2013年9月30日月曜日

【読感】鉄道忌避伝説の謎


 もう何十年も前のこと。
 国鉄関西本線の伊賀上野駅に降り立った時の印象を、今でもわしはまざまざと覚えています。
 駅前には郷土の偉人である俳聖・芭蕉の像が建つのみで、商店もなく、それどころか民家もあまりない不必要にだだっ広い広場があるだけ。
 はるか遠くの南の方角に伊賀上野城が望め、市の中心地はあのあたりにあって、駅は市街地から北へ数キロも離れていることを知った時、子供のころ確かに学校で教わった気がする「鉄道敷設に反対した結果、町からうんと離れたところに鉄道が通った」という話はこれのことかあ、と納得したのでした。

 ちなみに、伊賀上野には私鉄(近鉄)も通っていますが、これまた市街地のはるか南を通っており、つまりは国鉄も近鉄も両方とも駅がものすごく離れており、せっかく奈良や大阪と直通できる地勢でありながらその恩恵に浴せていません。(国鉄伊賀上野駅と市街地、さらに近鉄伊賀神戸駅を結ぶため、大正になってわざわざ電車が敷設されたほどです(現在の伊賀鉄道)。)

 しかし、この本、鉄道忌避伝説の謎 ~汽車が来た町、来なかった町~ 青木栄一著(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)によれば、蒸気機関車が吐く煤煙や火の粉で農作物が被害を受けるとか、鉄道にお客が取られて街道や宿場が寂れるとか言って、鉄道敷設予定地の住民がこぞって反対したという、いわゆる「鉄道忌避運動」は、そのほとんどに物的な史料がなく、伝説、虚構と考えられるとのことです。


 日本各地で鉄道の建設が始まっていた明治のころは、蒸気機関車の馬力が小さく、25パーミル(1000分の25の傾斜)が牽引の限界でした。また、橋梁やトンネルの建設技術は未熟であり、路線はできる限り勾配が少なく、直線で、橋やトンネルは少なければ少ないほど、短ければ短いほど良いのでした。
 伊賀上野駅は、明治30年に名古屋と大阪を結ぶ私鉄・関西鉄道の駅として建設されましたが、この当時も事情は同じで、木津川の支川(柘植川)の右岸に沿って平坦なルートで敷設されていたために、対岸(左岸)の、しかも河岸段丘の勾配の上部に広がっている伊賀上野の市街地にまで汽車を乗り入れることは技術的に不可能だったのです。

 伊賀に鉄道忌避運動があったかどうか、わしは知らないのですが、一般的にこのような鉄道忌避の「伝説」は日本各地に残っています。
 有名な例として、伊賀上野同様、既存の市街地を迂回して鉄道(東海道本線)が建設された愛知県岡崎の例、中野から立川まで武蔵野台地の上を直線状に建設された中央本線の例などいくつかが挙げられており、それらの鉄道忌避については、戦前から高度成長期までの郷土史や学校の副読本には歴史的事実として取り上げられているものの、鉄道建設当時の公文書、関係者の日記や手紙、当時の新聞や雑誌などの史料を調べても、そのような事実がほとんど確認できないことが証明されていきます。
 そして、実際に鉄道反対運動が起こった例は、線路の土堤が河川と並行して築かれるようなケースで、洪水の時にあふれた水が土堤に邪魔されて排水できない(田畑が水に長期間浸かってしまう)ため、農民が中心になって起こったものであることも示されます。
 つまり、明治5年に初めて鉄道が走ってから20年近くたって、いかに無学な田舎の民百姓でも鉄道の利便性は十分に理解しており、煙だ火の粉だ騒音だなどと馬鹿げたことで反対などしていない~田畑を守るためのまことに合理的な理由による反対であった~のです。
 

 しかも本書では、驚くべきことに、明治30年代は各地で鉄道敷設ブームが起こっており、敷設が計画された沿線の市、町、村では激烈な駅の誘致合戦、陳情合戦が繰り広げられてたことも明らかにされます。
 このあたり、企業誘致とか、オリンピックとか国体とか、地域振興になりそうなことには何でも飛びつく熱しやすい日本の国民性が図らずもあらわれているようでほほえましくも思います。

 ところで、この本の中で著者の青木さんが、実在した街道沿線の宿場町による鉄道忌避運動と認める数少ない事例の一つは、三重県で明治26年に開通した国鉄参宮線の建設に先立って、当時の松坂町に在住する加藤伊蔵ほか508名が連名で提出した内務大臣あての建設反対請願書です。
 これ、請願書の内容も、これに対する内務省、鉄道省の対応もなかなか興味深いものなので、詳しくはぜひ本書をお読みください。

 もう一つ、三重県には「東海道本線が(旧東海道五十三次でない)岐阜を通って建設されたのは、桑名が朝敵となって官軍に刃向ったため干されたのだ」という非常に有名な伝説があるのですが、これも青木説では当然ながら、木曽三川の架橋が技術的・資金的に困難であったためと解釈されるであろうことは容易に理解できます。
 ただ、これはこれで寂しい気もします。
 桑名は時代の趨勢を見誤って時運がなかったから東海道線はあっちへ行ってしまったに過ぎないので、何も桑名の町勢が劣っていたためではない、と自分に言い聞かせることができなくなってしまうではないですか。!

はんわし的評価 ★★☆(おすすめ)

(補足)
 明治期の鉄道建設には、この忌避伝説のようなマクロ的な「ルート」の話とともに、具体的にどこに施設を作るかというミクロ的な「場所選定」も様々な問題を起こしていたはずです。駅や操車場こそ、騒音や振動、煙などの問題や、機関車用の水利確保などがついて回り、わしが聞いた話では、ある種の社会的弱者の居住地域が選定されることも多かったとのことです。この点の考察もあればよかったと思いました。

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