2014年9月15日月曜日

伊勢神宮の別宮の遷宮はいまこんな感じ

 今日は三連休の最終日でした。
 ここ最近は珍しい、雨の心配のない晴天の終末でしたが、わしは野暮用があって結局どこへも遠出できませんでした。
 今日の早朝、伊勢神宮の外宮周辺を散歩してきたので、超ミクロな私記ですがメモしておきます。
 外宮(豊受大神宮)の式年遷宮は、昨年、無事斎行されました。
 無垢のヒノキ材でできた真新しい社殿や鳥居は黄金色で、あたりにはヒノキ独特の芳香が漂っていました。

 あれから約1年、風雨に打たれ、陽に晒された社殿は、さすがにやや色あせていましたが、それでもなお若々しい雰囲気を讃えています。
 特に、千木(ちぎ)や鰹木(かつおぎ)など本殿の屋根の飾り金具は朝日を受けて燦然と輝いており、神々しさを感じます。
 一方、遷宮で役割を終えた旧社殿はほぼ解体が終わり、古殿地と呼ばれる更地になっています。
 外宮の本殿については、ほぼ式年遷宮の一連の行事が終了した感がありますが、同じ敷地にある別宮については、この10月ごろから遷宮行事が本格化します。
 昨年の遷宮行事を見逃した方も、別宮の行事は見ることができるので、伊勢神宮ご参拝の際は、ホームページなどでスケジュールを確認していただいてはいかがでしょうか。


 伊勢神宮というと、内宮と外宮の2つが最も有名ですが、このほかに、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)という所属宮社があり、これら全体で125の宮を含めて伊勢神宮と称されます。(伊勢神宮は、ただ単に「神宮」というのが正式な名称です。)
 所属の宮社の中でも別宮とはもっとも格式の高いもので、内宮には10所、外宮には4所の別宮があります。

外宮の別宮の一つ、土宮(つちのみや)です。外宮が現在のこの地に鎮座する以前からの守護神で、平安時代末期、1128年(大治3年)に宮川の治水や堤防の守護神として別宮に昇格しました。
 伊勢神宮の宮社は社殿が南面しているのが通常ですが、この土宮だけは過去の経緯から東面しているそうです。

 土宮をはじめとする別宮でも、遷宮(遷御)に至るまでに、正宮と同じように立柱祭、上棟祭などたくさんのお祭りが行われます。
 新しいお宮は現在の左隣(北側)に建設中で、本日は屋根に関するお祭りである檐付祭(のきつけさい)が行われる予定とのことでした。
 遷御の儀は来年1月28日に行われます。

 これは同じく外宮の別宮の一つ、風宮(かぜのみや)です。
 元々は小さなお宮だったようで、古い記録には残っていないそうなのですが、鎌倉時代末期の元寇のとき、敵軍(蒙古軍)の退散を祈願したところ実際に戦勝したことから、1293年(正応6年)に別宮に昇格しました。

 元寇の際に博多湾でおこった暴風雨は、神威の発揚(神風)であるとの認識、いわゆる神国思想が広まる経緯ともなった出来事であり、蒙古退散の功によって、内宮の境内にある風日祈宮(かぜひのみのみや)も同じように内宮の別宮に叙せられています。
 風宮の遷御の儀は来年3月15日です。


 外宮域内の別宮の参拝を終え、300mほど離れたところに鎮座するもう一つの別宮、月夜見宮(つきよみのみや)に向かいます。
 外宮と月夜見宮を結ぶ道は神路通と呼ばれています。
 伊勢の町の古い言い伝えによると、この道は、夜、月夜見の神様が外宮の神様のもとに通う時に通った道とのこと。月夜見の神様は、石垣の白石の一つが化した白馬に乗って外宮に向かうのですが、この付近に住む町の人々は、その馬に出会うことが畏れ多いため、決して中央を通らず、必ず道の端を歩いたそうです。
 今は、住宅街となっており、そのようなロマンチックな神秘性は残念ながらあまり感じられません。

 月夜見宮の祭神・月夜見尊(つきよみのみこと)は、天照大神の弟にあたり、内宮にも月讀宮という別宮がありますが、外宮のほうは月夜見と表記されます。
 鎌倉時代初期の1210年(承元4年)に、それまでの摂社から別宮に昇格しました。

 写真ではわかりにくいですが、この月夜見宮の境内には、クスやケヤキの巨木がたくさんそびえています。
 おそらく、かつて、むかしむかしのこの辺り一帯は、このような木々が生い茂る原生林だったのではないでしょうか。

 外宮周辺は、古来から陸路、海路とも交通の便がよく、神宮の参拝者や奉納品など、人とモノが集積する土地だったため、内宮よりも早い段階で都市が形成され、経済的に発展しました。
 現在でも駅や官公庁が多い伊勢市の中心地であり、あたりの都市化している光景から取り残されたような ~タイムスリップしたような、と言うべきか~ 不思議な空間です。
 月夜見宮も来年2月28日に遷御の儀が行われます。




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