2014年3月15日土曜日

鳥羽勤労者百貨店が閉店へ

 一部の新聞では三重県内版ですでに報道されていますが、 鳥羽市の下町と言っていい中心市街地にあるスーパーマーケット 鳥羽勤労者百貨店が、3月いっぱいで閉店することになりました。
 決して大きな店ではありませんが、地域密着型の総合スーパーで、食品から日用雑貨、電化製品、化粧品、衣類、金物など幅広い品ぞろえをしており、多くの消費者から重宝がられていました。しかし鳥羽市の中心市街地は過疎化と高齢化が著しく進んでおり、近年の売り上げは最盛期の5分の1にまで落ち込んでいたとのことで、これ以上の事業継続は困難と判断したものです。


 実はこのお店、経営者がわしの同級生で、子どもの時から遊びに行ったり、買い物をしていた思い出の店です。

 その当時は木造ですごく狭い店でしたが、20年ほど前に鉄骨の近代的な建物にリニューアルし、駐車場も完備、さらに最近ではお客の要望に応えて野菜などの生鮮食品も扱うようになっていただけに、経営者としてはやむにやまれぬ苦渋の決断を下したものと思います。

 問題なのは、これでさらに鳥羽市の高齢者の買い物難民化が進んでしまうことです。
 企業経営者が最善の経営努力は尽くしても継続が困難なわけですので、これはすぐには対策もない本当に根の深い問題です。
 このような時によく、行政が経営を支援せよ、というような声が出てくることがあるのですが、高齢化や人口減少という根本問題が解決しないのでは、砂に水を撒くようなものでしかありません。
 そうではなく、市は消費者が買い物をする権利(とまでは行かないにしても、買い物をする「機会」)をどう確保していくのか、商工会議所や商業者も交えて一定の方針なりビジョンなりを立て、その実現のために具体的な基盤整備を行っていくべきだと思います。
 これは、商業振興策ともいうべき狭い政策に閉じ込めるのではなく、まちづくりや、地域内交通のあり方、さらには店を継ぎたい人、あらたに店を始めたい人の確保や育成といった、総合的な行政課題として取り組む必要があります。
 また、これは自戒も込めてですが、住民(消費者)のほうも地域のお店を守るために、なるべく買い物は地元でするという心がけは必要ではないでしょうか。(その意味でも、地域の商業者の立場や現状を、行政や商工会議所が正しく地域住民に伝えることは大切です。)

 よく、工場が地域から無くなってしまうことを「産業の空洞化」などと言いますが、地域から買い物ができる場所、つまり、さまざまな人が集まってきて、コミュニケーションをする場所が失われてしまうというのは、地域そのものの大きなマイナス、空洞化です。
 日本では、特に鳥羽のような地方都市では、近所づきあいのようなソーシャルキャピタルが豊富なぶん、消費機会の空洞化が深刻な問題だと気づかないし、気づいても、地域の知恵や外部の知恵を持ち寄って論理的に解決していく取り組みが苦手です。

 しかし、現代日本のフェースが成長社会から成熟社会に移行している以上、地域経営は「拡大」ではなく「維持」がポイントになっているはずです。
 地域間競争という言葉も「拡大」や「新規性」「差別化」などをキーワードに語られることが多いのですが、これももはやそうではなく、「維持」「持続」「標準化」こそが、住民が安心して暮らせるポイントなのだと思います。そういう着眼点でものを見る癖を付けたいと考えています。

 ともあれ、鳥羽勤労者百貨店には惜別の念しかありません。この日も別れを惜しむ多くの買い物客でにぎわっていました。あと2週間、わしには何ができるでしょうか?

1 件のコメント:

三碧星 さんのコメント...

ここ、閉店されたのですか。仕事で一度立ち寄ったことがあります。
「こんな民家の迫る奥にお店が」と感心したことを覚えています。

 勤労百貨店ということで、個人経営の小さな商店よりも特殊な費用がかさんだのかもしれません。親会社の一括大量購入で安価な商品を、というのもある意味ノルマみたいなものですし。

 昔のように学校へ教材や給食、教科書の納入というのもいつまでも続けられるものではないですし、役所に寄り添うように存在した個人商店も、私の住む地域では商売換えしているところが多々見られます。

 地域に密着した商店だけでなく、マーケットの需要が変わると一昼夜で淘汰消滅する商業が、戦後からわずか半世紀の現代でも数多くありました。私が興味を抱く鉄道もまた、その有り様を大きく変え、往年の活気が復活する要素が見えないでいます。

 慣れ親しんだ街角の光景が変わっていくのは寂しいものですが、それは私たち自身が現状に合わせて身を変え、「生きている」というドラマなのでしょうね。