2015年9月1日火曜日

伊勢神宮の新しさ

【読感】神都物語 伊勢神宮の近現代史 ジョン・ブリーン著 吉川弘文館

 伊勢神宮をお参りするときに「願いごとをしてはいけない」のは、伊勢など地元の人々にとってよく知られている常識です。

  内宮の祭神である天照大神は天皇家の祖先であり、民族、国家の始祖である。したがって個人的な願い事などでなく、我が国の平安と皇室の弥栄こそを祈るべきものである。ただし、荒御魂を祭っている別宮の荒祭宮においては、自分がこれから何かの(プライベートなことでも)目標に向って努力することを誓う祈りは許される。
 というものです。
 なるほどと思いますし、最近はSNSでこの種の「雑学」も拡散するので、これを守ってお参りしている方も多いでしょう。

 しかし、この常識は意外にも新しいものです。弥次さん喜多さんなど多くの庶民が参宮に訪れていた江戸時代、参拝客の伊勢神宮に対する認識は「日本で一番偉い神様」「全国の神社の総本山」といったもので、祈ったのはもっぱら現世利益でした。天皇の存在感自体が希薄なこの時代、伊勢神宮と天皇の関係など庶民のほとんどは知る由もありませんでした。 
 なので、江戸幕府が崩壊して、天皇制の下に新国家を建設することとなった明治政府が伊勢神宮に求めたのは、天皇を伊勢神宮以上の存在に神格化して国民を教化することでした。
 つまり天皇の神聖性を強調する手段として、伊勢神宮の知名度を最大限活用したのです。


 伊勢神宮は遅くとも7世紀には成立しており1400年以上も続く歴史を有しています。しかし時代に従ってその姿は大きく変化していて、この本の著者であるジョン・ブリーン氏も書くように「むしろ非連続性と断絶が際立っている」という不思議な ~それゆえ奥深い~ 存在でもあります。
 伊勢は政治的にも社会的にも文化史的にきわめて重要で、変容が特に激しい明治から戦後にかけての伊勢神宮の姿は日本の近現代史と密接に関係しています。ところが、近世以前に比べて近現代の伊勢に関する研究は、神道関係者以外によるものはほとんどありません。そこでブリーン氏が、明治末期から伊勢(当時の宇治山田市)を言い表す代名詞になってきた「神都」という概念をキーワードに、近現代の伊勢を通説したのが本書だということです。

 内容は大きく、明治時代、大正・昭和初期、昭和戦後の3つに別れます。

 まず明治初期、政府が目指したのは天皇の存在と伊勢神宮の神聖さを蒙昧な庶民に知らしめることです。あまりの神威の強さを恐れた天皇の命によって都から遠く離れた地に祭られた由来を持つ伊勢神宮は、天皇本人が直接参拝することが長らく禁忌でした。これを破ったのが明治2年、天皇の歴史で初となる明治天皇による親拝です。これ以後、明治、大正、昭和、平成天皇はたびたび伊勢神宮を親拝することになります。
 旧弊を破った伊勢神宮は、内宮の権禰宜であった浦田長民の主導によりドラスチックな改革に着手していきます。仏教の徹底的な排斥、内宮と外宮の序列化、世襲神職(御師)制度の廃止、皇室行事を伊勢神宮の祭事に取り入れる儀礼改革などを断行したのです。
 しかし、このような急進的な改革の結果、地元は混乱し、その結果として参拝者が江戸時代の半分ちかくまで激減する事態となってしまいます。
 参拝者に経済を依存している伊勢にとっての影響は深刻で、いかに参拝者を呼び戻すかが大きな課題となりました。

 この中で生まれてきたのが「神都」の構想です。伊勢(宇治山田)を都市改造し、公園や道路、博物館などを建設して、近代的な宗教・文化・観光都市に、つまり「神都」に蘇らせようとしたのです。
 この中心となったのが伊勢の実業家、太田小三郎が発起人となった財団法人神苑会という民間組織です。意外なことに、伊勢の都市開発は官主導ではなく民間を中心としたものでした。
 現在の内宮宇治橋付近の景観整備や、外宮の勾玉池の造成、そして両宮を結ぶ現在の御幸道路(みゆきどうろ)の建設、神宮徴古館、農業館の建設など、今に続いている都市インフラは神苑会によって整備されました。

 その後、昭和初期になると3本もの鉄道開通と、軍国主義の勃興による参拝の奨励、なかんずく関西の小学校で修学旅行先として伊勢神宮が奨励されたことなどもあって、参拝者数は空前の増加を見せます。国家神道としての伊勢神宮の隆盛のピークが、昭和4年に盛大に行われた第58回式年遷宮でした。
 そして、太平洋戦争の敗戦。
 内宮境内に陳列されていた日露戦争の戦利品(大砲など)が急いで処分され、占領軍(GHQ)による伊勢神宮への干渉を回避するため、神宮の民主化改革が急ピッチで進められます。
 大きな問題となったのは巨額の費用が必要な式年遷宮の斉行でした。第59回が昭和24年に迫っていたからです。政教分離により国庫からの負担が望めなくなると、神宮当局は広く国民からの募金を集めて難局を乗り切ろうとします。この時に用いられたのが、「常に庶民の崇敬を集めてきた、平和と繁栄の女神を祭る伊勢神宮」というイメージ戦略でした。伊勢神宮は戦後民主主義のおかげで、再び江戸時代の庶民の信仰に先祖返りしたのでした。

 本書は非常に興味深い内容です。何度も伊勢神宮に来ている方や、ありきたりのガイド本に物足りない方にはぜひおすすめします。
 著者の専門領域とも言える、明治初期の伊勢神宮廃止論や大廟化論といった論争や、国民教宣のための神宮教院の成立と衰退、神祇官~教部省~内務省への所管の変遷などなど、他にも興味を引く論稿がいろいろありました。
 また、式年遷宮に対する新聞報道の変遷も非常に関心がもてます。国家神道全盛の戦前の方が記事は小さく、おそらく国民の関心も低かった。むしろ戦後になると平和の象徴として式年遷宮が取り上げられ、直近の第62回遷宮(平成23年)は過去最大の洪水的報道であったことが実証的に解説されます。
 伊勢神宮は、実は新しく、世につれ人につれて大きく変質しているのでした。

 はんわし的評価(★★☆)


<補足>
 戦後の神宮の民主化については、伊勢市産業支援センターの沢村センター長から非常に示唆に富む話を伺ったことがあります。(はんわしの評論家気取り 伊勢参宮客の変化 2015年5月26日

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