2013年11月10日日曜日

鳥羽・丸山庫蔵寺の「秘仏公開」に行ってみた

 鳥羽市河内町の人里はなれた超山奥にある丸山庫蔵寺(まるやまこぞうじ)で、創建始まって以来という秘仏の特別公開が行われると聞いたので、行ってみました。


 丸山庫蔵寺は、正式には丸興山庫蔵寺(がんこうざんこぞうじ)といいます。
 天長2年(825年)に弘法大師が、伊勢志摩の霊峰である朝熊山・金剛証寺(あさまやま・こんごうしょうじ)の奥の院として虚空蔵菩薩を安置し、国土鎮護のために開山したとのいわれがある、鳥羽市はもちろん三重県下でも屈指の古刹です。

 その後、鎌倉時代末期に雲海上人なる人物によって中興開山され、戦国時代である天正年間には熊野灘一帯の水軍を勢力下に置いた「海賊大名」である九鬼嘉隆が、鳥羽城築城の地鎮と安全の祈願を命じたこともあるそうです。
 現在の本堂は室町時代末期にあたる永禄4年(1561年)に建立されたもので、室町時代の建築様式を今に伝えており、大正9年に国指定の重要文化財となっています。


 奥の院という位置づけからでしょうか、冒頭に「超山奥」と書いたのですが、実際に一番近い人家から3km以上離れており、車で10分あまり走った山の中にお寺はあります。
 特定の檀家があって墓地を管理しているという世間によくあるタイプのお寺ではなく、本堂は護摩を焚いて祈願を行う「祈祷所」そのものなので意外に小さな建物です。
 交通機関がクルマに代わり、今はほとんど歩く人もないであろう旧参道(完全な山道)からは立派な石段が続いており、そこを上りきった場所に山門、そして本堂があります。



 天井や欄間には、さすがに相当痛んではいますが、極色彩で花や鳳凰、天女などの絵が描かれています。金ぱくも施されており、建立当時はまばゆいばかりの美しさだったことでしょう。


 屋根は杮(こけら)葺きです。この写真は、本堂と同じく今回特別公開された鎮守堂(慶長10年建立。国指定文化財)から、見下ろす形で撮ったものです。
 白飛びしていますが、木々の間からは遠くに志摩地方の山並みが連なっているのが見渡せます。


 実は、本堂にお祀りされているはずの本尊「虚空蔵菩薩」の像がどれなのか、わしにはよくわかりませんでした。護摩壇の前に厨子がありましたが、そこにあった像がそうだったのでしょうか?(畏れ多いため写真はありません。)
 壁面には不動明王の掛け軸などがあり、それを見ながら裏手に回ると、このような金属板が付けられていました。平成5年から6年にかけて行われた本堂の修理の記録(修理費の明細)です。 


 これによると、修理は文化庁が指導し、財団法人文化財建造物保存技術協会が設計施工監理を担当して実施され、総事業費は121,914,987円とあります。何と1億2千万円もかかったわけです。大部分の約1億円は国の補助金で、三重県や鳥羽市も数百万円を負担していますが、所有者である宗教法人庫蔵寺も約500万円を負担しています。
 所有者なので当然とは言えるのでしょうが、それにしても、このような山深い中にあり檀家もいないお寺(文化財)の維持管理の難しさは想像に難くありません。

 今回の特別公開では、ご住職はもちろん、多くのスタッフの方が従事しておられました。おそらく地元住民や信者による奉賛会などボランティアではないかと思われます。
 ぜんざいのふるまいや、庫蔵寺の歴史の講演、ママさんコーラス、お茶会などいろいろなイベントもあったようです。
 その一つ。これは庫蔵寺に伝わっているという、うなぎの絵の奉納をするコーナーです。


 あわび貝の貝殻の裏面にうなぎの絵を描いて奉納すると良い事が続くのだそうです。見にくいと思いますが、写真真ん中にあるひらがなの「つ」みたいなのが、お手本のうなぎの絵(ものすごくリアルでした)。それを悪戦苦闘しながら球面で、かつでこぼこしているあわびの貝殻に筆で書いていきます。描き終えたあわびがヒモにたくさんぶら下げられていました。
 スタッフのおじさんに、これは何のご利益があるのですかと聞いたら。「そりゃ、あんた、夫婦和合やさ、あっはっは」と一笑に付されてしまいました。(志納金500円)

 鳥羽近辺に住んでいても、なかなか丸山庫蔵寺に来る機会はないので ~わしも25年ぶりくらいになる~、今回は大変貴重な体験をさせていただきました。
 最初は雨模様だった天気も、見学中に晴れ間がのぞいて陽がさしてくるなど、広大無辺なご仏恩を感じました。関係者の皆様に感謝します。

 

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