2014年6月21日土曜日

日本の「英知」の意味不明

 WEDGEという月刊誌を時々見ているのですが、今年5月号の創刊25周年記念特集 「25年後を見据えた提言」英知25人が示す「日本の針路」なる記事を読んだのはつい先日のことです。
 この25人を編集部がどういう方針で選んだのか、また、そもそもこれらの識者が論じる25の論点は ~現代日本にはまさしく無数の論点がある中で~ どのように決められたのか、などは不明ですが、とにかく星野リゾート代表である星野佳路氏をはじめ、村上太一氏(リブセンス社長)、中西輝政氏(京都大学名誉教授)、駒崎弘樹氏(NPO法人「フローレンス」代表)など錚々たる論客が並んでおり、それなりに読みごたえがある内容ではありました。
 しかし、論点の中の一つである「地方自治」に関して、三重県知事が「英知」の一人として論じる 地方分権の議論は発想は逆 という記事はほとんど意味不明です。

 彼の主張はこうです。
1.三重県では将来人口が減っていくが、かたや大都市では人口集中が続き、待機児童、待機老人の問題も深刻化する。地方が人口の自然減と社会減の対策に取り組めば、地方の活性化と共に都市への過密を防げる。
2.社会減対策の一つに大学の充実があるが、三重県の国立大学に学部の新設を働きかけようとしても、権限も財源も県にはない。
3.この点は教育だけに限らない。自分が官僚だった頃は、法制度なども整い、地方自身で様々なことを実現できるものと思っていた。現実には(地方自治体には)権限、財源、人間のいずれかが欠け、実行できないことが多い。
4.地方自治は、住民にできないことを、市町村→都道府県→国へと委譲していく流れが基本。現在の地方分権の議論は、国から地方にいかに権限を与えるかと発想が逆になっている。
 そして、必要なのは「国の正しい制度設計」と「自治体の機能強化」だと主張します。

 1はまあ確かにそうでしょうが、2と3は単なる無知です。4は、過去からの多様で深い地方分権の議論の積み重ねがある中で、「発想が逆」だという「議論」とは、具体的に誰のどんな議論を指すのでしょうか? 
 
 そもそもWEDGEの他の「英知」たちは見開き2ページが与えられているのに三重県知事は1ぺーじしかなく、しかも紙面の半分は顔写真なので、実質1000文字ちょっとでこの重要な論点をコメントしなくてはいけません。その不利は認めるとしても、一般的な地方分権の議論がこの程度のレベルだと読者に誤解されたら大変な社会的損失です。

 問題なのはなぜ、このような(表現は悪いですが)地方自治の実態も知らなかった元官僚でも知事が務まるのかと言うことです。
 これは、もちろん彼の潜在的な能力の高さは一因としても、制度的に地方自治体は(極端な話)誰が首長になってもそれなりに務まる仕組みになっているからです。

 その一つは、彼の主張とは逆に地方自治体、特に県レベルの組織は現実に職能集団としての人材力があるということです。実務に精通している大量の人材は、もちろん多くの批判や問題点はあるにせよ地方では最大のマンパワーであり、日々の業務は粛々と進んでいきます。これは日本の組織独特の「強い現場」と裏腹であり、これ自体が良いとも悪いとも言えません。

 もう一つは、やはり彼の主張とは逆に、財源や権限が国に担保されているからです。失政によって財政難となっても国がセーフティーネットとして最後は救ってくれることは夕張市などの例でも明らかです。これは自ら改革したいという首長には物足りないでしょうが、残念ながら国民の大多数、したがって地方自治体住民の大多数は ~積極的にせよ消極的にせよ~ 現状で満足しているからです。

 なので首長の役割は、「国の制度設計」を求めるとともに、いや、それ以上に、住民自身が地方分権を望み、そのための行動を起こすよう、分権のメリットを実感させ、分権への機運を高めなくてはいけません。
 これは首長の人望と政治力がすべてであり、現実に、わずかではありますが、分権に成功し、それなりの繁栄(というか、自己実現)を果たしている自治体は存在するのです。

 繰り返しますが、WEDGEの編集意図や編集能力は不分明です。しかし地方自治を論じるならばもっと適任の、実績がある首長がいたのに、という残念感はぬぐえません。
 たとえば佐賀県武雄市の樋渡市長や、三重県松阪市の山中市長、熊本県の蒲島知事、滋賀県の嘉田知事などがこの問題を論じていたら、もっと別の有益な示唆が得られたのではないでしょうか。
 

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