2016年5月24日火曜日

伊勢神宮は軍国主義か

 言論プラットフォーム アゴラ に、池田信夫さんによる 安倍首相は「神道の国教化」を図っている? という投稿がありました。(5月23日付け)
 G7主要国首脳会議に関連して、TheEconomistに「極右思想を持つ安倍首相が、各国首脳を軍国主義を象徴する伊勢神宮に招いている」として安倍政権を批判する記事が掲載されていることを差して、この記事は内容に基本的な間違いが多く、安倍首相が神道を国教化を狙っているといった荒唐無稽なものにもかかわらずEconomistのような高級紙がこんな論評をして、世界の指導者にこれが読まれるのは困ったものであって、「政府は今回のサミットを機会にこういう誤解を正し、日本の多様な文化を世界に伝えるべきだ。」と主張されます。
 わしも安倍首相の政治的な主張や立ち位置はともかくとして、伊勢神宮を政治利用しているようには見えませんが、日本人特有のあいまいな宗教観は世界からは誤解を招きやすく、というか、はっきり言えば、理解されないものであって、さまざまな憶測と疑心暗鬼を呼び、結果的には日本の国益とならない事態が生じる可能性があることは、しっかり認識しておくべきと思います。
 ただ、池田さんがEconomist記事の、内容の間違いと指摘している事項のいくつかは正確な指摘ではありません。僭越ですが補足しておきます。(かと言って、Economistの記事が正しいと言っているわけではありませんの誤解なきよう。)

1.神道は教義も教祖もなく、キリスト教的な意味での宗教ではない。伊勢神宮の創建は9世紀ごろといわれるが、そのころは「国家神道」は存在せず、したがってナショナリズムとも関係ない。
(僭越ながら補足)
 伊勢神宮の創建時期がハッキリしない ~神話上の記述は別として~ のは事実ですが、持統天皇の時代690年に第一回目の内宮(皇大神宮)の式年遷宮が行われた記録があるので、少なくともそのころ、つまり7世紀には伊勢神宮は創建されていたというのが定説かと思います。
 もちろん、この時期の伊勢神宮は天皇の祖先神を祀って皇室と社会を平穏にすることが最大目的であったので、近代的な概念である国家神道とは全く関係がありません。

2.伊勢神宮は天照大神をまつっているが、これはキリスト教のような唯一神ではない。日本にはやおよろずの神がいて、天照大神もその1人にすぎない。
(僭越ながら補足)
 天照大神がワンオブ八百万(やおよろず)扱いなのは失当です。天孫降臨の神話の中でもっとも高貴で重要な神と位置付けられています。現実の神社や神道の体系も、頂点には天照大神を戴いています。

3.同様の神社は他にもあり、伊勢は特別の神社ではなかった。それを参拝した天皇は、明治天皇が最初だ。
(僭越ながら補足)
 天照大神を祀った神社は、たとえば神明社などの名称で全国にあるのは事実です。しかし、伊勢神宮は特別の神社でした。もともと天照大神は皇居の中で祀られていましたが、災いが頻発したので神威を恐れた崇神天皇が、別の場所で祀るように命じたことが伊勢神宮の由来です。
 このことから天皇本人が参拝することは畏れ多いこととされ、そのため天皇の名代となる未婚の皇女が斎王として置かれていたほどだったのです。(斎宮制度)
 明治天皇が親拝したのは、西欧列強の精神的支柱であったキリスト教の宗教権威を脅威に感じた明治政府が、それに対抗するために国家神道の概念を創出した、その具現化だったのです。

4.明治以降、伊勢神宮が天皇の神格化に利用された面はあるが、それは靖国神社のように戦没者の慰霊のために幕末に建てられた神社とはまったく別のものだ。したがってこのコラムの「安倍首相は神道の国教化を狙っている」というような結論はナンセンスである。
(僭越ながら補足)
 基本的に同意ですが、靖国神社のように創建の趣旨が明確なものと違い、教義がなく教祖もなく経典もない、本質的に曖昧模糊とした神道 ~伊勢神宮に代表される、自然崇拝由来の信仰~ だからこそ、周囲の環境によってどうにでも解釈される危険性をはらんでいる点は無視できないと思います。
 神道の教えは何ですか?と誰彼かまわず聞いてみると「正直に生きること」、「社会や家族に感謝して生きること」、「自然の偉大さを畏怖し、謙虚に生きること」といったような多種多様な回答が得られるでしょう。これらは道徳的には正しいので批判することはできませんが、では具体的に「正直」とは何か、利害が相反するような事態に至っても正直を貫き通すのが正しいのか、周囲への感謝を思い出し、ぐっと飲み込むことが結果的に正直な生き方なのか、という判断基準がありません。

 この基準は時代によって変化します。この基準を、集団主義的、家父長的(儒教的)、反自由主義的なゾーンに置いたのが国家神道であり、個人主義的、価値多様的、享楽的なゾーンに振ったのが現在の神道信仰ではないかと思います。
 教典や教義に明示されていないからこそ、権力を握った者や組織が、良いように思想教化の材料として使われたこと。この反省が ~反省が不適切なら「検証」というべきでしょうか~ 世の中も重大関心事でないままずるずると来ていることが、Economistのような誤解を招く原因の一つでしょう。
 

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