2015年10月18日日曜日

鳥羽・賀多神社の遷宮祭

 鳥羽市の中心市街地・本町(ほんまち。現在の表記は鳥羽1丁目)にある賀多神社は、今年20年に一度の遷宮を迎えました。わしの実家も賀多神社の氏子の端くれなのですが、金銭的にも労務的にもほとんどまったく協力はできませんでした。
 しかしながら、地元の方のご配慮により、一連の遷宮行事のクライマックスといえる遷宮祭、つまり神様の新しくなったお宮へのお引越しの儀に立ち会うことができました。大変かたじけないと同時に、わしの生涯、おそらくもう二度とこのような貴重な機会はないと思うのでレビューしておきます。

 賀多神社はわしにとっては子供の頃の遊び場で、思い起こせば40年ほど前、小学生だったわしは子供木遣りか何かで遷宮の行事に参加したことがありました。(子供だったので、遷宮だのなんだの意味が分からず、ただ毎日のように夜、男の子が集められて木遣り歌の練習をさせられただけの記憶があります。)
 その時から2回目の遷宮に当たるわけですが、鳥羽市も中心市街地とはいえ少子高齢化、人口減少は恐ろしい勢いで進んでおり、行事の中で遷宮の実行委員長がたびたび挨拶した中でも、人もカネも十分ではない中で、大変に苦労した遷宮であったことを再々述べられていました。

 三重県神社庁のホームページによると、賀多神社は奈良時代の神亀元年(724)のご鎮座といわれ、古くは八王子社と称して天照大神の五男三女神をお祀りしていました。明治4年(1871)に名称を賀多神社と改め、明治40年には近郷の12社を合祀して今日に至っているそうです。
 今から約300年前の元禄4年、鳥羽の町に疫病が流行しました。これを払うための神事能を奉納したことがきっかけとなり、1707年(宝永4年。赤福の創業した年!)から、能が奉納されるようになりました。
 貴重な能面・装束・小道具類が多く現存し、組立式の能舞台は全国に2例しかないそうで、能面類や舞台のいずれも三重県の文化財に指定されています。
 また、境内入口には樹齢約400年の杉があります。これは豊臣秀吉が朝鮮出兵した際に、鳥羽城主であった九鬼嘉隆は軍船「日本丸」率いて参戦しましたが、この船は神託により境内の大樹で造ったものであったため、帰国凱旋した嘉隆は、報恩のため境内に杉千本を植樹し、その一本が現存しているものだとのことです。

 遷宮祭は、川原大祓いという、宝物をお祓いするための行列から始まりました。実際にはこれ以前にもっといろいろなお祭りや準備はあったはずですが、わしはとにかくここから参加。
 数十名が礼装で参加します。雨が心配されましたが天気は何とかもちました。










 賀多神社から本町通りを通って、鳥羽駅近くの鳥羽マリンパークまで行進しました。
 参加者は手に手に、宛がわれた宝物や、太鼓、提灯などを持ってぞろぞろ歩いてゆきます。
 鳥羽は観光地で、この日も週末で多くの観光客がいたはずなのですが、ミキモト真珠島や鳥羽水族館がある海沿いの観光ゾーンではなく、線路の高架を隔てて市街地側でやっていたため、ほとんど観光客はおらず、あくまで氏子関係者だけの地味なイベントでした。
 祝詞をあげ、お祓いをしてもらい、今度は新神殿に備えるために、同じように神社へと戻ってゆきます。



 神社へ帰着後、宝物の献上、そしてクライマックスである遷御(せんぎょ)、つまりご神体のお引越しが行われました。
 わしは川原祓いに参加していたので関係者扱いとなり、本殿の前でこの行事を拝観できました。
 伊勢神宮の遷御は深夜、浄闇の中で行われますが、賀多神社は午後3時頃でした。しかし、ご神体は幕で隠されて遷られ、間近で見ていたわしも中の様子はまったくうかがえませんでした。
 御饌が備えられ、祝詞奏上、参拝、などなどの行事がしばらく続き、約1時間半で終了しました。
 神職を含めて100人近くの関係者が見守る中で、厳かに、しかし時おり手づくり感もあって、町内を守って下さる鎮守の神様としての親しみも湧くような神事でした。
 行列の模様は、今日(10月18日付け)の県内の新聞でもいくつかが報じています。

 そして今日は、奉祝祭として、文化財である能舞台で、狂言、仕舞、能が奉納されています。能は夜間にかがり火で照らして行う薪能で、今ちょうど上演していることだと思います。
 わしは、子どもたちが鳥羽の伝統文化を承継しようと練習を重ねてきたという狂言(伊呂波しびりの二題)を拝見してきました。

 奉祝祭は、木遣り歌から始まりました。
 賀多神社は谷合にあるのですが、歌声が朗々とこだまして、あたりの空気が凛とするような、非常に感動的な木遣りでした。


 次いで、子どもたちによる狂言。
 能は、お面をつけているのでセリフが聞き取りにいとか、題材が高尚でアブストラクトなものが多いのでとっつきにくいのですが、狂言はいわば「コント」であり、現代でも共通するテーマなので、なかなか楽しめます。


 演じているのが小学生くらいだと思いますが、200名以上はいるであろう観客の前で、長いセリフ、しかも現代語ではなく、なになにでござろうぞ、のような古文なので、これはきっと大変な練習を重ねてきたのだと思います。
 
 以前このブログに書きましたが、少子高齢化、地方都市の活力低下という問題は、日本を代表する民俗行事である伊勢神宮の式年遷宮にも大きな影響を与えています。関係者は、次回の遷宮、つまり20年後は今とは全く違った遷宮行事になるだろう、とお話ししてくださいましたが、くしくも賀多神社でも関係者から同じ話を聞きました。
 この子たちが賀多神社を引き継いでいってくれることを願いますし、そのためにわしら大人ができる限りのことをしておかなくてはいけないと強く感じました。


■はんわしの評論家気取り  伊勢参宮客の変化(2015年5月26日)



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