2015年2月12日木曜日

建国記念の日に考えたこと

 伊勢市内で開催された、建国記念の日 伊勢奉祝の集い というものに参加させていただく機会があり、渡辺利夫拓殖大学総長による講演を聞いてきました。

 この奉祝の集いは、建国記念の日伊勢奉祝委員会が主催しており、今回で49回目になるという伝統ある行事です。
 渡辺さんの講演は「建国の日に日本を考える ~日本の国柄と憲法~」というもので、神武天皇が日本を建国した日と伝わる2月11日を、より国民的行事として盛り上げていこうという立場からのお話でした。

 この種の話をブログで取り上げるのは微妙な感じもあるのですが、渡辺さんのお話は論旨が明快で、しかも大変な博学に裏打ちされている印象を強く受けたので、感想も交えてメモしておきます。

 なお、講演を聞く機会を提供してくださった主催者、および主管の日本会議三重 伊勢支部の各位にはお礼申し上げます。


 講演の趣旨をごくごく簡単に(乱暴に)、かいつまんで書くと

・安倍内閣が昨年、集団的自衛権の行使に関する政府の憲法解釈を変更する旨の閣議決定を行った。世界の情勢を鑑みると非常に時宜を得たものであり歓迎するが、自分(渡辺先生)としては議論が足りないのではないかと感じている部分がある。
・それは、「いかに国を守るか」というハウ・トゥーの議論が先行していて、「国の何を守るか」という論点が忘れられていること。こんな話をすると、それは国民の生命と財産を守るのに決まっているではないかと反論される。しかし国家である以上、生命財産を守るのは当然のこと。そうではなく、それらを越えた、国柄(くにがら)とも表現すべき日本国の本質も、国が守るべき重要なものである。
・では、日本の国柄とは何か。かつてこの概念は「国体」と呼ばれていた。国体とここで言う国柄はほぼ同質のものだが、いらざる誤解を招かないため、あえて国柄と表現している。
・国柄を端的に示すものは憲法である。憲法の英訳はコンスティチューション(Constitution)であるが、Constitutionを和訳してみると、「構成体」とか「本質」と和訳される。憲法とは言語化された国柄であるので、本来、日本の国柄が盛り込まれていなくてはならない。
・自分が考える日本の国柄は3つの要素がある。
・1つ目は、人種的、言語的、宗教的な同質性である。
・2つ目は、自成性。すなわち、自らの力で自らの文化を盛り上げていくことができる力があるということ。
・3つ目は連続性。つまり、国家や社会が連綿と続いているということ。
・これら3つを兼ね備えている国は世界で日本だけであることは断言できる。そして、これらを体現している存在が皇室である。
・一方で、これら3つの特徴には弱点もある。国内で完結しているので、自分の姿を客観的に観察することができないことである。明治維新の時、日本人が知らない間に、世界では列強諸国が激しい侵略を繰り広げていた。これは日本という国の本質的な危機であった。しかし、薩摩や長州などの雄藩は列強と対峙し、実際に攻撃を受けたことで、すぐに自分達の攘夷論は通用しないことを悟った。そして尊王開国へと進路転換した。このような先人の知恵と勇気は大いに見習うべきである。
・今、ようやく憲法改正論議が盛んになってきた。9条の改正もさりながら、天皇を戴く日本の国柄の素晴らしさを、ぜひ憲法前文に盛り込むべきである。その時は、格調ある美しい日本語の文章であることを望む。

 というようなお話でした。

 偉そうなことを言えば、まあ、一般的な(わかりやすい)天皇制重視と憲法改正の意見だと思います。聞いていた感想として、渡辺さんは、わざわざ「国柄」という表現を用いていたように、極論を言いっ放しにするタイプではなく、現実的な政治日程に乗せるためには多くの政治家や国民の賛同を得なければならず、そのためのバランス感覚に優れた立論だと感じました。学者的な議論の厳密さや周到さがある丁寧なお話だと思いました。

 しかし、その一方で、そもそもこの講演の趣旨である、建国記念の日をどう国民的な行事にしていくかについては、なかなか難しいものがあるとも感じざるを得ません。

 講演後の質疑応答で、「建国記念の日をなぜもっと行政が啓発して盛り上げないのか?」みたいな質問が出たのですが、その回答が、「敗戦後のGHQによる左翼的な占領政策が、当時の日本の知識層に浸透してしまい、現在でもマスコミや教員、官吏、裁判官など社会に影響力のある層が左翼的な思考を持っているから。」というようなものでした。

 確かに、一連の朝日新聞による従軍慰安婦の捏造報道問題など、常識では考えられない思想的な偏向が存在するのは確かですが、渡辺さん自身も認めていたように、すでに日本国憲法は施行されて70年近く経ち、すっかり社会に定着しています。(ちなみに旧大日本帝国憲法は施行されていたのが56年間なので、もうとっくにそれを抜いているわけです。)
 これもまた渡辺さん自身が言及していたように、建国記念の日は歴史学から見て客観的な史実であるとは考えにくく、いわば国民を一体化させる社会的なフィクションです。これをある種「復古的」ともいえるアプローチで啓蒙していくことは難しいのではないでしょうか。

 うまく表現できないのですが、そうではなく、否応なく進んでいくグローバル化や、人口減少など日本社会のフェーズが変わっていく中、そしてもちろん周辺諸国の軍事的な圧力も強まっていることを踏まえ、将来に向けて国のあり方や、政府と国民の関係を考えていく、その一環として国柄も構築していかないと、建国記念の日の意義もなかなか広がっていかないのではないかと感じました。

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