2016年5月31日火曜日

ヒロシマ・ナガサキ原爆展に行ってみた

 広島市と長崎市の主催により、伊勢市観光文化会館で開催されていた ヒロシマ・ナガサキ原爆展 に行ってきました。
 G7先進国首脳会議が5月に三重県で開催されることに合わせ、国内外の報道関係者が集まる国際メディアセンターが伊勢市に設置されたことから、核兵器の廃絶と世界平和を広く訴える目的で開催されたものです。
 初日の5月22日には松井一実広島市長と田上富久長崎市長も来場して各国首脳らの来場を呼びかけ、実際に25日にはEUの高官(ドミニク・ジョルジュ・マロ欧州理事会儀典長なる人物らの一行)も見学したとのこと。
 オバマ米大統領の歴史的な広島訪問によって、核兵器廃絶への関心が高まっているようですが、この日も老若男女、多くの見学者が訪れていました。
 原爆展では、原爆の熱線で焼けた子供用の三輪車や、溶けて変形したガラス瓶、表面が1800℃もの高熱によって一瞬で溶け、沸騰した跡が残る瓦、ぼろぼろになった被爆者の衣服、など広島と長崎の被爆資料24点が展示されていました。


 正直な話、70年前の生活様式であるガラス瓶や下駄などは、確かに生々しい資料ではありますが、一つ一つのもの、それだけではあまり恐怖は感じません。
 しかし、被爆直後の様子を解説した写真パネルは、もちろん白黒ではありますが、街の惨状や、死者、負傷者の姿が写されており、わしにとってこちらのほうが恐怖を感じる展示でした。
 特に印象に残ったのは、被爆者たちが後になって描いた絵と、そのコメントです。何十枚かありました。
 服はもちろん、皮膚が焼けただれて垂れ下がり、幽霊のような姿で助けを求めてさまようたくさんの被爆者の姿。一瞬で死亡したと思われる無数の黒焦げ死体。水を求めて力尽きた人々が折り重なって倒れている川岸。大根か何かのように川面を流れていく無数の中学生たちの死体。母親らしい女性が橋のたもとから子供の名を必死で叫んでいる。崩壊した建物の下敷きになった人を、ついに助けられないまま迫ってきた火災のため避難せざるを得なかった体験・・・・
 よく見る「絵手紙」のような、それらの素朴な絵で描かれているのは、阿鼻叫喚の生き地獄の光景です。トラウマとかPTSDという言葉が当時もしあったら、生き残った人々のほとんどは、残りの人生はそれに苦しまされることになったでしょう。今もそうに違いありません。

 広島市と長崎市は、それぞれ原爆資料を展示した施設のホームページで資料を公開していますので、ぜひご覧いただきたいと思います。

■広島平和記念資料館  http://www.pcf.city.hiroshima.jp/

■長崎原爆資料館     http://nagasakipeace.jp/

 わしは、会場でもらったパンフレットで初めて知ったのですが、昭和57年に国連で広島市長が呼びかけたことがきっかけとなり、核兵器廃絶に賛同する世界各国の自治体による「平和首長会議」なるNGOがあるそうです。
 今回の原爆展の開催や各国首脳への呼びかけにもこの平和首長会議が関わっているようですが、日本ではともすると、核軍縮のような問題は政府の専権事項であって地方自治体が関与すべきでないというような意見が横行しています。首長も平和への強い理念を持つタイプが少ないように ~これは三重県だけか?~ 見受けられ残念な限りです。しかし、国境を超えた都市(地方自治体)の連携と連帯は時代の趨勢であり、国内だけに目を向けるのでなく、ぜひ世界的な視野を首長にももってほしいと思いますし、実際に世界の目を向けることもできるものであることはこの原爆展が証明していると思います。

 一方で、このような運動、活動は非常に重要だと重々理解しているつもりではありますが、日本の近くには軍拡を進める覇権主義の国があり、世界の世論を無視して核兵器を開発する狂気の独裁国があります。これらと平和を求める日本国民は、どのように付き合っていくべきなのでしょうか。このことにも思いを致さざるを得ませんでした。

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