2017年1月17日火曜日

熊野古道センター 館蔵品展に行ってみた

 せっかく尾鷲まで来たので、三重県立熊野古道センターの館蔵品展に行ってみました。熊野古道センターは、熊野古道が世界遺産に登録されたことを記念して平成19年にオープンした施設であり、広義の「熊野」(=紀伊半島最南部全域を指す)の自然、歴史、文化に関する展示と、体験イベントや文化講座などの企画・実施を行っています。


 また、多数の史料や文献なども収集、所蔵しているそうで、この館蔵品展は熊野古道センターの開館10周年を記念して、熊野詣でが盛んだった中世期の熊野古道に関する道中日記や道中案内記、旅行記、昔の観光ガイド、書籍、浮世絵、絵画などが展示されていました。


 館蔵品展は、常設展や企画展が行われる展示棟ではなく、その奥にある研究収蔵棟で行われています。
 展示棟にはちらほら人がいましたが、研究収蔵棟は大学の図書室みたいなアカデミックな近寄りがたい雰囲気があり、見学時間中、最初から最後までわし一人しかいませんでした。


 看板はこんな感じ。
 なぜかこの展示には目録のようなものがなく ~見つけられなかっただけかも~ 全部で20~30ほどの展示品があったのですが、詳細にここに書き出すことができません。


 いろいろあったのですが、わし個人としては、やはり道中記のような旅日記が興味深く思いました。伊勢神宮から熊野三山まで、熊野古道を何日もえっちらおっちらと歩いてやってきた旅人たち。その合間合間に、通過した土地の地名や何にいくら払ったかといったことを細い筆でこまめにメモしてあるのを見ると、昔から几帳面なヒトはいたのだなあ、と感動すら覚えます。
 まさかその時のメモが150年後の現代、博物館に入っているなどと当人は想像だにできなかったでしょう。


 マニアックですが、信濃国埴科郡西条村(現 長野市)の甚左衛門とその妻・里世が熊野詣で持参していた道中手形(往来手形)も実物が見られてなかなか良かったです。
 道中手形は関所を通過する時のパスポートですが、旅先で何かトラブルが起こったりした時にも村役人に身分を証明するために必要でした。草書なので部分的にしか読めませんが、代々真言宗旨ニテ、とか、関所お通し下されたく、みたいな表記があります。
 面白いのは、病気やケガをしたり、最悪の場合亡くなってしまったりしたときの処置まで明記されていることです。「万一病死仕り候ても、御土地のお慈悲をもって御取り仕舞い下されたく」、つまり、病気になったらその土地先のお慈悲で看病してほしいこと、死んでしまったら埋葬してほしい、ということまで書かれているのです。物見遊山とは言え、熊野詣は死を覚悟した厳しい旅だったことがわかります。
 あと、絵画関係、特に写実というよりクジラやイルカやマンボウが漫画的にデフォルメされている(としか思えない)「紀州熊野浦諸捕鯨之図」とか、伊勢古市を題材にした歌舞伎芝居「伊勢音頭恋の寝刃」の浮世絵などもなかなか凄かったです。

 熊野に魅せられていたという平山郁夫画伯の日本画などもあり、これが無料で見られるというのは大変お得ではないかと思います。

 というふうに感動しつつ展示棟に戻ると、こちらでは「熊野古道センター10年のあゆみ」という企画展をやっていました。
 古道センターは建設当時、全国的に珍しかった2つの大きな特長がありました。今でもそうかもしれませんが。
 一つは、6549本もの尾鷲ヒノキを角材に加工し、それらをボルトで束ねて組柱、組梁、組壁とし、それを構造材にして建設された ~つまり、トラスや集成材によらない~ 国内最大級の木造建築であることです。
 もう一つは、センターのコンセプトや活動方針について、熊野古道の保全活動にかかわってきた地元グループなど、地域住民との話し合いを何年も重ね、それらのNPOを指定管理者として運営したことです。

 古道センターの現状についてはさまざまな意見もあり、課題がないわけではないでしょうが、今とは違って10年前の三重県は、ここまで情熱を持ち、丁寧に住民と話し合って官民が協力し、新しい価値を創造するような仕事をしていたのです。展示された中に、わしにとって懐かしい人々のコメントなどもあって胸が熱くなったのでした。

■三重県立熊野古道センター   http://www.kumanokodocenter.com/

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