2015年5月4日月曜日

神山町に行ってみた

 徳島県の神山町に行ってきました。
 神山町は徳島県の中央付近に位置する人口5900人の町。吉野川の支流である鮎喰川(あくいがわ)が町の中央を東西に流れており、北部、南部は山に囲まれているという中山間地域です。

 神山町には、四国霊場の一つ焼山寺(しょうさんじ)があるほか、その昔、天女が授けたという神山温泉がありますが、自然が豊かなことのほかには取り立てて有名な観光地や産業があるわけではありません。

 しかし今、この町が注目されているのは、日本の一般的な「田舎」、すなわち過疎化が進む中山間地域が新たにIT産業の町に生まれ変わりつつあり、町外から若い移住者も多く集まっている、という「地域振興」の成功例として名前が轟いているからです。
 安倍内閣は「アベノミクスによる景気回復の恩恵を全国津々浦々に波及させる」ために地方創生なる政策を推し進めています。経済は生活の基礎なので、これに表立って反対する勢力はほとんどなく、つい先日の統一地方選挙でも地方創生の是非は争点にならず、したがって選挙民の関心も低く、多くの自治体では低投票率に悩み、そもそも無投票となったところも多かったのは記憶に新しいところです。
 全国の地方自治体で競争になっている観がある「地方創生」。そこで成功している神山町とはどんなところなのか興味があり、連休を利用して行ってみました。

 三重県伊勢市から徳島市までは、電車と高速バスを乗り継いで約5時間かかります。徳島市は大きな都会で、駅前は人とクルマでにぎわっていました。
 神山町まではレンタカーで行ったのですが、そう遠くないとは聞いてはいたものの、距離にして二十数キロ、約50分もあれば到着してしまいます。拍子抜けするほど近く感じました。
 徳島市街を抜けると左右から山々が迫る景色になりますが、確かに大きなショッピングセンターや病院や、工場や、はあまり見かけませんでしたが、基本的に集落は、ずーっと点在しており、まったく人の匂いがしないような人里との隔絶感はありません。三重県で言えば、旧飯高町、旧宮川村、度会町といった、大きな川沿いに在所が開けている町のイメージです。

 道の駅「温泉の里 神山」に着いたころには日が傾きかけていました。それでも多くの買い物客がいました。幹線道路である国道438号は通行するクルマもまばらなのですが、意外に色々な人がやって来るのです。まわりに大きなスーパーがないので、地元のお客さんも多いようです。

 宿にチェックインしたあと、しばらく付近の神領上角という集落を散歩してみました。
 すっごくいいお天気でしたが、これまた典型的な中山間地域らしく、歩いている人はまったくいません。




 旧国道に当たるのでしょうか、幅が数メートルの道路沿いに家々が連なっています。
 静かで、鳥のさえずりが聞こえ、本当にいいところです。
 周囲の山々を見上げると、山の中腹、標高はいったい何メートルあるのか、とにかく相当に高いところにまで家が点在しているのには驚かされます。林業や炭焼きに従事するうえでは都合がよかったのでしょうが、現代となっては自家用車なしで暮らすことは難しいでしょう。(そもそもあんな山の上まで道がついているのでしょうか?)

 夜は阿波豚の陶板焼きと、神山町の特産であるという梅を使った梅酒をいただきました。


 宿の人とちょっと話してみたのですが、やはり神山町が地域振興で注目されていることは皆さんよく知っていて、IT企業への就職希望者や、ここへの移住希望者が下見で泊まりに来ることもたまにあるそうです。
 ただ、スタッフの方は口々に「いやあ、ここは田舎のままで変わっていませんよ。」とおっしゃっていました。地元の方にとっては、確かにそんなものかもしれません。

 翌朝、日の出の直後に、今度は役場やコンビニなどがある神領の集落を散歩してみました。早朝で散歩している方が多く、何人かとすれ違いましたが、ほとんどが年配者。(まあ、若い人があまり朝から散歩していないでしょうが・・・)明らかによそ者のわしにも挨拶してくれて、こんな触れ合いは確かに今では田舎でしか見られなくなっています。
  



 魏志倭人伝にある邪馬台国は、実はここ神山町であったという説もあるようです。看板に年季が入っていました。
 町をぶらぶらしていると、本やネットで紹介されている、移住者の方がオープンさせたというレストランや雑貨店、IT系のオフィスなどが何軒か見つけられます。
 役場の周りも旧街道沿いの家々の多くは仕舞屋(しもたや)、つまり店構えではあるものの商売は廃業して久しい家々であり、新しいお店や事務所ができるのはありがたいことには違いないでしょう。

 ただ、当たり前ですが、いくら地域おこし、地域活性化がアクティブに進んでいたとしても、地域全体の過疎高齢化を食い止めることは極めて難しいこと、ハッキリ言えば不可能なことです。
 実際、神山町役場のホームページによると、神山町の人口は統計がある昭和45年度から一貫して減少しています。
 しかし特筆すべきなのは、神山町においては人口の「社会減」、つまり、就業や就職、進学などのために町外に引っ越していく人の数が、ここ数年は安定していることです。
 転入者が転出者を上回る社会増となっているのは平成23年度の1年だけですが、それにしても自然減、社会減とも止まらないのが多くの他の自治体の現状なので、これは一連の施策に一定の効果があったためと思われます。

 逆に言えば、人口を増やすということがいかに難しいかということです。一部の自治体ではまち・ひと・しごと創生に強力に取り組み、出生率も社会増も増やしていく、などと計画にうたっているところもありますが、このような荒唐無稽な目標は実現不可能で、戦略的に狂っています。
 全国に有名な神山町ですら社会減は止められないことは、現実として受け止めなくてはいけません。

 朝食後、クルマで三十分ほどの山中にある、西国八十八か所の第十二番札所、焼山寺に行ってみました。
  

 いかにも信仰の山らしく、白装束の参詣者が般若心経を唱えながら一心に祈っている姿は、あまり三重県内の寺院では見かけません。神山町は古来から多くのお遍路さんを迎え入れていたので、一説によると「よそ者に寛大」な気風があるということです。

 お寺からの帰りに、これも有名な「粟カフェ」に寄ってきました。良い雰囲気のお店でした。


 ここまでお読みいただいたらわかるように、わしの目的は観光で、完全な「物見遊山」でした。神山モデルのお勉強ではなかったのです。
 先にも書いたように、神山町の取り組みについては、ネットや本でかなり詳しく知ることができます。わしも以前のブログで書きました。
 しかし同時に、ノウハウの神髄は媒体では伝達不能で、実際に現場に来て、キーパーソンに最低一週間くらい密着していないとおぼろげにでもわかってはきません。ましてや、実践に移そうとなれば、何年か越しにコンタクトを取り続け、情報や悩みを共有できる関係にならなくてはいけません。
 たった一度の「視察」で何時間か滞在して理解できる話ではありません。だとすれば、物見遊山の観光客としてでも実際に足を運び、歩き回って遊びつくす方がよほど現場を体感できるでしょう。
 
 この体感を通じて、ああ、これなら三重県でもできそうだとか、うちの集落でもできそうだとか直感で感じればいいのではないでしょうか。

■NAVERまとめ    過疎からITの町へ 徳島・神山町

■はんわしの評論家気取り 神山町に行ってみたくなった(2015年2月3日)

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