。

 非常に難しい問題と思いますが、地方大学の経営を強化するいい方法はないものでしょうか。

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