2015年7月12日日曜日

戦後日本を縛る「40年体制」

【読感】戦後経済史 私たちはどこで間違えたのか 野口悠紀雄著 (東洋経済新報社)

 結論から言うと、必読の本です。

 安倍政権になって、いわゆるアベノミクスと呼ばれる経済政策によって、とにもかくにも経済は上向いてきました。これは評価すべきことですが、集団的自衛権法制化の問題とか、例の「マスコミを懲らしめる」と威勢のいい党内勉強会とか、新国立競技場問題とかの、ある種の「驕り」というか「ほころび」が目立ってきたように思えるのは気になるところです。

 一般的に、現代の日本が抱えている課題はよく「55年体制」の限界である、などと言われます。55年体制とは、単独多数の自民党による成長優先の経済政策と、日米安保体制を核とした外交政策が中心の政治体制のことをいうわけですが、この本の著者である野口さんによると、日本が突き当たっている矛盾は、実は55年体制が確立するよりも以前の1940年(昭和15年)に原型が形づくられたものです。
 この「40年体制」は、太平洋戦争の敗戦による大日本帝国の崩壊と、民主国家への再編成の過程でも潰されることなく生き残り、奇跡と言われた戦後日本の高度経済成長を支えたのです。
 では、40年体制とは一体どのようなものでしょうか?


 詳しくはぜひ本書をお読みいただきたいのですが、簡単に言えば、政府の一部の高級官僚たちが中心となって、太平洋戦争を遂行するために政府が国家、国民のすべての資源を集め、管理し、配分する、という「国家総動員」と「国家経済統制」による国家運営体制のことです。
 その発案者の一人が、何を隠そう安倍首相の祖父にあたり、戦後に総理大臣も務めた岸信介です。
 意外に思えますが、明治時代から始まった日本の近代資本主義は、経営者(企業家)の自主性が重んじられており、経済政策も基本的に放任主義、自由競争主義でした。
 しかし、第1次世界大戦から、列強諸国の戦争は、兵器の研究開発のための科学技術や、兵士、さらに軍需物資製造のために多数の国民の動員が必要となる「総力戦」というスタイルになります。
 これに最も効率が良いのは、戦争を起こす「政府」が企業や民間の経済活動を統制し、軍事に必要な産業分野を振興し、不要な産業は抑制することです。このために、岸たちは(彼らは当時「革新官僚」と呼ばれていました)民間の経済活動に積極的に介入し、さまざまな自由主義的な制度を変更して、統制経済を敷いていきます。
 この時に革新官僚が着手した改革は、日本が戦争に敗れたあともそのまま引き継がれました。
 たとえば、「農地改革」がそうです。戦前の日本の農村はたくさんの土地を所有する地主が小作人に農地を貸し、収穫の中から小作料を徴収することで成り立っていました。地主は働かずして富み栄え、大多数の小作人はいつまでたっても生活が豊かになりません。このことは多くの兵士を戦場に送っていた農村の不満の種であり、これを解決することは農村の民心安定や食料(お米)の安定生産のため、つまり戦争遂行のためにどうしても必要だったのです。
 そこで革新官僚たちは昭和17年に「食糧管理法」を制定します。農民(小作人)はお米を地主にでなく国に供出することが義務付けられ、小作料は国が定めることとしました。これによって盤石だった地方の地主階級の地位は大きく低下していきます。戦後、GHQの指導で実施された「農地改革」は、これを後押しするものでしかなかったのでした。
 
 このほか、日本の会社、特に大企業の特長だといわれる間接金融中心主義とか、終身雇用制度とか、企業別組合、といった制度も、さらには国民年金・厚生年金とか医療保険制度などの福祉政策も、その多くは国家総動員体制のいわゆる「40年体制」で法制化されたり、制度化されたものです。

 では、なぜ、このような40年体制は戦後も引き継がれたのでしょうか。革新官僚たちは戦後、公職追放され政府の要職にはありませんでしたし、何より占領軍(GHQ)が戦争遂行体制の解体を強烈に推し進めていたはずなのにです。

 野口さんの推測はシンプルです。それは、占領軍はよくよく日本のことを研究していました ~ベネディクトの「菊と刀」という本は今も有名です~ が、とは言え、行政のこまごました法律や実務にまで精通していたわけではありませんでした。
 いかに占領軍であろうとも、実際の日本の統治は日本政府が行っており、それには膨大な行政のノウハウが必要です。実質的に、日々の行政実務は官僚たちに任せる以外にはなく、首魁は追放されていたとはいえ、「国民統制」的な哲学と制度は生き残ったのです。
 終戦当時は外国語が放せる人は日本にほとんどいませんでした。その数少ない人たちは官僚なのですから、自分たちに都合のいい説明をして、GHQの牙を抜くこともたやすかったかもしれません。

 そして、もう一つ、この40年体制が生き残った大きな理由があります。
 それが、日本の戦後の国家目標は「経済的な繁栄」であって、それはやはり一種の戦争だったということです。経済戦争を勝ち抜くために、日本は戦争で培った国家統制を有効に使いこなすようになっていくのです。
 それが、焼け野原から生産を復興させる際の「傾斜生産方式」であり、輸出産業振興のための「外国為替管理」でした。
 企業家たちが自主的・自立的に経営判断をして事業拡大していくのではなく、官僚が自分たちの裁量で成長産業(企業)を決めて、そこに資金も原材料も集中投下する社会主義的な経済政策によって、朝鮮戦争の特需を経て、結果的に日本経済は戦前をしのぐほどに成長していきます。
 この成功体験が、その後の日本を縛ることになってしまいました。いまだに政府が「成長戦略」などと言い、経済活動のイニシアティブを取ろうとし、それを民間企業も望んでいる、というもたれあいを続けているうちに、日本の多くの産業は世界での競争力を失いつつあります。

  本書の中では、昭和20年3月の東京大空襲で九死に一生を得、その後東大工学部(!)を卒業してから大蔵省に入り、経済・金融政策の第一線で高度成長を体感した経験を持つ野口さんが、その後、大学教授に転身し、世界の常識と日本の40年体制との矛盾や限界を強く感じるようになる様子が、時代時代の出来事や世相の紹介、さらに、その時の野口さんの暮らしの様子なども交えて解説されます。
 まさに、日本の高度経済成長、ニクソンショックと石油危機、バブル経済、失われた20年、と、日本経済は成長と停滞をリアルタイムに実体験されたきた様子がたいへん生き生きと描写されています。
 戦後の日本経済の出来事と流れをおさらいし、なぜこうなったのか、今後日本はどうすべきなのか ~当然、官主導経済である40年体制を壊さなくてはならないことになります~ について非常に有益な示唆が得られる本です。

はんわし的評価(★★★) 

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