2012年11月30日金曜日

開運海山道神社をお参りしてきた

 近鉄名古屋線を四日市駅から南下すると、左手の身近に四日市コンビナートの煙突やプラントが迫ってくるあたりに「海山道」(みやまど)という小さな駅があります。
 この駅にほとんど隣接して建っているのが、地元で「みやまどさん」と呼ばれて親しまれている海山道神社です。

 わしの現在の勤務地からはぶらぶら歩いて15分ほど。
 この数日は、いよいよ寒さが本格化してきた感がありましたが、今日はわりに暖かかったので、昼休みに散歩がてらお参りしてきました。

 海山道稲荷という名称をよく聞くので何となく海山道神社はお稲荷さんだと思っていたのですが、境内の看板によると「海山道神社は南側の洲崎浜宮神明神社と、北側の開運稲荷神社、そして境内小社の総称」だとのこと。
 確かにこの2つの神社を中心に、大天神菅原社とか、報国社、招福社、安全社、合格社、などの30以上の小さな祠が境内に散在しており、神社エキスポのパビリオン状態ともいうべきディープな雰囲気を醸し出しています。



 わしなど伊勢神宮の太い白木の鳥居(神明鳥居)を見慣れているので、海山道神社の、申し訳ないのだけれど紅ショウガみたいなどぎつい朱色の、しかも極細の鳥居が「ちゃっちく」思えるのですが、たしかに鳥居の数はものすごく多いので、量的に圧倒されます。
 このような不思議な神社をお参りしたのは、わしにとって生まれて初めてです。


 失格しない鳥居なる、わけのわからないオブジェも立っていました。
 そもそも「四角しない」などという日本語は文法的にありえないので、これはダジャレにもなっていないと思うのですが、そんなことでは信心が足りないのでしょう。
 受験を控えている皆さんはぜひこの地を訪れることをお勧めします。


 四日市市は日本を代表する工業都市だけあって、住宅と工場が混在している近隣工業地域が延々とどこまでも拡がっています。このような街並みは、三重県の他の都市、少なくともわしが住む伊勢市、鳥羽市ではまったく見られない光景です。

 それと同時に、この海山道界隈や、わしの勤務している塩浜町界隈は、工業都市、コンビナート地帯になる以前の、漁村だったころの面影が色濃く残っています。
 大型トラックやローリーで渋滞する県道(塩浜街道)の一本裏道は、細い路地が入り組み、大きな門構えと蔵や納屋を持つ驚くほど立派な旧家やお寺、そして以前の街道だったという古い家並みをところどころに見かけます。


 海山道神社もわずかながら鎮守の森を従えており、付近はやはり住宅と工場が入り混じる地域ですが、視線を上げるとコンビナートの巨大な煙突が林立しているのが目に入ってきます。
 このような発展(破壊?)を100年前にここにいた住人たちのだれが想像できたでしょうか。
 そして、100年後、この地域はどうなっているのでしょうか。
 産業構造が変わり、コンビナートは姿を消しているのか、さらに進化した産業の拠点としてまったく新しい姿になっているのか、はたまた、撤去も解体もままならず朽ち果てて残骸を晒しているのか?
 
 それでも、やはり神様はここにいて、海山道神社はこのような姿で続いているのでしょう。

0 件のコメント: