2016年6月7日火曜日

志摩観光ホテルVS鳥羽国際ホテル

 わしにとって、先月開催されたG7主要国首脳会議の会場がなぜ賢島(三重県志摩市)になったのかは大きな謎であり、有象無象、洪水のように垂れ流されたサミット関連の報道でも、わしのこの疑問に答えてくれた報道はなかったし、そもそも地元マスコミの記者にはその問題意識すらないようでした。
 NAVERまとめなどによると、賢島が会場となったのは
1)安倍晋三首相が伊勢神宮のある伊勢志摩地域を「日本の美しい自然、豊かな伝統・文化を各国のリーダーに肌で感じ、味わっていただける場所」と高く評価していたこと。
2)主会場となる賢島は本土側からは2本の橋しかなく、交通制限や不審者排除が容易。また三重県警は、皇族や首相の伊勢神宮参拝があるため警備の経験を豊富に持っていること。
 という、首相の強い意思と警備のしやすさの2つが大きな理由でした。これらはもう散々報道されたことなので事実なのでしょうが、わしが不思議に思うのは、以前は昭和天皇や英エリザベス女王なども宿泊したことがある鳥羽市の鳥羽国際ホテルは、なぜ会場に選ばれなかったのかということです。


 ここでサミット会場となった志摩観光ホテルと鳥羽国際ホテルを比較してみましょう。(ともにウィキペディア情報です。)

◆志摩観光ホテル
 昭和21年に伊勢志摩国立公園が成立し、賢島に外国人観光客が訪れるようになったことから、外貨獲得のため、三重県(庁)、近畿日本鉄道、三重交通の三者協議を経て志摩観光ホテル(株)が設立され、昭和26年に25室50人収容の洋風ホテルとして開業。建物の意匠設計は村野藤吾。現在は、ザ・クラシック、ザ・ベイスイート、ザ・クラブの3棟があり、延床面積33,800㎡。177室(うち、スイート53室)、レストラン6軒がある。

◆鳥羽国際ホテル
 昭和39年、日本楽器(ヤマハ)が創業。東京オリンピックを控えて政府が「外国要人が宿泊できるホテルをつくる」ことを掲げて上質のホテルの建設を奨めていたことに応え「国際ホテル」を名乗った。オーシャンウィング(旧・本館)とハーバーウィング(旧・南館)は洋室が中心。また、敷地内には旅館・潮路亭も併設。延床面積18,694㎡。121室(うちスイート35室)、レストランは2軒。平成19年に経営がヤマハから三井不動産に譲渡された。

 こうして見ると、志摩観光ホテルのほうが歴史は古く、かつ施設的な規模も大きいことがわかります。また、設立に三重県が関与していたのは、当時は養殖真珠の輸出が重要な外貨獲得の手段であったため、傾斜生産方式ではありませんが、官(県庁)による地元との調整が期待されていたのかもしれません。
 一方の鳥羽国際ホテルは、財界の風雲児であったヤマハが主導したもので、ある意味で官とは距離を置いていたように見えます。このためか、当初はホテルにマリーナも設置予定だったところ、漁業権やヨット航路設定の調整で地元とうまく折り合えず、断念しているそうです。

 この二つのホテルは、見方を変えれば近鉄という大阪財界と、ヤマハ(のちに三井不動産)という東京財界の出城とも捉えられます。昭和40年代後半から高度成長期は両者の勢力は拮抗しており、やや劣勢だったヤマハも要人の宿泊誘致に成功していたものの、次第に地力に勝る近鉄が巻き返し、バブル期の近鉄志摩線複線化やテーマパーク・志摩スペイン村の建設などによって圧倒的に優位になったものと思われます。
 ヤマハは業績不振により経営から撤退してしまい、三井が引き継いだものの、G7首脳を受け入れるほどの実力は鳥羽国際ホテルには備わっていなかったということだったのかもしれません。

 近鉄は、サミット会場が伊勢志摩に正式決定する前から志摩観光ホテルの改装工事に着手していたほか、サミット期間中は近鉄百貨店の旗艦店「あべのハルカス」を休業するなど、直接間接に政府筋と緊密な関係を見せつけていました。この点も三井には不利だったようです。

 ちなみに、鳥羽国際ホテルは賢島のような離島ではないものの、主水(もんど)岬という半島の先端にあって、一本だけの陸路を遮断すれば隔絶は容易です。警備上、賢島に比べて特別に不利だとは思えません。
 賢島のサミット会場への立候補は国内のライバル地で一番遅かったにもかかわらず、ごぼう抜きで開催地に決定しました。わしにはやはり、三重県(特に伊勢志摩)は近鉄の縄張りだという暗黙の了解が関係者にはあったと思ってしまいます。穿ち過ぎでしょうか?
 

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