2016年7月6日水曜日

三重県が離脱条例案を7月議会に上程

 一部の新聞に掲載された 中部地方離脱問う条例案、7月にも提出 三重 という記事が波紋を呼んでいます。(6月25日付け)

 これによると、三重県は一般的に愛知県、岐阜県とともに「中部3県」と位置づけられ、文化的にも中部地方に近いとされています。
 しかし愛知県に隣接する北勢地域に比べて、滋賀県や奈良県に隣接する伊賀地域などは近畿の影響が強く、文献や辞典にも三重県を近畿地方に分類するものは多く見られます。
 おもしろおかしいお国自慢論争としてはともかく、公式の政治的な場においては「三重は中部か?近畿か?」という帰属問題は一種のタブーであり、三重県(庁)の公式見解も「中部と近畿の両地域に属している」という折衷的なものです。 
 しかし、一部の県議から「このような不安定な帰属が県民のアイデンティティ危機を招いている」という声が上がり、中部圏知事会など中部地方に属する全ての機関から離脱して、近畿地方の諸機関に属するべきとする骨子の 中部地方離脱の可否を問う住民投票条例案(通称:ミエグジット(Miexit)条例)が7月議会に上程されることになったとのことです。


 虚構新聞に三重県がネタ押して取り上げられるのは極めて珍しいのですが、その数少ない事例が、県内ではベタな話題である「中部か近畿かという話」だったというのは、やはり三重県の話題性のなさというか、新味の乏しさというかを証明しているように見えなくもありません。

 言うまでもなく、三重県は近畿と中部の両方に属しています。これは明治時代に人工的に作られた「三重県」という行政区分にもともと無理があったためです。
 三重県公式ウェブサイトにもあるように、古代国制では三重県は、伊勢、伊賀、志摩、紀伊の4つからなっていますし、近世は広大な紀州徳川藩領や津藩領のほか、亀山藩、桑名藩、神戸藩、鳥羽藩など多くの中小大名領、忍藩(埼玉県行田市)や吹上藩(栃木県栃木市)などの飛び領地、幕府領、伊勢神宮領、旗本・御家人領などが入り乱れたモザイク状の土地でした。
 現在の南北に長い三重県そのものが、明治政府による統治の便宜上、偶然に生み出されたものに過ぎないのです。

三重県景観計画 第2章より

 逆に考えると、北勢、伊賀、東紀州は現在の三重県というかたちに強いこだわりはないので、仮に地方分権が進んで道州制となった場合、三重県以前のもとの形、すなわち、伊賀と東紀州は近畿、伊勢湾岸の北勢・中勢・南勢と志摩は中部に、案外スムーズに分化するでしょう。
 しかしこれによって、近畿と中部の両方に属するという地の利を生かした産業振興や観光振興は困難になるでしょう。今とまったく違った地域の姿に変わるはずです。

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