2015年7月11日土曜日

滋賀に比べ奈良がパッとしない理由は「地形」?

【読感】日本史の謎は「地形」で解ける  竹村公太郎著 PHP文庫 

 東京へ出張した帰り、新幹線の中ででも読もうかと思って買った本でしたが、なかなかおもしろかったのでメモしておきます。

 わが国の長い歴史の中では、大きな災害とか、戦争(いくさ)とか、政権の交代などさまざまな出来事がありました。
 たとえば1571年(元亀2年)、織田信長が比叡山を焼き討ちしたという歴史的にも有名な事件が起こりますが、この原因については、「天下統一を目指す信長が、権威ある寺院でありながら腐敗堕落しており、政治にも干渉してやまない比叡山延暦寺を成敗した。」というのが世間の定説となっています。
 しかし竹村さんは、この事件は京都市街の東部にそびえる比叡山の「地理的な理由」から必然的に起こったのだ、という新しい解釈を提示する、大変に興味深い内容でした。

  確かに、わしらが学校で習う社会科や日本史、世界史は、誰が領主となって、どのように民衆を統治していたかという「政治史」が中心です。歴史の勉強とは、戦争とか政権交代の年代を暗記したり、統治者の名を暗記することであって、その時代の人々はどんな着物を着て何を食べ、どんな仕事をしていたのか、どんな娯楽があったのか、のような社会風俗史とか、産業経済史はあくまで付属的な扱いです。 その典型的な例は「地理史」かもしれません。


 昔から日本は白砂青松の海岸を持ち、平地には田畑が広がり、各地に都市が形成されていた、というイメージは誰もが抱くものですが、実際には古代(5~6世紀)の日本は海岸線がもっと内陸に入り込んでおり、東京や大阪といった今の都市のほとんどは低湿地で、人が住めるのは高台の一部に限られていました。
 河川に堤防が整備され、新田の開発が盛んになったのは、江戸時代(17世紀)のせいぜい中期以降であり、人々はしじゅう氾濫や洪水に悩まされていたのです。
  政治権力とは「治山治水」とイコールであり、領主は民衆に命じて営々と河川や耕地や、道路や港の土木工事を~当然ながら人力と牛馬により木や石を使って~続けてきたのです。
 このように、その時代の人々の生活が地理的な条件に大きく負っている(というか、人間は地理条件に合わせて生活せざるを得なかった)ことを踏まえると、歴史的な出来事も、それが起こった土地の地理条件を検証すれば、何が原因で起こったのか、なぜその結末に至ったのか、が正確に理解できるというのが、著者の竹村さんの主張でもあります。

 上述の信長の比叡山焼き討ちについても、原因は宗教上の対立ではなく、軍隊が東国から陸路で京に入るための唯一の峠(逢坂山)を実効的に支配していたのが延暦寺であり、信長が自由に兵や物資を迅速に移動させるために、何としても逢坂峠の通行権を手中にする必要があったとしか考えられないとのことです。
 このような地理史からの観点で、
・徳川家康による江戸開府の謎(たしかに、豊臣家を滅亡させた後なら大坂や名古屋で幕府を開くことも可能だったはず。)
 とか、
・四十七士の討ち入りで有名な「赤穂事件」の謎(赤穂義士が江戸市中に「潜伏」するなど、幕府が黙認していなければ不可能だったそう。では幕府の本当の意図は?)
 などを読み解いていくのはエキサイティングです。

 ただ、このことは著者の竹村さんも触れていますが、歴史学といった人文科学は人の営みです。、つまり「人間」そのものが研究対象で、合理的な自然法則では割り切れないゆえに、さまざまな解釈や分析が可能なのです。
 竹村さんは大学工学部出身であり、建設省で長年ダムなどの土木行政に従事された方なので見識が高いことはもちろんでしょうが、あくまでも地理の立場からの一つのものの見方、解釈の仕方であるという前提は読者としては踏まえておくべきでしょう。

 この本の中で、特にわしが面白かったのは、なぜ京都は都になったのか?、そして、なぜ奈良は衰退したのか?という章(第14章~15章)でした。
 詳しくはぜひ本書をお読みいただきたいのですが、竹村さんはここで、人、モノ、カネ、そして情報が活発に行き来する太い流れを「交流軸」と定義します。この交流軸の上に成り立っている都市は繁栄するし、外れた都市は衰退するのです。

 京都は8世紀、西日本と東日本、日本海と太平洋を結節する交流軸の中心にありました。こここそ当時の新しい都にふさわしかったのです。
 一方、奈良はシルクロードという世界的な交流軸の末端に位置し、国際都市として繁栄していました。しかし平安京への遷都後は、政治、宗教、経済などあらゆるものが新都に行ってしまい、奈良は交流軸から外れてしまいました。
 このため、江戸や京、大坂に見られたような河川改良、運河の開削、街道整備などのインフラ整備も滞り、このことが交流軸上に位置する滋賀県と、奈良県との差に今もつながっているというのですが、この見方にわしはある程度の説得性を感じました。
 交流軸を意識した戦略的な交通インフラ整備は、紀伊半島の外延部にある三重県では特に重要な視点だと思います。ただ、近年いわゆる「公共工事悪玉論」が盛んになってからは、この種の議論自体があまりされなくなってしまったように感じます。

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