2012年12月13日木曜日

足軽の誕生 室町時代の光と影


なぜだか今年のNHK大河ドラマ「平清盛」は視聴率が振るわなかったようです。これは、このドラマの舞台である平安時代末期が、2012年のいま現在の日本の状況と酷似しており、複雑に入り組んだストーリーやどうしようもない閉塞感が、ある意味で視聴者の拒否反応にあっているのではないかと思うこともあります。   

 古代以来、飛鳥時代、奈良時代と続いてきた天皇制は、平安時代初期には強力な天皇親政であるものの、その後に有力公家が実権を持つ摂関政治となり、平安時代末期には院政、すなわち退位した元天皇が裏から現役の天皇を操る仕組みへと変化していきます。
 主導権を巡って天皇と院の対立が恒常化し、政治権力は混乱し、利害関係は錯綜し、そこに武士が介入する余地を生み出しました。

 この本 足軽の誕生 室町時代の光と影 (早島大祐著 朝日新聞出版)が取り上げているのは、その平安時代から二百年が経過した15世紀の室町時代の話です。

 早島さんによれば、室町時代とは、鎌倉幕府(武家政権)が崩壊して足利尊氏が京都に室町幕府を建てたことによって、武家権力と天皇・公家権力が、実に3百年ぶりに京都に同居することとなった、いわば京都に政治的な核が一元化された時代でした。
 それと同時に、政治・経済は、京の都にまで進出してきた武家によって主導されるという特徴も有していました。


 室町幕府は全国各地に領国を持つ守護大名による連立政権の色彩が強く、初期のうちは足利将軍の権力が強大だったものの、次第に弱体化して統制が取れなくなり、幕政は迷走していきます。
 また、このころまで荘園の領主とは、そのほとんどが公家や寺社でした。しかし、荘園の百姓たちは政治力が衰えてきた既存の領主に代わって、武力や経済力をバックに現実の紛争を解決してくれる(より実利的に自分たちを庇護してくれる)武家=守護大名との関係を積極的に結ぼうとするようになります。
 守護大名は領国と京都の間を行き来する生活であり、地方の荘園の領民たちも守護大名を通じて京都と経済的なつながりを持つようになることが、その後の日本社会に大きな変化をもたらすのです。
 
 その具体例が「足軽」の誕生です。
 ある守護大名が京都での政争に敗れて家を取り潰されると、たくさんの家来が職を失い牢人(浪人)となります。
 彼らは旧領地を追放されるので、領主の守護大名と京都やその近辺の荘園との間に成立していたツテを頼って、とりあえず京都に逃げ込んでくるパターンが多くなります。
 しかしいくら大都市の京都でも新参者に十分な職はなく、牢人たちの多くは洛中や郊外の荘園で集団でたむろし、博打に明け暮れる無頼の徒と化していきます。

 15世紀の京都は一揆(要するに貧民による暴動・略奪)が頻発しますが、牢人たちのあるものは一揆を扇動する側に回り、あるものは金持ちに雇われて一揆を鎮圧する側に回ります。
 無頼の徒であった牢人たちは、ひたとび大規模な戦乱がおこると「足軽」という傭兵として参戦。武将による一騎打ちから集団戦闘へと戦闘法が変化してきた時代背景もあって、大名にとってコストが安く、使い捨てできる足軽は、戦には欠かせない一大勢力になっていきます。

 やがて応仁の乱が勃発。京都は戦乱で破壊されて大きく姿を変え、公家たちは地方に下って京都の文化が全国に伝播し、守護大名は疲弊して戦国大名に取って代わられるようになります。織田信長や豊臣秀吉といった英傑たちの登場はもう間もなくです。 

 「平清盛」のドラマの舞台である平安時代末期とか、この本の舞台である室町時代中期は、それぞれ源平の内戦、戦国時代へのプロローグとも言える守護大名の覇権争いの時代で、結果的に大きな時代変化の胎動の時期でした。
 先行きが不透明な時代ほど、過去を振り返り歴史から学ぶことが重要です。
 日本は、産業構造や社会構造の変化、大量の失業の発生と混乱、その後の社会的なイノベーションと収束、そして更なる発展、という歴史を繰り返してきました。
 学校で学ぶ日本史は、往々にして「政治史」が中心で、経済の変化や社会秩序の変化などといった幅広い生活史の側面からの説明はほとんど行われません。
 しかし、経済の変化は大きく社会を変えるのです。そのことを知る上でも有益な一冊でした。

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