2015年8月29日土曜日

「地方創生ブーム」から学ぶこと

 今朝、何気にテレビをつけたら、読売テレビ系列の報道バラエティ「ウェークアップ!ぷらす」で、今全国で流行している「プレミアム商品券」の経済効果みたいなテーマを取り上げていました。
 去年12月に閣議決定された緊急経済対策で、アベノミクスによる経済の好循環を全国に拡大することを主眼として、地方の消費を喚起策として2500億円の財源が全国の自治体に交付されました。
 この交付金は使い道は原則として自治体に委ねられているものの、国からは「たとえばこのような用途に使えます」といった例示がありました。その中にプレミアム商品券があったため、全国で1739もの道府県や市町村、特別区がプレミアム商品券を発行しているのです。
 ウェークアップ!ぷらすでは、名古屋市が発行したプレミアム商品券が市民に大人気で、66億円分が即日完売したこと。その一方で、地域内での波及効果に重視して地元商店街での使用に限定した商品券を発行した香川県高松市などでは、多くの売れ残りが出ていることが報じられていました。
 なぜか三重県も取り上げられていて、県内のホテル・旅館の宿泊費が半額になる「プレミアム旅行券」を県が販売した結果、鳥羽市のホテルでは夏休み期間中の宿泊者数が急増したことや、東京にある三重県のアンテナショップ限定で使用できる、何とプレミアム率4割(!)の商品券を発行し、買い物客が3割増加したことなどが肯定的に取り上げられていました。



 ただ、コメンテーターである元金融庁長官の五味廣文氏は、商品券の消費喚起効果には懐疑的であり、同じく女優の中江有里さんも、商品券が買える人と買えない人で不公平が生じることを指摘し、司会の辛坊次郎さんも、「よそもやるからうちもやる」という思考から地方自治体が抜けられないことが大きな問題、みたいな結論でしめくくっていました。
 自治体も当事者は一所懸命なのだとは思いますが、地方創生に関して巨額の交付金がばら撒かれる中、またぞろ公共工事とか、プレミアム商品券のようなアイデアしか出てこないのはなぜでしょうか。 

 それは、わしが思うに、「地方創生」には解がないからです。
 人口減少とか、過疎化高齢化はもう20年以上前から地方(中山間部などのいわゆる田舎の地域)では不可逆的に進んでおり、今までも過疎対策、辺地対策、ふるさと創生事業、ウルグアイラウンド対策関連事業などなど、多くの対策が講じられていきました。
 しかし、抜本的な解決には至りません。道路を作っても、工場を誘致しても、観光施設を作っても、子どもの医療費を無料にしても、大勢にはほとんど影響ありませんでした。
 つまり、地方自治体レベルでは、思いつくことはすべてやり尽くしてしまい、これ以上何か新しいことをやれと言われても、地方創生の具体的なイメージがもはや描けず、したがってほとんどアイデアが出ないし、そもそも住民側の担い手がいなくなっている ~いうまでもなく若い人がいないから~ のです。
 したがって、取り得る対策は「横並び」にならざるをえません。

 今回の地方創生は、子ども増やすため、婚活(若い夫婦を増やす)、子育て支援(子供を産みやすくする)、就労支援(地方で働き場所を増やす)、そして女性活用(共稼ぎで経済的なゆとりを作る)という一連の施策が強化されています。
 ただ、これもやはり全国で横並びなので、いかに受け入れ態勢が整っているか、いかに多額の補助金が出るか、などしか差別化要因がなくなっており、早くもチキンレース化しています。
 地方自治体の財政基盤は脆弱なので、大都市周辺の産業都市以外は、国の交付金がなくなれば、婚活や移住促進事業などは継続することが難しくなります。実際は、このような事業こそ、細く長く、最低でも10~20年先を見据えて取り組まなくてはいけませんが、ない袖は振れません。国は平成28年度の地方創生交付金を大幅に削減する見通しです。あと2~3年すれば、「成果がない」と結論付けられ、市町村立の婚活センターは次々姿を消すでしょう

 このような悪循環に陥る最大の理由は、日本国内の個性豊かな地方を残すべきだ、という価値観すらも、長らく続いてきた地域活性化策の失敗の連続(表現が悪ければ、行き詰まり)を目の当たりにする中で、国民間、住民間での共有が難しくなっているからでしょう。
 日本社会は成熟しています。多くの国民は、総論としては地域活性化に賛成でも、本当に地方都市の中心市街地の活性化や、過疎地域とか辺地の小集落を守ることができるのか、その必要があるのか、と突き詰められれば、「なくなっても仕方がない」と考えていると思います。(もちろん、このような地域の縮小で職を失う市町村長や議員、公務員などは失業問題となるので真剣にならざるを得ませんが、本音では彼らとて、20年後に地域が残っているかと問われれば、半信半疑だと思います。)
 経験的かつ合理的に考えてそうならざるを得ません。

 なので、抜本的には、地方の活性化策は、その必要性の議論も含めて住民自身で話し合い、まとめていくしかありません。それに50年かかるか、100年かかるかはわかりませんが、戦後50年かかって地方は衰退してきたのですから、解決にもそれと同じ時間がかかるのでしょう。
 住民による発意の準備ができない間は ~住民たちの覚悟ができない間は~ まだまだ衰退モードは続くでしょう。国が手を差し伸べている間は誰も本気で考える必要などないからです。

 今年は太平洋戦争終結70周年で、マスコミの報道は戦争の悲惨さを伝えるものとともに、なぜ日本は負けることが確実な戦争に突っ走ってしまったのか、破滅するとわかっていて止められなかったのか、について国策の意思決定を検証する内容が多かった気がします。(これもある種の社会の「成熟」のせいでしょうか。)
 今、地方創生が、まさしく当時の「聖戦」のようなイメージになりつつあるように感じます。地方は活性化を望んでいるはずで、それに疑いをさしはさむことは許されない。国(政府)の財政はほぼ破綻しているのに、それでもその建て前のためにカネが投入し続けられる。
 あと数年したら、合理的な政策論議は放棄され、精神論が横行するようになるでしょう。
 「津市で生まれた者なら、津市内で進学して、津市内で就職し、結婚し、3人子どもを設ける。それが市民の務めだ。」などと言って。 
 

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