2017年2月11日土曜日

沢村栄治の碑「全力石」に行ってみた

 わしが普段よく使っている近鉄宇治山田駅の正面に、明倫(めいりん)商店街という古びた一角があります。
 明倫というのは、明治時代に伊勢市内で設けられた学区(小学校区)の名称で、中国の古典・孟子に由来しているそうですが、それはともかく。
 伊勢のような地方都市の商店街は全国どこでもそうですが、ここ明倫商店街も半分以上が店を閉め、ほとんどシャッター街となっています。
 その起死回生の挽回策かもしれません、最近は「沢村栄治生誕地の商店街」として売り出しており、往年の大投手沢村栄治にまつわる展示やイベントを時々開催しています。
 ただ、沢村投手が活躍したのは戦前で、昭和19年には亡くなっています。その活躍を実際に見た人はもはや数少なく、伝説の部類に入る人物かと思いますが、今年はその生誕100周年に当たるとのことで、明倫商店街内に新しく顕彰碑が建ったニュースを聞いたので見に行ってみました。

 明倫商店街はこんな感じ。近鉄宇治山田駅とは道路を挟んだ反対側(西側)にあります。


 適当に入り口から中に入っていくと。
 アーケードのに沿って小さなお店がバラック建てのようにずらっと並んでいます。


 喫茶店や洋品店、履物店などいくつかのお店は営業していますが、こんな感じで昼間でも人通りがあまりない状況です。
 50mほど進むと、伊勢が生んだ大投手 澤村榮治生誕100年 というノボリやポスターが多くなり、空き店舗の一つでしょうか、特設の資料館になっていました。


 沢村投手は大正6年、当時の宇治山田市の、この付近の岩渕町にある青果商に生まれました。明倫小学校卒業後、京都商業学校に進学。在学中に昭和8年の春の甲子園大会(当時は全国選抜中等学校野球大会)に、昭和9年には春と夏(全国中等学校野球大会)の甲子園に出場しました。
 17歳で中退して読売巨人軍(大日本東京野球倶楽部)に入団し、日本のプロ野球選手の第一期生となりました。150km以上とも言われる速球を武器に、史上初のノーヒットノーランを達成するなど活躍しましたが、もっとも活躍できるはずの時期に兵役についていたこともあって徐々に成績が振るわなくなり、昭和19年の春には巨人を解雇されます。
 同年10月には3度目の兵役につき、12月2日、フィリピンに派遣される途中で輸送船が撃沈され戦死しました。27歳でした。

 で、これがその石碑。全力石という名前の碑だとのことです。いきなり、路上にドーンと設置されているので、一種異様な雰囲気を放っています。


 碑面には
  人に負けるな どんな仕事をしても勝て しかし堂々とだ
 と書かれています。
 ウィキペディアによると、これは昭和15年に、弟に宛てて出した手紙の中に綴られていた言葉だそうです。
 石碑の左横には、設置者のNPO法人澤村榮治顕彰会による解説板があり、「澤村榮治の心が宿るこの石に触れ、願いを込めてパワーを感じとり、めざす目標に向けて全力で進んでください。」とありました。
 商店街を抜けると沢村投手の生家跡があります。建物はもう今はなく、跡地は駐車場になっており、その一角に「澤村榮治生家跡」と彫られた石碑が建っています。上部には背番号14が記された野球ボールののオブジェが乗っています。


 さらにここから歩いて十数分の場所には、沢村投手のお墓があります。その墓石も野球ボールのオブジェがあるそうで、多くのファンが墓参に訪れるそうです。
 明倫商店街にも墓地までの地図が貼られているので、関心がある方はそちらもお参りいただいてはどうでしょうか。

■伊勢百景  近鉄宇治山田駅前にある商店街 めいりん村

■伊勢市役所 沢村栄治生誕100周年記念事業 http://www.city.ise.mie.jp/14750.htm

0 件のコメント: