2016年12月26日月曜日

やり遂げることこそが難しい

【読感】経済学者 日本の再貧困地域に挑む あいりん改革3年8カ月の全記録 鈴木 亘著(東洋経済新報社)
 わしは仕事がら、まちおこしとか地域振興などに関する本は人より読んでいるつもりですが、この本「経済学者 日本の再貧困地域に挑む」は、わしにとって目新しい切り口の本で、たいへん面白く、かつ参考になる本でした。
 大阪市西成区は区民の4人に1人が生活保護を受給しているという、ありていに言えば貧困地域です。その理由は「あいりん地区」という西日本最大のドヤ街、つまり多くの日雇いの労働者が生活している地区があるためで、行政をはじめ民間の支援者や労働組合など多くの関係者が長年、生活環境の改善に取り組んできたものの、今でも貧困がはびこり ~日雇い労働者の高齢化でますます貧困の連鎖から抜け出せなくなる~、ごみの不法投棄や犯罪発生も多く、たびたび暴動が発生して警察署が襲撃される事件が繰り返されてきました。
 著者の鈴木さんは学習院大学教授の経済学者ですが、あいりん地区をフィールドに研究を行った経験があったことから、大阪市の橋下徹市長による市政改革、なかんずく「西成特区構想」を推進するために平成25年3月から大阪市の「特別顧問」に就任しました。その4年近くにわたる奮闘が、詳細に記録されているのが本書の内容です。

 ただし、前述のようにこの本は、よくある地方自治体の首長だの「スーパー公務員」だのの体験談ではありません。鈴木さんの意欲とか、思いといった主観的な記述は極力控えられ、①西成特区構想が企画立案の段階から、②地元自治会や労働者の支援関係者、行政などのステークホルダーとの非常に厳しい折衝、話し合いと合意形成を経て、③具体的な事業案を決め、④しかし財源や実施主体の点で大阪市や大阪府、国から次々と厳しい条件が付きつけられ、⑤スタッフのチームワークで乗り切っていく、その①~⑤までの過程が客観的に記録されているのです。
 このため内容は4百数十ページにもなりますが、一方で学者特有の小難しさや文章の下手さはなく、論理的でユーモアもあり、たいへん読みやすい本です。鈴木さんの力量を感じます。

 もう一つの大きな特徴は、「経済学者が挑む」とあるように、西成特区構想の実現に至るまでのさまざまな局面において、それを経済学的に考えるとどう分析でき、経済学としてはどのような解決策が提案できるか、についてを「コラム」の形で随所に散りばめていることです。わしのような行政職員にとっては、これが非常に役立ちました。
 地域振興本の多くは、成功例を作った(と称する)人の自慢話を主観的なハウツーから構成されているのがほとんどで、理論的な裏付けがわかりやすく説明されている本をわしはほとんど読んだことがありません。

 たとえば、あいりん地区のように特定の場所にドヤ街が形成されるのはなぜでしょうか。労働者の作業現場への移動の手間を考えれば日雇労働市場(寄せ場)はさまざまな土地に分散していても不思議ではありません。しかし、この理由は経済学的には「集積の利益」です。労働者を探す側は大量の労働者が集積している寄せ場のほうが人員を確保しやすく、労働者側にとっても多くの求人が集るし、競争原理で賃金も高くなるので好都合です。寄せ場には簡易宿泊所が集まり、飲食店やサービス、娯楽の店も集まってきます。つまり、寄せ場と簡宿街は相互依存しているため、どちらか一方が規模を維持できなくなると共倒れになる危険性もあります。
 わしが思うに、まちづくりの現場では案外、こうした当たり前のことが軽視または無視されており、何かの一つの施策がどう地元に波及していくのかをあまり考えていない事例は多いように感じています。

 また、「サンクコスト」というのもあります。まちづくりでは先人や先達がいろいろ努力を重ねて現状があります。古くからの関係者は「先輩たちがどれほど苦労して今を勝ち取ったかを考えれば、それを改革しようなどとは言えないはずだ」という批判も必ず出てきます。しかし、過去の犠牲(費用)はすでに終わってしまって取り戻すことはできないので、今後どうするかは純粋にこれから発生する費用と便益を比較して、最も効果的な方法を選ぶ必要があります。
 このようにサンクコスト(埋没費用)にとらわれ、費用と効果を比較すべき問題が、先人への敬意がないなどといった感情論に擦り変えられていくのも、現実にしばしば目にします。

 出色なのは、このように過去のしがらみでがんじがらめになっている中で、市特別顧問という微妙な立ち位置 ~選挙で選ばれた政治家ではなく、地元に精通するプロパー市職員でもない~ の鈴木さんが、どう巨大で複雑な市役所組織(市僚と言ってもいいかもしれません)を使いこなしたかです。
 市職員はなまじ過去からの経緯を知っているだけに、橋下市長がいくら旗を振っても面従腹背で、改革について行こうとはしません。福祉、労働、建設などの部署も縦割りで、責任逃れと仕事の押し付け合いでまったく膠着してしまいます。
 鈴木さんはこうした行政内部の不協和も的確に分析します。
 次の選挙で落選するかもしれない市長が先導する改革など、下手に乗っていって、もし方針が変わったりすれば職員は立つ瀬がありません。なので、市長や市の幹部が改革に本気でブレないかどうか、本当にやり遂げる政治力を持っているかどうか、市民や区民はどう評価しているか、を真剣に値踏みしているのです。口だけの政治家、政治力のないリーダーには表向き角は立てないようにしますが、役人たちの自己保身本能が先走って現場はまったく回らなくなります。
 特に橋下市長は世間からの毀誉褒貶が激しく、市役所内部でも評価が分かれている状態だったので、西成の再生を公約にしていたにもかかわらず、多くの軋轢があったようです。

 鈴木さんはこのようなカオスな大阪市役所をダンテの地獄の門に例えるほどですが、一人一人は誠実で能力も高い市職員と密にコミュニケーションし、徐々に仲間を増やし、小さな成功体験を積み重ね、と地道に人間関係を築き、怒号とヤジが飛び交う「あいりん地区まちづくり検討会議」を数度にわたって市職員とともに乗り越えていくことができました。

 このあたり、市職員の心理、それも建設や福祉、教育、財政などの縦割り組織の中での違い、本庁(大阪市役所)と出先(西成区役所)の立場の違い、やる気がある人とない人の違い、若手と係長や課長、部長や局長といった役職による違い、によって事細かく分析されていて、わしは同業者として非常に納得できることが多かったし、大変参考になりました。霞が関とか県庁も含め、行政組織はある意味で機能不全なのも、論理的に明快なので頭の整理になりました。

 本書は、繰り返しますが大部でページが多いのと、やはり内容が専門的で、地方行政や公共政策についてある程度基礎知識がないと難しいですが、単に頭でっかちの「企画」とか「立案」ではなく、ステークホルダーを巻き込んでそれを本当に実現し、実行し続けていくことの困難さと、同時にやりがいを教えてくれます。
 若手の地方公務員や、それへの就職を目指す学生などにぜひお勧めしたい一冊です。

はんわし的評価 (★★★) ただしやや専門的

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