2015年4月14日火曜日

【読感】沖縄の不都合な真実

 わしは,、実は沖縄に行ったことが一度もありません。なので、今話題の普天間基地だの、辺野古だのといった場所もテレビで見たことしかありません。
 しかし、そのテレビで何年か前に見た番組は強く印象に残っています。

 アメリカ軍が普天間飛行場を建設したのは、住民にも多くの犠牲者を出した沖縄戦が終結したばかりの昭和20年でした。
 このころ飛行場の周辺は、もちろん多くの人家もあったものの、大部分はサトウキビ畑などの農地でした。基地周辺に人家が密集し出したのは、戦後になってからのことです。

 基地騒音に子供たちが悩まされている絵がよく放映される宜野湾市立普天間第二小学校も、建設されたのは何と昭和44年になってから。基地きわきわの場所にわざわざ小学校を建てたのには、もちろん何か事情があったのでしょうが、しかしそれにしても、よく報道されるように「沖縄県民全体が米軍基地に反対しており、県民全員が一刻も早く基地などなくなってしまえばよいと考えている」とばかりも思っていないのではないかという小さな疑問というか、わだかまりを感じたのでした。
 そして、最近になってますます混迷してきた辺野古基地建設問題を報道で見つつ、この本、沖縄の不都合な真実 大久保潤 篠原章著(新潮新書)を読むと、いっそう一連の沖縄の基地問題の複雑さを強く再認識せざるを得ないのです。
 

 一般的に米軍普天間基地の辺野古移設の問題は、「辺野古移設を早急に推し進めたい政府と、基地負担が沖縄だけに押しつけられている不信感が根底にあり、さらなる負担となる辺野古移設に絶対反対している沖縄県民」という対立構図として理解されています。
 しかし本書は、この捉え方は本質として正しくないと言います。現実はもっと複雑で、倒錯しているのです。

 仮に辺野古施設が断念されれば、さらに当分の間、普天間基地周辺は現状の危険な状態のままです。
 移転先である辺野古地区はもともと過疎地であり、これまでも米軍基地と国による沖縄振興基金に依存して生活してきた面があるので、移転断念は彼らの期待を裏切ることにもなります。
 一方、米軍はそもそも普天間基地の移設にも辺野古への移転にも無関心です。日本政府から懇願されて、費用も全部日本政府が持つから応諾しているに過ぎません。普天間から移らずに済むなら移転にまつわる雑用が減って内心はむしろ歓迎かもしれません。
 日本政府は辺野古に代わる新たな移転先を探さなくてはなりませんが、辺野古に今までつぎ込まれていた膨大な時間と予算はすべて無駄になります。
 そして、沖縄県と名護市当局は、移設の見返りに政府から支給されてきた振興資金が減額されることを恐れています。
 つまり、同じ沖縄県内であり、沖縄県民であっても、立場の違いによって利害関係が大きく異なり、時には輻輳しています。これにさらにアメリカ政府、米軍、日本政府などの思惑が絡んでいるのです。

 このような複雑な事態となった大きな理由の一つが、現実問題として沖縄県の「米軍基地依存」がますます強まっていることがあります。
 沖縄に対して政府はこれまでも巨額の振興資金をつぎ込んできました。しかし全国47都道府県の中で沖縄は今ももっとも県民所得が低い県で、経済は低迷したままです。
 このため、先の大戦で戦場となった苦しい経験を持ち、強く平和を願いながらも、米軍基地に土地を貸している(この貸与は法律で半ば強制されているとはいえ)借地料収入や、米軍基地で働く給与所得は大きな収入源となっています。
 
 また、沖縄振興や、米軍基地整備にともなって行われる公共工事の利権も非常に大きなものがあります。辺野古移転をめぐって、滑走路を海上の沖合何キロの場所にするか、また、滑走路をL字型にするかV字型にするかで、日本政府や米軍、沖縄県、地元名護市では大変な論争となったことは記憶に新しいところです。
 著者によると、これも滑走路の位置が10メートルずれるだけで地元企業への工事発注額は億単位で変わり、しかも海底の深い位置だと特殊な埋め立て工事となって地元業者が落札できない事態となるので、工事が容易な浅瀬への計画変更の声が大きくなったことなどが要因とのことです。
 平成22年1月の名護市長選挙は、沖合移設を主張するH社と、現在地での早期着工を主張するY社という、地元大手建設会社の代理戦争であり、当選した稲嶺進市長はY派であったというのが著者の見立てです。

 しかし、このような地元の利権争いはほとんどマスコミでは、特に東京にあるTVキー局や大新聞社では報道されません。これは、大手マスコミの記者の多くが、基地問題を上述の「政府対沖縄県民」と捉えていて、本質が理解できないからです。

 その一方で、沖縄県民も一枚岩ではありません。これは、基地に反対する人と、基地から利益を受けている人の対立という切り口だけではありません。
 著者によると、沖縄県には、唯一の国立大学である琉球大学(なぜ大学が「琉球」という名称なのかという著者の説明も興味深い)のOBによる「エリート支配階層」が存在しているからです。
 大企業がもともと少なく、しかも公共事業が大きい沖縄県では、琉球大OBが県庁職員や教員、マスコミ、沖縄電力などに就職し、高給を取っています。
 沖縄というと、「結」に象徴される豊かなコミュニティがあるように思いますが、貧富差の指標であるジニ係数が0.339(平成21年度)で全国一。そしてNHKの受信料支払い率、年金加入率、学童給食費の未納率も全国一。このほかにも福祉政策や教育政策の貧弱さが次々指摘されます。
 極端に言えば、沖縄支配層ともいうべき政財官のトライアングルが、時には基地絶対反対を唱え、しかし実利上は基地補償や政府からの振興資金をいかに引き出すかに腐心している、という独特の事情が解説されます。

 詳しくはぜひ本書をお読みください。事実だとすれば、あまりに救いのない話ですが。

 しかし、あらためて考えたのは、わしも含め、やはり沖縄県以外の国民は、米軍基地の事情や沖縄県の事情にあまりに関心が低いことです。
 沖縄県は本来なら全国民が応分に負担すべき米軍基地負担をほぼ一手に引き受けている、だから是正すべきだ、という意見は、ある意味で正しいと思います。
 ただ、現状のままだと、なんだか沖縄県民と政府がいつまでもガタガタやっているな、という程度であり、無関心のままで、実態を見ないままで済んでしまうのです。

 現実問題として、近隣国による海洋権益と軍事力の拡大は日本の脅威になっています。もし今のままの状態で有事となれば、先の大戦の時のようにまた日本は混乱し、感情的な世論となって、破滅に突き進んでいくことにならないでしょうか?

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