2014年7月1日火曜日

【読感】そして、メディアは日本を戦争に導いた

 今日7月1日は「井村屋あずきバーの日」だそうですが、後世からは、日本政府が今までの憲法解釈を改め、集団的自衛権の行使を容認することを閣議決定した日として記憶され、歴史の審判を受けることになるのでしょう。
 
 NHKなどの報道によると、

・これまで政府は、日本は集団的自衛権を(固有の権利として)保有しているものの、その行使が許容されるのは、日本に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてきた。
・しかし、日本を取り巻く安全保障環境が変化し続けている中、今後、他国に対する武力攻撃であっても、その目的や規模、態様などによっては、日本の存立を脅かすことも現実に起こり得る。
・そこで、①日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、②日本の存立が脅かされ、③国民の権利が根底から覆される明白な危険がある場合には、必要最小限度の実力を行使することが自衛措置として憲法上許容されると憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を容認することとした。
・ただし、民主的統制の確保が求められるのは当然で、自衛隊に出動を命じる際には原則として事前に国会の承認を求めることを法案に明記するとしている。

 とのことです。
 偶然にもというべきか、最近読了したこの そして、メディアは日本を戦争に導いた 半藤 一利 ・保阪 正康著 東洋経済新報社 が大変示唆に富む内容だったので簡単にレビューしておきます。

 近代日本にとって最大の国難だったと言える満州事変から太平洋戦争に至る戦争については、戦後、多くの考察がなされました。その多くは「軍部が台頭して次第に政治の実権を握り(時にはテロによって政敵を排除し)、その専横を批判するマスコミにも弾圧を加え、天皇の統帥権を楯に国民を支配した」ことが狂気の戦争に突入した理由に挙げられます。つまり、マスコミや、まして一般の民衆は、軍部に欺かれ虐げられた被害者だという位置づけです。

 しかし、この本によると、その常識は覆されます。昭和初期にはまだテレビはなく、ニュースを伝えるのはラジオと新聞でした。ラジオが放送当初から国に管轄されていた(NHK)のと異なり、新聞は明治時代から全国にさまざまな立場のたくさんの新聞社があり、紙面を競っていました。
 日清戦争、日露戦争のころには明白に戦争に反対する新聞も多くあり、政府と対立していました。しかし、局地的な戦争と異なり、総力戦、つまり一国のすべての国民が戦争に協力することを余儀なくされ、資源や技術力も含めた大掛かりな戦争となってきた第一次世界大戦のころから、新聞は「戦争の戦果を華々しく伝えること」によって、すなわち軍部のお先棒を担ぐことによって部数を伸ばしていくようになります。

 実際、満州事変の頃から朝日新聞や毎日新聞は競って軍部を応援するような ~日本に従わない中国やアメリカと戦争せよといったような~ 主張を繰り返します。新聞が報じる戦果に国民は熱狂し、勝ち戦を報じる新聞を進んで購読するようになって、新聞社は空前の利益を稼ぎ出すようになります。一方で戦争拡大に慎重な主張をする新聞に対しては不買運動が起こり、正論を言う新聞社は経営危機となって、ますます軍部におもねる新聞だけが繁栄するようになります。
 つまり、軍部の勢力が拡大したことには、マスコミの、そしてその報道に酔って、自分たちが見たくない聞きたくないニュースから目をそむけていた国民自らの責任も大きいのです。

 著者の半藤さん、保坂さんが実際に編集者やライター、作家として活動するのは戦後ですが、まだ少年だった戦時中に見聞きした報道や、成人し、マスコミ業界(出版業界)に身を置くようになると、ああ、あれはこういうことだったのか、と納得する出来事が多かったようで、この辺りの対談は興味深く感じました。

 ただし、両人も言うように、過去は過去として、今を生きるわしらに求められているのは、過去からどう学び、未来をより良くしていくか、ということです。その点、残念ながら「マスコミ」も「国民」も共に頼りない、このままでは近い将来の日本が不安だ、という半藤さん、保坂さんの直言は耳に痛いところです。くわしくはぜひ本書をお読みください。

 アホなマスコミ、そしてそのマスコミが発するレベルの低い報道に陶酔する国民、という図式は、卑近な例で言えばサッカーワールドカップのブラジル大会が典型でしょう。
 一流とは決して呼びえない日本チームの実力を正しく報道することもなく ~それ以前に、サッカーの実力を取材する能力も、他国のチームと比較する能力もない~、小学生の時にワールドカップに出ると作文を書いたとかいう選手を例に「努力すれば夢はかなう」などといった情緒的な美談を繰り返して報道する。
 そして歴然とした世界との実力差の前にチームが敗北を喫すると、今度は監督の采配だの、ハングリー精神の不足だの敗戦の原因をあげつらい、今までの翼賛報道にはダンマリを決め込む。これは国民(ファン)とともに、選手をも愚弄する態度ではないでしょうか。

 この本質は戦争報道でも同じでしょう。今はほとんどのマスコミは集団的自衛権の行使について傍観しているか、反対しているようですが、仮に戦争になって一人でも自衛隊に犠牲者が出れば(まったく縁起でもないことですが)、日本の世論は一変し、敵国討つべし、仇を取るべし、という戦争賛美となって歯止めがきかなくなるのではないでしょうか。

はんわし的評価(★★☆) おすすめ。

0 件のコメント: