2016年1月11日月曜日

レガシー活用の困難さ

 前回のご遷宮以来、低落傾向が続く伊勢志摩地域の観光を活性化してほしいとの地元財界の強い要請によって、三重県では、伊勢神宮が伝承してきた文化を日本、そして全世界に発信する一大イベントの開催を決定しました。
 国(政府)からの全面バックアップと、県内各市町村と経済界、さらには一般県民の協力・参加を得て、事業の推進母体となる外郭団体が立ち上げられました。
 会場は、全国各地から人が集うゾーンと、文化・食・交流を行うゾーンが作られ、来場者のみならず地元も展示や催事に積極的に参加することによって、準備期間も含めるとたいへんに長丁場に渡った一大イベントは大成功裏に終了することができました。
 三重県知事は、「このイベントの開催によって、関連道路網など社会基盤整備はもとより、三重のイメージアップやパワーアップにとって非常に大きな成果と足跡を残した。大きく広がった人と人との新たなであいと交流の輪は明日の三重を創造するうえでかけがえのないレガシーであり、こうした成果を今後の三重の飛躍と発展に役立てていきたい。」とコメントしました。
 
 これは、5月に三重県志摩市で開催される主要国首脳会議(G7サミット)のことではありません。
 今から20年以上も前、平成6年に伊勢市で開催された 世界祝祭博覧会(愛称:まつり博・三重94)のことです。この一大イベントを、県職員でも古い人ならはっきり記憶されていることでしょう。



 世界祝祭博覧会(まつり博)は、通産省の「ジャパンエキスポ」、建設省の「地域イベント実施計画」の認定を受け、伊勢市の朝熊山麓約40haの会場で、平成6年7月22日から11月6日まで、108日間開催されました。
 新たな“であい”を求めて をテーマに、人と自然、ものとこころ、伝統と未来、三重と世界、の4つの出会いをサブテーマにして、各種のパビリオン展示や、伝統行事の実演、各種のイベントなど、さまざまな事業が実施されました。
 入場者数は目標300万人だったところ、実績はこれをはるかに上回る351万人。会場の造成やパビリオン建設、広報宣伝、会場運営、各種催事の実施など、約144億円の費用がかかりましたが、入場料収入が大きく伸びたことから収入の総額は約151億円となり、7億円もの余剰金が出るほどの好調な決算でした。

 当時の知事がコメントしていた「関連道路網など社会基盤整備」とは、高速道路(伊勢自動車道)に直結するインターチェンジの建設、主会場となった大型多目的施設 サンアリーナ の建設、そして博覧会終了後はスポーツ施設や住宅団地、工業団地などに活用されることになっていた広大な会場跡地を指します。

 また、博覧会による経済波及効果も積算されており、これによると、投資・消費によって誘発された生産誘発額は5472億円。うち、三重県内は2347億円にのぼったとのことです。
 まさに大成功としか言いようのない「まつり博」の成果ですが、それでは、この成果は財産(レガシー)としてどう引き継がれ、三重県のさらなる発展にどのように貢献したのでしょうか?

 しかし、さて、その問題となると、首をかしげざるを得ません。
 平成6年は、バブル崩壊によって急激に悪化していた企業業績や雇用状況(「平成不況」などと呼ばれていました。)が一時的に持ち直し、景気の浮揚に期待が集まっていた年でもありました。
 細川連立内閣が倒れて羽田内閣となり、関西国際空港が開港したり、ミスター・チルドレンのTomorrow never knowsが大ヒットしたりした年です。
 日本の景気はミクロで見れば一進一退はありますが、長期的に見れば低落傾向が続いており、まつり博から数年後には北海道拓殖銀行の破綻や、山一證券の自主廃業、さらに住専問題などといった、日本の金融崩壊とも言えるような大きな出来事が続いていくことになります。
 三重県でも、まつり博翌年の平成7年には、博覧会を主導した田川亮三知事が退任し、かわって北川正恭氏が新知事に当選しました。改革派を自認する北川氏は、過去のレガシーの徹底的な見直しを強烈に推進したので、政権交代には付きものとはいえ、前知事の功績は否定的に総括され、ゼロベースからの業務見直しが命じられました。レガシーはここで断絶したのです。

 その結果、まつり博後も跡地の利用は一向に進まず、つい数年前まで十年以上も周囲にはほとんど何もない空き地のままでした。サンアリーナは県営は維持されているものの、指定管理者が二転三転し、期待されていた国際会議などほとんど開催されない状況です。まつり博会場へのインターチェンジも、あくまで開催期間中の「仮設インター」扱いだったため、常時閉鎖となり、これもつい最近になってやっと通常使用(通年開放)が決まったほどです。
 そして肝心の「出会い」というコンセプトも、三重県で何かそれがキーワードになって施策が継続されているとか、出会いが三重県の、全国各都道府県の中でもきわだった特長として発信されているかというと、そんなことは全然ありません。こちらも沙汰やみです。

 もちろん、これは、平成6年の前後が、全国的な「地方博ブーム」だったためもあります。どの県も同じようなコンセプトで、同じような博覧会をやるので差別化できなくなり、企画それ自体が陳腐化しました。
 日本全体の経済状況もますます落ち込み、政治状況も混沌としていました。なので、レガシーが活用できなかったのは三重県の、さらには三重県民のせいばかりではありません。

 ここで再認識しないといけないのは、大きなイベントの「その後」を活用することの難しさです。ほとんど不可能と言っていいでしょう。
 地域振興、地域産業活性化を願い、日々活動されている方は多いと思いますし、そのような方には今さら言う必要もないことですが、官製のイベントのような「バブル」は、小規模な企業や生産者、それに地方の生活者にとってはショックのほうが大きいのです。地域経済は需要と供給が漸増的なのが最良なのであって、官製バブルが急激に膨らむ時はまだ良いのですが、急激にしぼむ時にはふり飛ばされてしまいます。わしらは過去の経験に学ぶのでなく、歴史に学ばなくてはいけないのです。

(平成17年の愛・地球博でも、わしはまったく同じような体験をしています。これはまた稿を別にします。) 
 

2 件のコメント:

イセオ さんのコメント...

祝祭博懐かしいです。もう20年も昔ですか。遠足も入れて10回くらいは行ったと思います。この年には志摩スペイン村がオープンしたのでフラメンコステージとかスペイン関係のイベントが多かった記憶があります。地元でもスペイン語教室とかスペイン料理教室とかをやっていて、三重県とスペインの友好提携も盛り上がっていました。けれども。確かに今は全然跡形ないですね。結局は一過性だったということですね。

半鷲(はんわし) さんのコメント...

 行政主導のイベントは、住民参加型でどれだけ長い準備期間があったとしてもしょせんは一過性です。行政は「上書き型」でとにかく新規の予算で新規の事業を作り、何か新しいことをしているポーズを取りたがるので、過去にいちいち関わっていられないのです。
 最近の例ではミラノ万博がそうです。全国の都道府県市町村がこぞってミッションを仕立てましたが、万博がきっかけで生まれたビジネスや交流ってほとんど聞きません。(三重県庁でも、今や話題にしている人すらいません。)