2014年7月15日火曜日

少子化で自治体が消えて何が困るの?

言論プラットフォームアゴラより
 経済学者の池田信夫氏が、アゴラに「人口の都市集中はよくないの?」という面白い記事を投稿されています。

 民間シンクタンクの日本創成会議が「都市への人口集中がこのまま続くと、人口の再生産力を示す若年女性が2040年までに50%以上減少する市町村が896にのぼり、このうち523市町村は人口が1万人を切ってしまい、自治体として維持できなくなる。」と公表したことを取り上げ、

それで何が困るんでしょうか? 

 と問いかけています。

 わしのように田舎に在住している者にとっては、鳥羽市や志摩市がなくなってしまうことは寂しい気がするし、地域コミュニティが亡失して伝統的な文化や風俗といった地域記憶が途絶えたり、住宅や農地が放置されて荒れ放題になることは、耐え難い損失のような気がします。

 しかし、経済学的に考えれば、池田さんの以下のような論理は、おそらく正しいのです。

・人のいなくなった市町村は廃止して、住んでいた人は都市に引っ越せばいいのです。地方の人口が減ることには何の問題もありません。



・1960年代には毎年人口の約5%が地方から都市に移動しました。そのときが高度成長期だったのです。
・これを「国土の均衡ある発展」とかいって止めようとして、地方に公共事業をばらまいたのが田中角栄以後の自民党政権でした。それは税金を使って彼らの地元の土建業者にお金をばらまく意味はあったでしょうが、成長は止まりました。
・バブルといわれた1980年代にも都市への人口移動が増えましたが、バブル崩壊で地方に戻りました。その結果が「失われた20年」の長期不況です。
・このように、都市の人口が増えると成長し、「人口移動均衡期」には不況になるのです。都市が成長するサービス業の中心だからです。

 そのうえで、「21世紀は都市間競争の時代なので、上海やムンバイ、リオデジャネイロといった人口1千万人以上のメガシティがグローバル資本主義の中心になる。」
 「財源も限られてくるので、公共投資も大都市に集中すべき。これから日本の人口が減るときに必要なのは、地方からの人口移動を増やして都市に集中することである。」と主張されます。(ブログへのリンクはこちら

 このような話は、エコノミストの増田悦佐氏なども主張しており、その実証的な論旨を以前このブログでもご紹介したことがあります。(はんわしの評論家気取り「高度経済成長は復活できる」2010年12月7日
 経済効率で考えれば、人口や資源、資金、情報などが集中することからはメリットが生まれます。もちろん、集中が度を超すと副作用も生まれますが、環境破壊といった一部の深刻な課題は別として、住居問題や交通問題などは、市場主義的なルールで多くは自律的に解決可能である、ということも経済学では常識です。
 池田さんが、グローバル競争の主役が国家(主権国家)ではなく、金融やICT、医療といった高度専門的なサービス産業が集中するメガシティに移ってくるというのもおそらくその通りです。日本の人口減少と高齢化は当分の間は避けられないので、ここ数十年は激化が続くであろう経済や文化の主導権争いに日本が勝とうとすれば、資源の選択と集中は避けられないのです。これは、主義主張を超えて、現実を見据え、合理的に判断すれば当然に導かれる結論です。

 だとすれば、いま日本に、そして地方に必要なのは、将来に向けた議論です。共倒れを防ぐために、コンパクトシティ化を進める。インフラ整備もバラマキはやめ、老朽化した「朽ちるインフラ」は選択的に廃棄する。
 そういった戦略を進めるために、住民の合意を取り付け、具体的な計画と手順を組み立てる。
 厳しい言い方ですが、政府や地方自治体にとって、これは避けられないことだと思います。

 しかし遺憾ながら、現実を見据えると自分の居場所がなくなってしまう人々は、こぞってこれに反対し、過小評価し、夢想的な空手形を連発します。

 政府は、安倍首相を本部長とした「地方創成本部」を作り、地域経済の活性化(アベノミクスの地方波及)のために各省庁横断的に事業に取り組むそうです。このブログでも何度も書いているように、こういったやり方で地域が再生した例は一つもありません。

 また、時事通信によれば、佐賀県で開かれている全国知事会議は7月15日、少子高齢化の急速な進展を背景とした人口減少問題について議論し、深刻な状況であるとの認識を改めて共有。「少子化非常事態宣言」を採択し、国・地方を通じて少子化対策の抜本強化に取り組むべきだとの考えを打ち出した。この場に招かれていた増田寛也元総務相(日本創成会議の分科会座長)は「少子化対策と東京一極集中対策を同時に行っていくことが必要だ」と訴え、出席していた知事からも同調する意見が相次いだとのことです。

 これらはもちろん、来春の統一地方選挙をにらんだ選挙対策なのでしょう。リーマンショック対策、震災対策、円高対策などに続いて、今度は少子化対策をネタに予算のバラマキが続くのです。

3 件のコメント:

三碧星 さんのコメント...

あまりにも極論過ぎます。

豪雪地帯でもない、降雨量に恵まれているから水資源にも困らない。。
風土病の恐れもない。ある程度、道路網も公共交通機関も接続している。
インフラもインターネットも完備している
そんな日本で起業しても無理だというのなら、外国のどこの地域でも発展は不可能だと言っているようなものです。

石油が無い日本は、世界の最貧国でしょうか?
産油国のアラブがガソリンを輸入しているのはなぜでしょうか?
世界に冠たる小麦生産量のロシアが家畜を満足に飼育せず輸入に頼るのはなぜでしょうか?

数値だけで物を見ていると、本質を見失う。
花を見捨てて渡る雁は、別に寒いところが好きだから渡っていくのではありません。生存条件が適しているのであれば、国家予算が破綻しても、僻地に人が絶えることはないでしょう。公共福祉がゼロであっても、何らかの需要があって僻地に住む人はこれからもありつづけます。言い換えれば、僻地を税金ゼロにしたら、こぞって人々は移住しますよ。たとえ福祉がゼロであってもね

半鷲(はんわし) さんのコメント...

この問題は論点が2つある気がします。
一つは、人口減少と財政の窮乏化で、都市計画やまちづくりは縮小均衡にならざるを得ないこと。
もう一つは、そういった市町村のような行政サービスの枠とは別に、どのような状況にあっても人間は好きなところで生活するだろうし、生活できる、ということ。
 三碧星さんのお説は後者の、人間社会の、より本質的な部分の指摘だと思います。
 しかし、前者については数値的な限界値はあるので、それをどこまで受け入れるか、限界を突破した時にはどう退却するのかを決めることが「政治」ではないかと考えます。(もちろん政治とは政治家が決めることなのではなく、住民が決めることという意味です。)

三碧星 さんのコメント...

何らかの要因で人が僻地に集まりだせば、そこに市場が生まれます。逆に過去において人口密集地のインフラのキャパシティが限度を超えると、環境汚染や水不足、疫病で人口は頭打ちになります。

今現在だけを切り取って分析するなら、国家財政の不健全ゆえに公共投資の抑制、あるいは有効的な使い道に限定するという結論になるでしょうが、歴史というのは好不況が一定のサイクルで訪れるものなので、全ての経済状況に応じた特効薬も存在しません。

景気が良くなった途端に今まで人が余っているから給料を上げられないという論調から「人手不足、人口減少だから移民を」という新たな論調が人材派遣会社辺りから聞こえてきました。経済学者や日経新聞が目新しいことを言い出したら、まず慎重に事態を見定めなければならないと思いますよ