2015年1月21日水曜日

佐賀県知事選に見る、変化を望まない日本社会

 新年早々の有力地方選挙として注目されていた1月11日の佐賀県知事選は、自民党の推薦を受けていない保守候補の元総務官僚山口祥義氏が勝利しました。
 自民党の知事候補が滋賀県知事選、沖縄県知事選に続き、佐賀県でも敗北したことから、この知事選三連敗は地方有権者からの安倍政権に対する厳しい審判と報じられました。
 また、その理由として、自民・公明の国政与党が元武雄市長であった樋渡啓祐氏を推薦したのに対し、安倍政権の農協改革路線に強い危機感を示すJAさがが反旗を翻し、保守系候補ながら自民党の推薦がとれなかった反主流派の山口氏を独自に支援したことから、安倍政権VS農協(JA)の代理戦との見立ても広く膾炙し、佐賀県知事選の結果により国が提唱している農協の改革路線が停滞するのではないか、などの見方も広がっていました。
 わしは佐賀県には2回くらいしか(しかも10年以上前に)行ったことがなく、現在の佐賀県政の課題などもまったく知りません。しかしながら、佐賀県同様、平均的な日本の田舎である三重県南部に居住している身として、自民党対農協といった見方はちょっと違うのではないか、むしろ、元武雄市長の樋渡候補への拒絶感が主要な敗因ではないか、と漠然と感じていました。
 そのようなわしにとって、1月19日付けの日経新聞朝刊の 列島追跡 「変わらぬ地域」どう改革 というコラム記事は非常に興味深く思われました。


 この記事によると、勝利した山口候補は当選確定後、ただちに「ノーサイド」を宣言し、佐賀県を良くしたいという思いは自分も他候補も同じであり、自民党や公明党との対立はないことを強調。手打ちムードを演出しています。
 そして、「政府与党と地元農協の対決ばかりが熱を帯びた」ように全国区のマスコミは報じていたものの、実は山口候補も樋渡候補も主張に明確な違いはなかったと書きます。

 それでは何が両候補の勝敗を分けたのでしょうか。
 これについて記事では、JAさがの首脳の次のような発言を紹介しています。
 重要課題に対する判断は同じでも我々の話を聞いてくれる人を知事にする必要があった。

 樋渡候補は武雄市長在職中に、民間活力を使った医療の充実を図るため市立病院と民間に譲渡したり、図書館の利用者数増やサービス充実のため、運営を本やCDレンタルの大手企業に委託するなどのドラスチックな政治決断を下し、実行に移してきました。人口5万人の地方都市が改革先進都市として全国的に超有名になったことは樋渡氏の功績ということができます。
 しかし、時として過激な発言が不穏当と言われたり、トップダウン手法が独善的という批判も非常に根強いものがあり、実際に「武雄市図書館」をキーワードにネット検索すると、毀誉褒貶が半ばした非常に多くのコメントや論調を見つけることができます。
 日経の記事は、佐賀県知事選はずばり「樋渡氏のこうしたやり方を是とするか非とするかが事実上の争点」であったと分析します。さらに自民党のある地方議員の「佐賀には劇的な変化は必要ない」という発言も紹介されており、記事は「改革を前に進める難しさも映し出した」と総括しています。

 この記事の分析はまさに、わしが感じていることと一致します。
 日本の地方(いわゆる田舎)は農林水産業が基幹産業だと言われています。これは統計上は事実ではありません。地方の主要産業は、建設業や食品製造業、公務・医療・介護・観光などのサービス業などであり、地域内の所得や雇用のほとんどはこれらの産業が担っています。
 しかしこれらはあくまでニューカマーであり、山林や農地を所有し、あるいは海や川に漁業権を持っている、地域に密着した農林水産業よりも格下の産業なのです。長らく食料や生活必需品を得る糧であった農林水産業は、生活様式を形作り、その地域の人々の人生観や価値観も形作る精神的なバックボーンになっています。この意味で、農林水産業は金儲けの匂いがする「産業」などという言葉より、「生活そのもの」「地域そのもの」を体現する存在です。生活哲学と言っていいでしょう。
 四季の繰り返しに即して行われる農林水産業は、時おり牙をむく自然の脅威などもちろん望みません。平穏に、何事もなく日々が過ぎるのが一番望ましく、実際に農林水産業の生産性も高まるのです。言い換えると、何事につけ急激な変化は望まれないのです。

 戦後になって経済成長と生活の近代化が加速しても、この哲学は変わりませんでした。飽き足らない人々は地域外(多くの場合は大都市部)へ出て行ってしまい、地域に残っている人の多くは、結果的に、積極的にせよ消極的にせよ「変化を望まない哲学」に共感している(共感せざるを得ない)立場の人々です。もちろん、わしもその中の一人です。

 ここで誤解を招かないように補足しておきます。一つは、変化を望まないことが悪いわけではないことです。田舎の生活には田舎ならではの良さがあり、ぬくもりがあります。多くの人たちがこの哲学に従って幸福に生活しています。そしてIターンや、Uターンしてくる人も相当な数がいる事実があります。これは押さえておかねばいけません。
 もう一つは、先ほどから田舎という表現を使っていますが、この哲学は実は多くの日本人に浸透しており、典型的なものは「平和ボケ」と呼ばれたりしています。都会にも元々の住民がおり、彼らの少なからずは農民や漁民などとして、あるいは都市生活者として都会にあっても伝統的な日本を支えているのです。この事実も補足しておかねばなりません。

 こう考えてくると、変化を望まないのは佐賀県だけでなく、三重県も含め、あらゆる都道府県を含め、日本の伝統的な思考であり志向であるということができるでしょう。
 日本社会の今そこにある危機と言われている多数の問題も、たとえば高齢化だの、少子化だの、学力の低下だの、社会モラルの欠乏化だの、経済活動を妨げる岩盤規制だの、財政赤字だの、原子力発電だの、といった問題は、ほとんどが実はすでに明白な解決策を持っています。
 問題はそれをやるかやらないかだけであって、その決断ができず、いたずらに先送りしていることがすべての混乱の原因です。これは明白なことです。
 しかし、これも元をただせば、我々みんなが心の中では変化など望んでいないからです。ある程度は許容しても、価値観が覆される革新や、自分たちに義務が課せられる改革は許せないのです。

 従って、佐賀県知事選の結果は、農協改革という変化を、どうもそこそこ本気でやり始める気配を示してきた安倍政権への「変化」や「改革」に対する拒否反応なのだと思います。
 今後、日本は変化と改革が避けられません。増税は避けられません。医療費や福祉費の削減も避けられません。人口減少も避けられません。同盟国と一緒に戦争する可能性も高くなってきています。みな現状からの「変化」です。
 これらへの拒否反応が、これから一層強まってくるということなのです。
 今までの常識では、世の中が改革を願っているのに政治家や官僚が地位を守るために反対していると理解されがちでした。しかし事実は逆に動いているようです。このものの見方で、来たるべき統一地方選を読み解いてみるのも面白いのではないでしょうか。

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