2016年10月8日土曜日

都庁が特別ではない(続き)

(承前) 都庁が特別ではない(2016年10月2日)

 豊洲市場問題の東京都をはじめ、地方自治体の不祥事なりが世間で問題になる場合、必ず、いわゆる「ガバナンス」に問題があったという分析がなされます。
  この「ガバナンス」という言葉は、意味がわかったようでわからない、漠然とした用いられ方をしますが、要するに、
1)組織の中で、上の命令がしっかりと下に届き、下の意見もしっかりと上に届く風土になっている 
2)それだけではなく、例えば上の命令が法律に反しているとか、下の意見が広い視点を欠く偏ったものであるとかの、法律論や常識論に照らしたフィルターが組織内できちんとかかっている
3)そのうえで決まったことには、組織一丸となって最後までやり遂げている
  という3つが同時にうまく働いている状態ではないかと思います。
  大企業や官公庁、学校、軍隊など大人数の組織だけでなく、中小企業、NPO、はたまた町内会や同好会といった小組織であってもこの「ガバナンス」がうまく働いていない例は枚挙にいとまがありません。
 このため大組織は社員に役職や階級を設けて、権限と責任を明確にしたピラミッド型になっていますし、細かい社内手続きが設けられ、組織としての意思決定が手順に沿って行われるようになっています。


 さらに仏造って魂入れずではダメなので、社員のやる気を奮い立たせるしくみや、不正を防ぐ仕組みも二重三重に張り巡らされています。
  しかし、そのうえでもなお、
 ・あらかじめきちんと決めておいた方針に反することを
 ・いつの間にか、誰かが勝手に決めてしまい
 ・さらに、それが本当に実行されてしまい
 ・しかもそのことに誰も気づかないか、気づいても直そうとしない
  といった豊洲のようなことは起こります。
 これは第一義的には人間の業の深さとでもいうべき原因であるでしょうし、次に、制度(ホトケ)にも規律(魂)にもさまざまな問題があったうえでの機能不全だとは思います。

  しかし、ここで思い出さなくてはいけないのは、日本の組織、特に官公庁(行政)のように公平公正、平等が旨の組織においては、往々にして方針や意思の決定は特定の誰かではなくて、「組織全体」で決定したことが強調され、顔のない匿名状態になっていることです。

  それが起案(発案)から決裁(決定)に至る稟議というシステムです。行政の稟議書には起案者から始まり、ヒラの担当者、係長、課長補佐、課長、次長、部長とたくさんのハンコが押されます。  これは、全員がこの意思決定に参画したことの書証なので、もし仮にこの決定は誰が決めたのか、という議論になった際、それは起案者でも決裁権者でもなく、「ハンコを押した全員」という答えになるのが公務員の社会では常識です。

  地方自治体には、何かの行政行為を行った後で、それが違法な支出を伴っているとして住民が担当役人を訴えることができる「住民訴訟」という制度があります。
 このときに役所内部が揉めるのも、その行政行為はそもそも稟議によって全員でやると決めたことであって、特定の誰かだけが訴えられるのはフェアではない、という心情が働くからです。

  なぜここまで行政職員は平等意識が強いのかについては様々な考察があります。わしが思うのは企業のような「優秀な(稼げる、顧客受けがいい)社員」と「そうでない社員」の差が行政には存在せず、ヒラでも役職者でも基本的には平等だという意識が非常に強いためだと思います。

  もう一つ、ガバナンスと同じくらい重要な問題がガバナビリティと呼ばれるものです。
  ガバナビリティは「被統治能力」とも訳されています。太平洋戦争に敗れた日本は連合軍に占領されましたが、ガバナビリティが高い民族だったので、占領下でも規律正しく、むしろ経済復興の足掛かりを築きました。これと反対に中東の国々などは、独裁政権が倒れ、国連軍支配を経て自国民による政権ができてもガバナビリティがないので混乱が続いたままです。
 さて、このガバナビリティは官公庁においても大事なものです。知事や市長村長が人気取りのためによく用いる「リーダーシップの発揮」といった面でも、役人がそれにきちんと従い、国民・住民の世論動向も十分に加味していく、という被統治能力は重要です。

  ところが、失われた20年の間にすっかり定着した公務員バッシングとか、情報公開制度の普及、さらにめざましいインターネットの浸透による国民・住民と官公庁との情報の非対称性がなくなったことなどの要因で、長らく日本社会では疑う者がなかった公務員の能力が高いとか倫理性が高いなどは、実は決してそうではなく、はては、そもそも役所なんて必要なのか?役人なんてあんなに数いるのか?陰でロクでもないことをしているのではないか?といった見方が国民住民に広まるにしたがって、役人たちのガバナビリティはぐらついてきています。
 今回の豊洲問題の発端は、ちょうどこのガバナビリティの衰退と時期的に重なっていることに注意が必要です。このことも大きな原因になっているというのがわしの見立てです。

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