2016年3月9日水曜日

今年は秀吉生誕480周年

 巨大な大鳥居があることは前から知っていたけど、実は一度も行ったことがなかった名古屋市中村区にある豊国神社(とよくにじんじゃ)に先日初めて行ってみました。

 豊国神社と言えば桃山時代に建てられ壮麗を誇ったという京都の東山にあるのが有名ですが、名古屋のほうは明治18年に当時の愛知県令によって創建されたという、比較的新しい神社です。
 ただ、ここがすごいのは、何と豊臣秀吉が生れたという、その生誕地という場所に建てられていることで、わしは別に武将マニアでも秀吉ファンでもなんでもないけれど、そういう歴史的な人物と接点が持てたような、不思議な感慨に打たれたスポットではありました。
 赤い大鳥居(高さ24メートル。建てられたのは昭和5年!)のある中村公園の交差点から、いかにも下町といった感じの住宅と商店、雑居ビルが建ち並ぶ参道を歩くこと10分。
 木々が茂っているのが見える一角が豊国神社です。


 豊臣秀吉は、何しろ16世紀の人物なので詳細は不明な点が多いのですが、尾張国愛知郡中村郷と呼ばれていたこの地で、父・木下弥右衛門と母・なかの間に生まれました。
 同じ父母の間に姉が、母の再婚相手との間に弟・小一郎(のちの豊臣秀長)、妹・朝日姫(のち徳川家康正室)がいます。
 境内にはこのような立派な生誕地の碑があります。

 さらに、秀吉が幼名「日吉丸」を名乗っていた少年のころの姿をモチーフにした「日吉丸となかまたち」なる銅像群もあって、ますます秀吉を身近に感じることができます。
 今ではすっかり大都会になってしまった名古屋市ですが、市域の西部には低い土地が多く、稲作には適していたものの定期的に水害にみまわれる場所でもあったようです。
 中村が名古屋市に編入されたのは大正10年のことらしいので、長らく農村の雰囲気を残す静かなところだったのでしょう。

 本殿で参拝をしたあとに、ふと立て看板を見ると、「夢」と大書された横に、秀吉公生誕480周年とありました。
 秀吉が生まれたとされるのは、1536年(天文5年)1月1日であるという説と、1537年(天文6年)2月6日であるという説があるそうで、もちろん定かではないのでしょうが、今年が480年目とすると、豊国神社としては天文5年生誕説をとっているということになります。


 よく言われますが、信長、秀吉、家康の三英傑は、それぞれの人気が高まるのがその時代の世相によって異なるようです。
 江戸時代は家康は「神君」だったので庶民があれこれ伝記を評するなどは許されませんでした。
 最も人気があったのは秀吉で、一介の足軽から関白にまで登りつめた立身出世物語が庶民の夢を集めたのです。(江戸時代は、信長はあまり一般庶民には知られていない武将だったそうです。)
 これが大きく変わるのは明治以降で、家康は天皇家をないがしろにした悪逆人とされ、天皇を優遇した信長の評価が上がり、秀吉人気もますます高まります。朝鮮に攻め入ったことも帝国主義的な時代には英雄扱いされる理由になったのです。

 ところが太平洋戦争後はこれが一転します。秀吉は所詮は成り上がり者で、侵略主義者、晩節は色香に迷って老醜を晒したと不人気になり、知略と忍耐で最後に権力を手中にし、盤石な体制を築いて戦を無くした家康が最も評価されるようになります。サラリーマンが増えて、宮仕えの厳しさが国民の共通認識になってきたことが大きいのでしょう。
 最近は、旧秩序を破壊したイノベーターとして信長の人気が高いようですが、やはり秀吉人気は今一つ盛り上がりに欠けるような気もします。

さらにここ豊国神社が興味深いのは、武闘派として勇猛を轟かせ、後に肥後熊本城主となった加藤清正も、この境内の場所で生を受けたということです。
 清正の生誕地には、彼自身が妙行寺というお寺を建てたそうで、豊国神社の境内にはこのお寺も、そして名古屋市立の秀吉清正記念館なる資料館まで建っています。

 そして、この加藤清正をNHKの大河ドラマの主人公にしようという署名運動が、やはり清正が統治したことがある山形県鶴岡市や熊本市などと共同で取り組まれているとのことです。
 これは三英傑には至らないもののそこそこ地名度があるB級の武将がいた土地では全国で見られる運動です。
 津でも藤堂高虎を大河に、という運動がありましたし ~今もあるのか?~、ほかにも蒲生氏郷とかいろいろありますが、なかなか採用には至りません。
 生誕480周年を迎えた秀吉でなく、加藤清正をドラマに、というのが2016年の日本の、ある意味で思潮を表しているような気もします。

■豊國神社ホームページ   http://toyokunijinjya.main.jp/index.html 

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