2015年8月30日日曜日

存在感薄れる都道府県

 一週間ほど前の日経新聞、時流地流と言うコラム記事に「存在感薄れる都道府県」というものがありました。秀逸だったのですが、書くタイミングを逸していたので簡単にメモしておきます。
 概要は次のようになります。関心がある方は、図書館ででも探して、ぜひ日経の朝刊をお読みください。

・8月20日の岩手県知事選は現職が3選されたが、有力対立候補が直前で立候補を断念したことから無投票当選だった。県民は知事選を通じて県政に意思表示する機会を失った。最近の知事選はどこも投票率が低く盛り上がりに欠けていて、4月の統一地方選の10道県の平均投票率は47.14%で過去最低となった。
・梶原拓(当時岐阜県知事)や麻生渡(同福岡県)などが会長を務めていた9年ほど前の全国知事会は、政府に対してさまざまな改革案を提示して注目されていたが、現在の知事会には当時のような躍動感がまったくない。
・今年7月に開かれた全国知事会議も、地方創生に関する宣言などを求めたが新味に欠けメディアの扱いも小さかった。知事会の低調ぶりは、都道府県そのものの存在感の低下を映している。知事選の投票率は総じて市長選より低いことも関係するのかもしれない。


・参院選の一票の格差を是正するため、鳥取と島根、徳島と高知がそれぞれひとつの選挙区になる。現憲法下で都道府県単位の選挙区が統合されるのは初めてだが、格差はまだ残るので合区は今後も増えるだろう。
・現在の47都道府県の区割りは明治21年に作られたもの。合区はその根本を問う出来事だろう。都道府県という枠組みは形式的にも、実質的にも揺らぎ始めているのかもしれない。

 これは、わしが県庁で働いていて日ごろ感じているぼんやりとした感覚と一致します。
 改革派知事たちが活躍していた十数年前は、三重県の北川正恭知事は地方分権改革の旗手でしたし、橋本高知県知事、片山鳥取県知事など、知事会の顔になる政治家たちがいました。
 全国知事会や中部圏、近畿圏ブロックでの知事会では、税制改革や権限移譲要望など地方自治の本旨にかかわる論点がテーマ出しされていました。これらの議題の詳細な資料作りは、わしらのような末端の県庁職員にも作業が降りてくるのですが、国の厚い壁はとても乗り越えられないだろうというテーマもあれば、首都機能移転みたいな荒唐無稽なテーマもあっていろいろでしたが、とにかく天下国家を論じている、といった感じを受けたものです。

 これに比べ最近の知事たちが総じて小粒な印象なのは否めません。国と闘って地方の要求を分捕ってくる、と言う気概は失われ、予算の要望や政策への提言といった現実的な妥協案が中心となってしまいました。
 改革派知事たちのチャレンジも、結果的に県民や県行政にとって実はそれほど大きなメリットを生んだわけでないという実証的な研究もあって、地方分権改革へのロマンが潰えてしまったり、そもそもそんな難しいことは考えないタイプが増えてきたのでしょう。
 日本の強力な中央省庁主導の政治システムは変えようがなく、これを所与の条件として、自らの政治理念を推し進めるより、国と妥協していくほうが経済的な実利を得やすい、ということが現在の知事たちのコンセンサスになっているかにも見えます。

 時流地流も書くように、そもそも都道府県の区割りはもともと明治時代の国(内務省)の出先機関として制度設計されたものです。現在の生活圏や経済圏とはかなりかけ離れてしまっています。交通インフラや通信が発達し、また市町村も合併などで広域化したので、空間感覚も大きく変化しています。複数の市町村にまたがった広域的な行政を県が行わなくてはならない必然性は薄れ、河川管理や道路管理、高校や特別支援学校の経営なども、市町村の組合でできないことは決してありません。
 そうあれやこれや考えていくと、高校野球の甲子園でのトーナメント戦がさまになるためには50チームくらいないと盛り上がらないとか、もはやそれくらいしか都道府県の役割、すくなくとも空間的な位置づけはなくなっているといっても過言ではないでしょう。

 このように県の「存在感」が薄らいでいる中、憲法違反状態と最高裁から指弾されている一票の格差を早急に是正するために、県境を越えた選挙区を創設することもまた、世間からはほとんど反発なく受け入れられました。
 前述のように県民生活はすでに県レベルにはとどまっていません。国政を論じる上では、むしろ複数県域の選挙区民の総意をベースにした方が実情に合っている可能性さえあります。

 おそらく、次に争点となってくるのは、EUにおけるギリシャと同様の問題ではないでしょうか。つまり、日本国内における各県の県内総生産(GDP)の高低についての処遇です。
 ギリシャはGDPが他のEU圏の工業国に比べて低く、財政赤字も深刻で、仮に独自の通貨を発行し続けていれば、通貨安と高金利が避けられませんでした。これがEUに属していることで、信用力の高いユーロ圏内にあって、本来の経済力ならずっと高くなるはずの物価などのデメリットを免れていたわけです。しかし、国家財政が破たん直前に追い込まれたことで、このリスクヘッジの仕組みがヨーロッパの経済実態に即していないとして批判を浴びることになりました。
 これと同じ問題は、本質的に国内の都道府県にもあるわけです。今は政府が通貨を一元発行し、財政的にも財源の調整(均衡化)を行っていますが、実態としては都道府県の県内総生産には相当な差があり、財政力を丸裸の実力で比較すれば、県組織の持続運営が相当に難しい県もきっとあると思います。(北海道や沖縄県などがそうで、おそらく国による財政再調整機能がなければ、現在の制度のままでは自治体を運営することは困難でしょう。)

 今までも都道府県の広域化は、たとえば道州制議論とか、関西広域連合の動きなど、色々なものがあったわけですが、これらのように3つも4つも5つもの府県が合併するためには合意形成に時間がかかります。
 しかし、国(政府)は1000兆円を超える財政赤字を抱えており、財政が破綻するのはほぼ確実なので、そうなった場合、財政力の弱い(=自力での資金調達力、つまり信用力の弱い)県は合併して生き残りをめざす以外にないことになります。
 これはまったくあり得ない想像でしょうか。
 都道府県はギリシャとは違う。財政の自主権はなく、税や交付税など国の財政と直結しており、信用力も担保されています。しかし、10年後も今のこの制度のまま47もの「中2階」が生き残れると、わしには思えないのです。

 地方自治のあり方、とくに都道府県の広域化については、財政力の違いが引き金になって、わりと速いスピードで進んでいくのではないか ~一例として、財政力が似ている三重県と滋賀県と岐阜県が一つになり、貧乏な県がいるグループに引き込まれないようにする、などのように~ と考えています。

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