2016年6月6日月曜日

黒塗りのブルース

東京都議会議員 おときた駿HP より
 朝、フジテレビのニュース番組を見ていたら、例の舛添東京都知事の政治資金流用疑惑のことをやっていました。
 都議会の中でも、舛添知事に強く辞任を要求している会派に属する議員が、海外出張に関する支出について都庁に情報公開請求したところ、開示された資料は肝心の部分がことごとく黒塗りされており、これでは一つ一つの支出が妥当なものであったか何も判断できない、として都庁の情報開示に対する姿勢を強く批判していました。

  わしのような地方公務員は、自分の業務に関して何らかの情報公開請求を受けた人が多いと思いますし、書類や資料を開示する際に、一般に知られてはまずい情報を黒塗りする作業をやったことがある人も多いはずです。
 その情報公開請求が、特定の個別具体的な案件を指定しているものならまだいいのですが、請求人が「なんちゃらに関する一切の書類」のような投網をかけるような請求をしてきた場合、開示対象文書は時には数百ページ、数千ページもの膨大な分量になるので、この「黒塗り」作業もたいへんに長時間かかることになります。


  わしはその番組で議員さんをはじめ番組ゲストの人が一様に呆れていた黒塗りのコピーを見て、率直に「この作業は大変だっただろうな。都庁の担当者は何時間残業したのだろう。」という疑問が頭をよぎりました。
 わしが黒塗りした内容のほとんどは、個人情報(たとえば、何かの報酬を県からその人に払った時にもらう領収書にある住所や印影)とか、政策形成過程にある際の情報(たとえば、まだ正式にやるともやらないとも決めていない段階で、事前の情報収集のためにヒアリングした際などの訪問先や個人名)などで、まあ、これはこれで消さざるを得ないというか、ここまで公開したら支障あるよなあ、と請求人も理解してくれるようなケースが多かったのですが、今回、都庁が黒塗りした舛添情報は海外に出張した際にホテルで借りた会議室の室料とか部屋数とか、雇った通訳への報酬なんかの見積り情報らしく、都庁の理屈としては「これを公開すると、東京都庁が業務を発注する際の見積り金額がわかってしまい、今後行う類似業務での入札の公正な競争に支障が出る」というようなものだったそうです。
 これは、同業者としてはわからなくもないのですが、今回はまさにこのことが一つの争点なので、この説明は火に油を注いだような形になってしまっており、知事による都議会での釈明後も舛添知事に対する一般市民からの苦情、辞任要求の電話が都庁に殺到しており、正常な業務に支障が出ている状況だそうです。

 このような場合、都庁の職員もたいへんだろうな、と一般の方は思うかもしれませんが、実はそうでもないはずです。もちろん、苦情の電話をとってしまって時間を浪費する職員は気の毒ですが、いくら都民が電話で苦情を言っても知事を辞めさせることはできません。職員はそのことがよくわかっているので、この種の電話は聞き流す ~というと語弊があるでしょうが~ ことしかできません。もちろん、いちいち内容を上司に伝えることもしません。(今日は何本苦情があったという件数くらいは数えているかもしれません。) 

 その理由はハッキリしています。
 都庁の職員は都知事に雇われているわけではなく、都という組織に雇われているからです。都庁の最高責任者は知事ですが、これは選挙で選ばれた結果バトンを持っているに過ぎず、任期が終われば次の人にパスせざるを得ない存在です。
 一方で都という組織(地方自治体)は永遠であり、都職員は都庁ムラの村人なので、数年でいなくなる知事と、今後も何十年かは働きつづける都庁職員同士の人間関係と、どちらに忠誠心があるかといえば、当然に後者のほうになるのです。なので、舛添知事から直接指示を受けて重要政策課題に当たっているような幹部職員や一部のエリートを除けば、誰が都知事であろうと、舛添さんが続けようと辞めようとほとんど影響はないのです。 

 これは一概に悪いこととはいえません。都庁の職員(出先機関や病院、学校、研究機関などで働く職員も含め)はあくまで法令の根拠に従って仕事をしているのであって、誰が知事であろうとこのことは変わりません。舛添さんが知事だから解釈が変わったとか、近しい人だから基準が緩くなった、などがあってよいはずがありません。なので、やはり舛添さんが続けようと辞めようと関心はあまりないのです。 

 ただ、一点、重要なことは、都職員は「舛添知事の政治力」については注目しているであろうことです。
  政治家はよくパフォーマンスで改革する、変革するとは言いますが、ほとんど実っていませんし、よく見るとそもそも改革にも変革にも手をつけてなどいません。農業団体にしろ、建設業団体にしろ、商店街振興組合にしろ、労働組合にしろ、皆の支援を受けて当選しているので、その支援母体の既得権に切り込むことなど普通はできないのです。最近は女性活躍とか、いじめとか、子育て支援にも目を配らないとSNSで攻撃されるので、これらも優遇しなくてはいけません。
 このような不安定な基盤が均衡するためには「何もしない」ことが一番良いのです。実際には、「しない」ではなく「何もできない」というのが正しいのでしょうが。

  都庁に限らず地方公務員は、このようなトップの政治力の有無に非常に敏感です。政治力が強ければ、自分達(都庁職員)たちがやりたい改革を、知事を担いで行うでしょう。特定の団体への歳出カットなどです。しかし、「この人は何もしないし、できない」と見限ると、知事には外遊とか何か好きなことをやらせておいて、自分達がやりたいことは別の実現方法を模索することになります。
 つまり、都庁内のヒエラルキーは知事がトップではなく、知事は一種のお飾りで、本当の実力者は別にいて、何かをするときにはその人(一人とは限りませんし、個人とも限りません)のゴーサインをもらうという構造になります。

  そのテレビ番組でも言われていましたが、舛添さんは何か強い政治信念を実現するための施策を行うわけでなく、規制緩和をするわけでもなく、歳出縮減をリードするわけでもない。敵を作らないタイプなので、都議会の与野党も、都庁職員も、支持団体も、皆が担ぎやすい知事であり、結局は今回の件でも辞任はしない見込みだそうです。
 この粘り腰が都庁職員に政治力の強さと認められれば舛添知事の立ち位置は若干向上するかもしれません。反対にレームダック化すれば都庁内のヒエラルキーの重層化や多元化はいっそう進み、ますます都政はコントロール困難なものになっていくのでしょう。

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