2016年8月16日火曜日

玉音放送を聞いて少女たちは何を考えたか(その2・了)

(承前) 玉音放送を聞いて少女たちは何を考えたか(その1)

 この名張国民学校5年は組のように、玉音放送直後のタイミングで終戦の感想を作文にせよと先生が命じたというのは全国的にもほとんど例がないものと思われますし、この本「神國日本は敗けました。」の出版時点である平成7年まで原稿用紙が残っていたことも奇跡的なことでしょう。
 作文のいきさつについて、当時22歳だった担任の西出美津先生と元児童7名が、司会進行に永六輔さんを招いて座談会を開いています。
 西出先生は席上、作文を命じた理由を「急に終戦という日がきたので、歴史に残ることだからと思った」という理由により、学校全体の取り組みではなく自分独自の判断で作文を命じたと語っています。まだ教員になって数年目の若手の先生だったからこそ利いた機転と言えるかもしれません。この作文は先生に提出された後、GHQを恐れて先生がそのまま手元に置いていたために今に残っていたとのことです。
 面白いのは、これほど切々と懸命に作文を書いたであろう当の子供たちが、書いたことを全く覚えていないということです。出席した元児童7名は異口同音にそう証言します。子供にとっても大人たちの混乱ぶりを見て、これはただならぬことだと緊張して身構えたせいで作文のことなど忘れてしまったのかもしれません。


 永六輔さんは、は組の児童と同じく終戦当時に国民学校5年生でした。同世代と言うことで、当時の記憶がシンクロし、ほぼ軍国教育一本やりで育った子供たちが、世相をどのように見ていたか、どう感じていたかが語られます。現代とはまったく違う点もありますし、逆にたぶん今の子供たちも同じようだろうという点もあり、9歳、10歳くらいという年回りが持つ感性が、永さんの司会と、先生、そしてすでに60歳に達している元児童たちとの対談が続きます。
 東京生まれの永さんは長野県に学童疎開しており、永という名字が中国人か朝鮮人を連想させるため地元の子供たちにひどくいじめられたこと、担任の先生は軍国主義の権化のような若者でしたが、敗戦となったとたん児童たちに土下座してわびたこと・・・など興味深いエピソードが紹介されます。
 大きな空襲などはなかった名張でも、近鉄・赤目口駅でのアメリカ機の機銃掃射(市民の虐殺だ!)を見聞きした子供は多く、また、広島と長崎への原爆投下についても広く知られていたことがわかります。
 また、早い時期から「日本は負ける」と口走っていた近所の変人で有名なおじさんがいたこと、戦争末期には5年生女子も学校で薙刀の練習をさせらたこと、などのエピソードも披露されます。

 この座談会の核心は、多くの作文にある「天皇陛下に申し訳ない」「せっかく獲った朝鮮や満州が鬼畜米英やソ連に取られてしまう」などが、本当に子供たちの本心であったのか、というやりとりです。
 これについては、
「私達は10歳で思考力も批判力もない。ただ先生に言われて、家族に言われたとおりにやっていましたから。・・・これは全員建前ばかり書いてしまったなと。」
 という意見の一方、
「その当時は建前とも思わずに今の北朝鮮とか・・・ああいう教育を受けていたような時代でした。建前とは今になって言えることで、あの当時は本音やったのと違うのかな。」
 という意見も出ました。
 これは永さんも言うように、建前と本音を使い分けているわけではなく、あれしかなかったものが今になってみると建前に聞こえる、ということなのでしょう。
 しかし、全員が一致するのは「教育の力は怖い」ということです。ちょうどこの座談会があったのが、世間ではオウム真理教の事件が騒がれていたタイミングであったこともあって、マインドコントロールによって批判力のない若者が育ってしまう、これを防ぐには大本営発表を鵜呑みにしないマスコミの役割も重要だとの意見が交わされます。

 本の最後は、西出先生と、7人の元児童たちによる「戦後50年を生きて」という回想録になります。無垢だった軍国少女も、混乱した戦後を生き抜かなくてはなりませんでした。また、経済成長を迎えて日本人の生活様式や価値観は大きく変貌していきます。一人一人の手記は、ごく普通の日本人が体験することとなった戦後の世相史、生活史とも呼べるものです。ありきたりの表現ですが、どんな人生もドラマがあることがよくわかる手記です。

 この本は、いわゆる戦記物とは違い、田舎の小都市で生活していた普通の子供たちの心象をテーマにした地味な内容の本ではあります。しかし、本書の中にもあるように、彼女たちや永さんは戦争体験を自分ごととして語れる最後の世代です。
 子供のころの作文とはいえ、あらためて世に出すには勇気も要ったことでしょう。わしらはそれを真摯に受け止める必要があります。そして、わしら自身がこういった本をよく読み、同世代や次世代にバトンパスしていくこと、これがこの本の本当の存在意義ではないでしょうか。

(はんわし的評価 ★★★  必読。三重県内でこの本が無名なのが残念でなりません。)

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