2016年10月30日日曜日

三重県立図書館が雑誌スポンサー公募

 三重県立図書館が11月から「雑誌スポンサー制度」を導入することを明らかにしました。
 雑誌スポンサー制度とは、現在は図書館が購入している224種類の雑誌について、企業や団体がスポンサーとなって購入したうえ図書館に寄付してもらい、その代わりに企業や団体の名称と広告を、雑誌の表紙カバーなどに掲載するというものです。
 スポンサーは購入する雑誌を224種類の中から決めることができますが、原則として1年契約であり、価格(年間購読料)は建設物価調査会の月刊「建設物価」が47100円、週刊ベースボールが37800円などとなっているほか、安いものでは千数百円(もちろん年間で)という雑誌もあり、さまざまです。
 実際のスポンサー契約締結にあたっては、広告主及び広告内容に一定の制限 ~公序良俗に反しない、宗教性や政治性を帯びていないなど~ があるほか、「三重県立図書館雑誌スポンサー審査会」での審査を経て決定されるようですが、図書館では「年間32万人が訪れる県立図書館に広告や名称を掲載することで、効率的な情報発信ができます。」と応募を呼び掛けています。

 ところで、今この時期になぜ県立図書館が雑誌スポンサー制度を導入するのかですが、その理由について三重県のホームページには
 図書館は継続的に購入していく必要がある雑誌を安定的に収集できるとともに、その雑誌購入に充てていた予算で他の図書類をより充実させサービス向上につなげることができます
 と説明されています。
 しかし、この説明はトリッキーです。
 実のところ、図書購入費の予算が不足したか、枯渇したため、本来なら税金で賄わなければならないところ、民間の資金を導入せざるを得なくなったということでしょう。
(不足とか枯渇と言うより、すでに今年度の当初予算では、この制度を導入する前提で昨年度に比べて減額されていたのかもしれません。)

 この図書館の「スポンサー制度」自体は、もはやそれほど珍しいものではありません。わしがよく利用する伊勢市立図書館なんかもそうなっていたと思います。伊勢市の場合はスポンサーは学習塾なんかが多く、イメージアップを狙って雑誌代を肩代わりしてくれるなら、これはウイン・ウインの関係なのかもしれません。

 ただ、問題はそれほど簡単ではありません。図書館の係員にとっては、財政当局から予算を削られてしまっているので、利用者サービスを低下させないためには背に腹は代えられないのでスポンサー制度を導入せざるを得ません。
 しかし、予算がないが住民サービスはやめられないから、企業から寄付を取ってこい、というやり方は、一種の「打ち出の小づち」のようなもので ~実はそうではありませんが、例えとして~ もしこの方法で金策が可能であるなら、あるいは、金策が奨励されるのであれば、そもそも行政サービスとは何のためにあるのか、誰が受益者で、誰が費用を負担すべきなのか、という根本議論にまで行きつくことになるからです。

 行政(国や自治体)が行う住民サービスは、一般的には民間で代替できない(もしくは民間がやると非効率すぎる)サービス、と説明されます。道路の管理、戸籍の管理、義務教育などが典型例です。
 しかし、例えば学校なら、もし取ろうと思えば児童生徒から授業料を取ることは可能なわけで、県のホームページにあるように「図書館の雑誌代で他の図書類を充実させる」という勝手な理屈でなく、図書館も利用料を取ったらいいのではないかとか、高い書籍は閲覧料をもらったらいいのではないかという考え方も成り立つでしょう。
 
 わしは図書館を責めているのではありません。最近特に、施設を新築する際に税金だけでは賄えないので企業や個人から寄付を募りなさいとか(むろん、それで建設への税支出が抑えられれば、その分で事業活動をより活発に行う、といった理屈をつけて)、何か新しい事業を立ち上げる際、税金では賄えないのでクラウドファンディングで協賛者を募りなさいとか、そのような「財政対策」が地方自治体で目立つ気がするのです。

 これは本当に、ウイン・ウインなのでしょうか。

 まず疑問なのは
 もし民間で資金が賄えるなら、なぜ民間でやってもらってはいけないのか。言い換えればその施設や事業をどうして行政がしなくてはいけないのか。民間が行うことに補助金や助成金として援助したらいいのではないのか?
 ということですし、そういった根本的な議論はかったるいんだよ、という場合にも
 もし資金を集められたら事業ができるし、集められないなら事業ができないというなら、国会や議会で議論すべき「予算制度」は何のためにあるのか?
 とか
 どうしても資金を集めて来い、というトップの命令だとすれば、公務員は住民サービス以上に金策に走り回らなければならず、本来の仕事が公務なのかカネ集めなのかがわからなくならないか?
 ということも気になります。

 伊勢神宮の式年遷宮は、当初は朝廷が資金を提供して実施されていました。しかし摂関時代になるころには神宮自身が金策せねばならなくなり、ついに戦国時代には途絶えてしまいます。
 それを16世紀になって再興させたのは、室町幕府の役人でも神職でもない、清順という一介の尼さん(慶光院清順)でした。詳細は不明ながら彼女の集金力は抜群で、現在の貨幣価値で数十億円にもなるという金額を諸大名や庶民から勧進し、100年間途絶えていた伊勢神宮の式年遷宮を再興したのです。
 この功績で清順には上人の号が与えられ、最終的には徳川幕府に取り込まれてしまうのですが、それにしてもこうした史実は示唆的です。

 こうした民間資金の導入を、ブレークスルーあるいは革新とみるか、哲学なき「その場しのぎ」と見るかは分かれるところでしょう。
 ただ、国をはじめ多くの地方自治体の財政難はますます深刻になっており、このように「足りないカネは民間から賄え」という考え方は一層広まってくることでしょう。
 企業は法律で決まった税金を払ううえに、行政から覚えをよくしてもらおうと思えば、こうした不透明な寄付、協賛にまでお金を払わなくてはいけなくなるのです。

(繰り返しますが、わしは三重県立図書館をはじめ、金策に走る行政組織を非難するわけではありません。三重県なら県庁全体で、行政と民間の役割分担についての議論や、税金でどこまで賄うべきか、受益者はどこまで負担すべきかという財政議論がなさすぎると言っているのです。) 
 

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