2016年5月25日水曜日

伊賀・津・松阪・鳥羽 四城郭めぐり

 どこでだか忘れたのですが、伊賀・津・松阪・鳥羽 城郭めぐり というスタンプラリーのパンフレットを入手しました。
 このスタンプラリーは、津市と松阪市、鳥羽市、伊賀上野の4市の観光協会が連携して2月から行っているもので、12月末までにこの4つの城(城跡)を回ってスタンプを集めると、500名に特製の城郭バッジがプレゼントされるとのことです。(ただし先着順なので、500名に達した時点でプレゼントは終了となります。)

 この4つの城はそれぞれ個性的で、築城された経緯とか、建築に凝らされた工夫などはなかなか興味深いものです。犬山城や彦根城といった国宝級の超有名城郭ほどではありませんが、身近な郷土のお城を訪ねてみるきっかけに、このスタンプラリーに参加されてはどうでしょうか。
 
 この4つのうち、伊賀上野城と津城(安濃津城)は共に藤堂高虎の手になるという共通点があります。伊賀上野城は豊臣と徳川が拮抗し一触即発の状況であった慶長年間に、戦の最前線になることを想定して大改修された ~高さ30mもの本丸石垣は当時の土木技術の限界に近かった~ 歴史を持っています。

 一方の津城は徳川幕府による天下泰平を見据えて、実戦よりも行政統治や城下町の繁栄を念頭に置いた城づくりであったことは有名です。この対比はスタンプラリーの見どころの一つになると思います。

 藤堂家は伊勢国の津周辺と共に伊賀国も領地としたので、本城は津、伊賀上野は属城となって城代家老による支配を受けます。
 藤堂家支配前の筒井定継城主時代の上野城下は、木津川の水運が主要な交通手段であり、行き先はあくまで大坂・京に向けたものでした。
 高虎は城下町を木津川とは反対側の南東側に拡張し、東向き、つまり津に向けた街道を整備して、伊勢国との交通を充実させるまちづくりに ~つまり、上方から伊賀を分断する都市構造に~ 大きく転換させます。
 今でも、伊賀は中部地方か近畿地方かが時々論争になりますが、戦国時代まで近畿だった伊賀国は、高虎の手によって伊勢国(中部地方)に実態として編入されたことになり、これが今に続く論争のそもそもの原因だったわけです。

 他にも、伊勢湾口の位置に、当時最強の水軍を率いていた海将・九鬼嘉隆の居城として建設され、正門(大手門)がいつでも軍船の出撃が可能なように海に面していたという鳥羽城や、やはり築城の名手と言われた蒲生氏郷が縄張りを手掛け、堅固な城づくりが完成し伊勢街道沿いの城下町がようやっと繁栄し始めた途端に会津に国替えを命じられ、氏郷が泣いて悔しがったと伝えられる松坂城など、やはりユニークなお城だと言えるでしょう。

 三重県内にはこれらのほかにも東海道の交通の要衝にあった桑名城や亀山城、平城である伊勢神戸(かんべ)城、南伊勢の軍事拠点であった田丸城、熊野の天空の城と言われる赤木城などの高名な近世の城があります。それらにもぜひ足を伸ばしていただきたいと思います。

■鳥羽市観光協会
 伊賀・津・松阪・鳥羽 城郭めぐりスタンプラリー開催!  http://www.toba.gr.jp/news/3914/

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