2014年5月13日火曜日

【読感】司馬遼太郎が描かなかった幕末

 言うまでもなく、小説とかドラマは「フィクション」です。
 事実を題材にしているとはいえ、描かれている人物やストーリーは作者の想像です。
 想像によって生み出された人物が、時間や空間を超えて生き生きと活躍し、その発する言葉が生身の人間の魂を揺さぶり、人生観すらも変えてしまう力を持つ。だからこそ創作は素晴らしいし、芸術の域にまで達した物語は名作として後世にまで読み継がれ、語り継がれていくことになります。
 しかし、創作はその本来的なパワーゆえに、それがまるで事実であるかのような印象を受け手に与えてしまうことがあります。特に留意すべきなのは、それが歴史小説や歴史ドラマである場合で、物語は史実に則って創作されているとはいえ、それは歴史的な事実ではまったくないということです。

 この本 司馬遼太郎が描かなかった幕末 一坂太郎著 集英社新書 は、国民的作家である司馬遼太郎の幕末歴史小説を例にとり、司馬の博識と筆力には十分な敬意を払いつつも、坂本竜馬、高杉晋作といった実在の人物が、いかにすさまじく彼によって「創作」され、史実とまったく異なる人物像が読者に広まっているかについて、最新の歴史学の研究結果を用いて解説している内容です。



 このように史実(事実)で物語を検証するのは、ある意味で「夢がない」行為とも言えましょう。しかし、わしも高知や鹿児島に行った時、いわゆる幕末の志士たちが神格化され、あるいは戯画化されて観光資源となり、あらゆる意味で美談が氾濫しているのを目の当たりにした際に感じた違和感は強烈でした。
 ましてや政治家のような為政者が、フィクションとしての志士を真に受けて英雄視し、物語と現実を混同しているかのごとく夢想しているのを見ると、現代日本は「反知性主義」的とも言える危険な方向に落ち込んでいるとしか思えません。そういった誤解を啓蒙するためには有益な一冊です。

 江戸時代は中央集権が明治以降の近代国家ほど強力ではなかったにせよ、身分制のため社会序列は安定(固定化)しており、官僚主義や文書主義といった合理主義が確立していました。行政組織や民衆の自治組織は強固であり、教養の高い民百姓が社会を支えていました。(それゆえに、幕府から政府に政体が変わっても、日本では他の後進国のように社会の断絶や内戦といった致命的な混乱はほとんど生じませんでした)。

 そのような強固な社会基盤は、良くも悪くも坂本や高杉、吉田松陰といった一個人の活躍や情熱で変わるものではありません。もちろん、何事につけてもまずは個人の情熱があり、がむしゃらに現状に戦いを挑む人が登場することによって閉塞した局面が大きく展開することは、わしも少なからず経験があります。
 しかし、社会は英雄によるだけでは変わりません。そのことは本質的に近世の18世紀も、現在の21世紀も同じです。

 一坂さんは、たとえば吉田松陰に関する論評が、同時代の幕末と、明治、昭和の戦時中、そして戦後と時を経て変わっていく興味深い指摘をします。吉田松陰は過激な攘夷論(排外主義)を唱え、テロ殺人も辞さずと公言していた危険人物でした。そのファナティックさゆえに長州藩からも幕府からも警戒されており、同時代の人物評には松下村塾を主宰した「教育者」という評価はまったく残っていないそうです。塾生が明治の元勲として出世すると、それと比例して「志士を育てた教育者」という評価が生まれ始め、戦後、司馬の小説でそのイメージは決定づけられます。

 高杉晋作は攘夷の実行によって孤立した長州を防衛するため、士民の別なく有志を兵卒に採用した奇兵隊を設立します。しかし、高杉自身は家格の高い重臣の一人息子であり、彼自身の民百姓に対する不信感は抜きがたいものがありました。これは史料によって明らかです。
 豪胆さを示す有名なエピソードである、上洛の際に徳川将軍の行列を「野次った」という話をはじめ、高杉の人柄を示すような印象的な出来事も、多くは史実になく、後世の創作、さらに司馬の創造力のたまものだと一坂さんは言います。現実の高杉は、長州藩の存続を願い、両親に一軒家をプレゼントして一緒に住むことを夢見ているような親孝行で保守的な人物だったのです。

 最も興味深いのは、坂本龍馬に関する論旨です。妻おりょうとの日本初の新婚旅行なるものは薩摩藩への逃避行が後世に脚色されたもの、有名な「船中八策」はなぜか原本が現存しておらず、龍馬の発案であったかは疑わしい面がある、亀山社中は「日本初の会社」などではなく薩摩藩お抱えの組織であった、いろは丸事件で有名な「万国公法」には船の海上衝突に関する規定などそもそもない、などなどまさに目からウロコのオンパレードです。
 これらの中には、司馬の死後に明らかになった史実もあるものの、多くは司馬自身も調査で知っていたものの、自分の創作イメージにそぐわないので無視されたり脚色されたりしたものも多いというのが一坂さんの推測です。

 21世紀の今、閉塞した社会を変えるために「英雄」が待望されています。司馬の歴史小説も、多くは高度経済成長期に書かれてベストセラーとなったもので、会社と家庭の板挟みになるモーレツサラリーマンが幕末の志士に自己投影できることが魅力でした。
 しかし、このような考え方は、一人の英雄さえ世に出れば社会は変わる、という英雄探訪論に繋がっていきます。社会から合理性が失われ、自分で考えない市民が増殖されていきます。
 一坂さんはこの本の中で、何度も司馬作品の魅力を認めています。しかし、それは創作であって史実ではない以上、英雄待望論に陥ってはならないという戒めを読者は持つべきなのでしょう。

はんわし的評価(★★☆) おすすめ。
 

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