2015年12月31日木曜日

「戦後の終わりの年」の始まり

 あと数時間で終わろうとしている今年、平成27年(2015年)は、戦後日本の出発点となっている太平洋戦争が終結した昭和20年(1945年)から70年目に当たる、節目の年でした。
 先の戦争に関するドキュメンタリーや考察、体験談がテレビや新聞・雑誌に多く取り上げられ、行政や市民団体主催のセミナーやイベントなども多くありましたが、そこで異口同音に言われていたのが、戦争の実相を知らない若い世代に伝えることの難しさであり、それゆえに絶望しそうになりはしても、それでも戦争の悲惨さは後世に語り継いでいかなくてはいけないという固い決意でした。
 同時に、日本が集団的自衛権を行使できるとした安全保障関連法が国民の意見が大きく分かれるなかで成立し、国防に関してはいわゆる戦後的な体制から大きく踏み出すことになった、画期と呼ぶにふさわしい年でもありました。
 わし個人的にもさまざまなことがありましたが、読み返した本の中で、この ねぼけ人生 水木しげる著(ちくま文庫)からは得られるものが多かったのでメモしておきます。著者の水木さんは今年11月30日、93歳でお亡くなりになっています。


 この本は、要するに水木しげるさんの、出版された昭和57年の時点で60歳までの半生をつづった自伝です。
 鳥取県境港市で出生し、幼少のころから奇矯な言動で「変わった子供」として知られていました。絵が好きで働きながら美術学校への進学を目指しますが、一つのことが気にかかると我を忘れて熱中してしまう性格や、とにかく寝ることと食べることが欠かせない体質のため、いずれも長続きしません。
 中学校(もちろん旧制の)夜間部三年生の時に兵役に召集され、ニューギニアに出征。そこでは敵であるオーストラリア軍の攻撃以上に、飢餓と病気に悩まされます。
 決死隊として従軍した作戦中に来襲され、苦心惨憺の末に九死に一生を得ますが、空襲によって左手を失ってしまいます。
 多くの戦死者が出たニューギニアから生きて帰れたのは、まったくの偶然、たまたま運が良かったからに過ぎないとのことです。
 戦後は、傷痍軍人に対して十分な補償もない中で、魚屋、アパート経営などさまざまに職を変え、時おりは美術の学校にも通い、生活のために紙芝居の作家を始めることになります。

 詳しくはぜひ本書をお読みいただきたいのですが、まさに波乱万丈の生涯ながら、文章はきわめて淡々とつづられています。表現は良くないですが、何か他人事を語っているようにも思えるほどです。
 これが水木さん独特の人生観なのか、それとも本物の地獄を見たこの世代に特有な恬淡さなのかはちょっとわからないところがあります。おそらく両方なのでしょう。

 紙芝居を描き始めた昭和30年代初めは、すでに紙芝居はピークを超えていたころでした。どれだけ描いても画題は安く、食うや食わずの生活が続きます。
 仕方なく紙芝居を見限って、貸本漫画の作家に転向しますが、ここで時おりヒット作は出るものの、原稿料は安く、やはり苦しい生活が続きます。
 長い下積みから、ようやく漫画雑誌の漫画家になり、それなりの原稿料を手にするようになったとき、水木さんは40歳になっていました。
 この時に結婚もされますが、そのころの暮らしぶりは数年前にNHKの朝ドラにもなったので、ご存知の方も多いでしょう。(ただ、ねぼけ人生を読む限りはもっともっと大変な生活だったみたいです。)

 その後、日本は本格的な高度成長期に入り、少年漫画の隆盛と、テレビの勃興を迎えます。
 ゲゲゲの鬼太郎のようなヒット作が生まれたのはこのころで、河童の三平、悪魔くんなど次々ヒットを出すようになると、水木さんは大先生として、作画やあらすじを発案するためにやはりほとんど寝る時間のない生活が続くことになってしまいます。
 朝4時まで原稿を描いて5時間就寝。9時に起床して午前中に締め切りの連載漫画2本を仕上げる。昼食を食べるまもなく午後締め切りの漫画に没頭し、夕方には夜11時に締め切りの漫画を仕上げる。締切に遅れると編集者に怒鳴られ、泣かれ、なだめすかされる。作画の間には雑誌やテレにの取材、原稿書きなどの雑用もある。

 こんな多忙地獄がもう10年間も続いている。本当は(ニューギニア戦線で戦争のさなかに見た熱帯の美しい景色や、親しくなった現地人たちを懐かしんで)南の島に移住することが夢だったが、それが難しくなった今、本当の楽園は「妖怪」や「幽霊」といったような、現実とは別の世界にあるのではないか、そのことにますます関心が高まっている、というような感想でもってこの本は締めくくられています。
 
 実際の水木さんは、ここからさらに30年以上も活躍されたので、晩年がどのような心境だったかのかはわかりません。しかし、現実の水木さんの人生がドキドキの連続 ~それは苦しい意味でのドキドキが多かったに違いありません~ であり、戦争の体験から、「自分は死んでもともと」であり、現実社会にはそれほど期待もしていなかった、という人生観のベースは変わらなかったのかもしれません。

 このような人生観を、天才で変わり者の水木さん独自のもの、と評価するのはまちがいでしょう。繰り返しになりますが、戦争で偶然命を拾った彼らの世代は、権威とか社会とかの「世の中」が持っている限界をよく知っていたはずです。ニヒリズムだけでは決してなく、人の温かさもよく知っているがゆえに、そのように知性もあって愛情も友情もあるはずの人間が、一方では生きるためにケモノと化す。この両極端のどちらもあるのが人間という存在であることを肌で知っていたのです。

 残念なことに、このように得難い世代、つまり戦争の悲惨さだけでなく人間というものの振幅の大きさを知り尽くしていた世代が退場するのが、そしてそれがますます加速するのが平成27年という年だったのでしょう。後世からはきっとそう位置づけられると思います。
 「戦後」ではなく、「戦後という観念そのものが消える」、その始まりの年だったというわけです。


 では、どなたさまも良いお年をお迎えください。


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