2016年4月3日日曜日

旧豊宮崎文庫史跡見学会に行ってみた

 現在では想像できませんが、皇大神宮と豊受大神宮は現在でこそ伊勢神宮の内宮と外宮として一括りにされていますが、歴史的には創建の時期も由緒も別々なので、それぞれ別の神宮として独自に発展してきた、いわば独立独歩の存在でした。時には正統性をめぐって激しく反目しあい、実際に中世には合戦が起こったことさえあります。現在のような形になったのは、世襲の神職制度が廃止され国家神道となった明治期以降のことです。


 その外宮の世襲神官であった度会一族で、権禰宜であり国学者でもあった出口延佳(でぐちのぶよし)らが、江戸時代初期の慶安元年(1648年)に創建したのが「豊宮崎文庫」という、今でいうと大学のような施設です。
 今はすべて更地となっており普段は立ち入ることができませんが、敷地内のが咲くこの時期には一般開放されており、4月2日には史跡見学会が開かれたので行ってみました。

 会場には3名ほどの伊勢市の職員の方がおり、説明をしていただきました。配布資料によると
・豊宮崎文庫には書庫や講堂などが建ち、外宮神職の子弟の修学の場や図書館としての機能があった。
・創設には山田三方(はんわし注:江戸時代の伊勢は自治都市であり、町内の有力者の会合で政治が行われていた。その自治組織のことで、やまださんぽうと発音)の協力があり、寛文元年には山田奉行(はんわし注:伊勢神宮の警備や自治組織で解決できない裁判などを担当するため幕府から派遣されていた常駐の代官)の尽力によって永代修繕料の寄進を得ることができた。
・毎月一定日に神典等の講義があり、多くの有名な学者の来講や書籍の奉納があった。
・明治元年に廃止。明治11年には火災によって講堂が焼失し、被害を免れた書籍類は内宮の旧林崎文庫のものと一緒に現在の神宮文庫に移された。
・旧豊宮崎文庫は大正12年に国史跡に指定された。ここにあるオヤネザクラ(お屋根桜)は昭和61年に伊勢市天然記念物に指定された。
 とのことです。
 江戸時代にここに国学の知の巨人たちが集っていたかと思うとなんだかわくわくしてきますが、あまりにもマニアックなのでここはさらりと行きます。

 で、オヤネザクラ。


 お屋根という名前は、創設者である出口延佳の屋敷の屋根に生えた桜を移植したことに由来するという説と、外宮の正殿の屋根に生えた桜が由来であるという説の2つがすでに江戸時代からあったそうです。
 江戸時代は遷宮の後、旧社殿は今のようにすぐ破却するのでなく、数年間はそのままにしておくことが通例だったそうなので、老朽化でぼろぼろの状態になった旧社殿の茅葺き屋根に桜が自然に生えてくることもあったのかもしれません。 


 ヤマザクラ系なので、一般的なソメイヨシノと違って花と葉が同時で、花も白っぽい色で清楚な感じがします。


 会場には伊勢市のゆるキャラの「はなてらすちゃん」も出張っていましたが、悲しいかな人が少なく、少々手持無沙汰のようでした。(しかし、めちゃめちゃ愛想がよかった)
 
 説明していただいた市の方によると、昭和初期の旧豊宮崎文庫は桜が多く植えられ、桜の名所としては宮川堤よりも有名だったそうです。できれば、もう一度そのような桜の園にしたいのが夢ですとおっしゃっていました。
 現在のここは、市立図書館の敷地になったり、道路拡張で東側の区画がなくなったりでやや中途半端な形になっているので、まずは多くの人に旧豊宮崎文庫の歴史的な価値を知ってもらうことが重要だと思いました。
(平成28年春季の史跡見学会はすでに終了しています。) 

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