2015年8月14日金曜日

山中光茂松阪市長が辞表を提出、9月で辞職へ

 市議会との対立を理由に、以前から自らの辞任を公言していた三重県・松阪市の山中光茂市長は、8月13日、市議会議長あてに辞職願を提出しました。辞職は9月30日付けとなります。
 記者会見では「政治の世界から身を引く。再出馬はない。」と述べ、政界からの引退を表明したとのことです。
 山中市長が提案した市立図書館の改修を巡って、市議会は執行部が提出した予算案を3度にわたって否決したことから、山中市長は今年3月に「議会の姿勢が現状のままでは、責任ある行政執行ができない。」として辞職を示唆していました。

 しかし6月になって市長を支持する市民グループが、市議会の解散請求(リコール)に向けた署名活動を開始。市長は市議会解散が実現すれば職にとどまる趣旨の発言をしたことから、この署名に住民投票に必要となる法定数(有権者数の1/3以上)が集まるかが注目されていました。

 署名は市民グループから7月末に松阪市選挙管理委員会に提出されましたが、精査の結果、署名は法定数に達しておらず、リコール不成立が確定したための決断となったようです。

 わしはたまたま署名活動の時期と同じタイミングで、山中市長が、憲法学者である小林節氏(慶應大学名誉教授)と共著した たかが一内閣の閣議決定ごときで 亡国の解釈改憲と集団的自衛権 (皓星社) を読んだので、レビューしておきます。


 安倍内閣と自民党がすすめている、平和安全法制整備法案と国際平和支援法案の議論ですが、その出発点となっているのが昨年7月に閣議決定された、日本と軍事同盟している他国が武力攻撃された場合で、日本に明確で重大な危険が迫っている場合には、軍事力を行使できるとした、いわゆる「集団的自衛権行使容認の閣議決定」です。
 中国の海洋進出や北朝鮮の核武装といった我が国周辺での軍事的緊張が高まっている中で、
・すべての独立国に集団的自衛権があることは、個別的自衛権と同様、国際社会に認められており、このことは日本国憲法には違反しない。
・しかし政府は長らく集団的自衛権は有しているものの、憲法の制約により行使はできないという立場であった。
・紛争抑止のために集団安全保障の意義が高まっており、日本も他国からの脅威を防ぐためには(もともと保有している)集団的自衛権を一定要件の下で行使することはやむを得ない。
・この行使は自衛のための目的に限るものなので、憲法に違反しない。
 という意見があります。
 その一方で、
・集団的自衛権の行使は、自存自衛のための個別的自衛権の行使とはまったく異なった次元の軍事戦略であり、憲法に違反する。
・集団自衛権行使のために政府が定める発動要件はあいまいなもので、具体的な判断は時の内閣に委ねられる。国会や国民の判断を聞く余地がなく、濫用される危険が大きい。
・政府が集団的自衛権行使が必要と想定する事例(たとえば戦争時のホルムズ海峡での掃海行動など)は、そもそも日本の個別的自衛権の行使で対応でき、集団的自衛権とは関係がない。
 などの意見もあり、国論は二分されている状況です。

 この本は昨年の秋、まさしく集団自衛権行使容認の閣議決定が行われた直後に、山中市長と小林さんが対談したものをまとめたものです。
 小林さんは憲法9条改正論者として有名な学者であり、わしもどちらかというと閣議決定には賛成しているのかと思っていました。しかし本書を読むと、決して好戦的(?)なわけではなく、むしろ今回のように無限定に時の政府の憲法解釈が逸脱してしまうことを防ぐ意味で、既成事実としての自衛権の存在やそのための武力の保持と行使を、明確に憲法に位置付けるべきだとする「護憲的改憲論」を唱えています。
 安倍内閣による事実上の解釈改憲を、憲法を骨抜きにする姑息な手段だと厳しく批判しており、保守政治家であるなら、国民的議論を起こして正々堂々と国民投票によって憲法を改正すべきだと主張しています。
 現憲法は施行以来68年を経過しています(これは旧大日本帝国憲法の実効期間55年間を上回っています)。制定当時は想定されていなかった、プライバシー権や環境権など新しい権利の不備も指摘されており、わしも小林さんのいう改憲の必要性は正論だと思います。

 このような法解釈的な議論のほかに、本書では憲法による平和主義を戦後の日本が貫いてきたことにより、アメリカの軍事傘下に実態としてはありながらも、キリスト教対イスラム教といった大きな世界対立から中立を保て、世界各地で日本のPKOや経済援助が受け入れられ、世界の信頼を勝ち得てきたことが強調されます。
 「戦争をしない国・日本」は、これが国是となって、国民も文化的・経済的発展に邁進でき、世界からも認められてきました。これを修正して集団的自衛権行使を認めれば、日本は「アメリカの二軍」と世界に認識され、イギリスやスペインがそうなったようにテロの標的とされるでしょう。
 
 本書は視野が広まる一冊であるとともに、対談形式で読みやすいので、夏の暑い時期向けの本とも言えます。(はんわし的評価 ★★☆)

 もう一つ、本書でわしが関心を持ったのは、山中市長による、「市長の分際で国政に口を出すな」という ~比較的日本ではよく耳にする~ 意見に対する一連の問題提起です。
 ひとことで言えば、住民の生活、福祉、教育などといった暮らし全般に関わる基礎的自治体の首長であるからこそ、それを根底から左右しかねない国政のあり方には積極的に意見表明するべきだと主張しています。
 また、地方分権の議論が進まないのは、実質的に分権は完了しているからだとも言います。制度の大枠を決める国と、制度を執行する市町村に二分化しているからです。道府県は単なる「中二階」であり、もはや何の調整機能も果たしていません。
 わしもこの論には基本的に同意見で、自治体の長は(知事であろうと市町村長であろうと)政治家であって、自分の政治信念を明らかにし、国政にも意見を(国への予算陳情ではない)述べていくべきと思います。県が道路・河川管理や高校の運営、産業振興などに業種と権限を適正化すべきだとも思います。

 山中市長の市政運営手腕に市民からの賛否両論があることは、市民でないわしにもよく聞こえてきます。議会対応に見られるように、敵対する勢力とは一切妥協しない姿勢がかたくなであるとか、心ある市民や市職員の諫言も聞かないとか、何事につけトップダウンで決めてしまうといった唯我独尊なきらいがあると聞く一方、国や県に対しても筋の通らないことはモノ申す姿勢とか、市政情報をオープンにして意思決定に市民を参加させる手法などに高い評価があることも事実です。
 しかし、一方で、国に予算をくれくれとのお願いばかりしている首長(知事や市町村長)や、それは国政の問題で意見が対立しているから私見は言わないなどとダンマリを決め込む首長、自分は県の宣伝部長であり企業やイベントを誘致したり物産を売り込むトップセールスこそが仕事だなどと放言する首長も多く実在します。残念なことです。
 山中市長は政界を完全引退すると言っているようですが、そう言わず、ぜひ市の域を越えて地方政治の世界で活躍していただきたいものです。

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