2017年2月13日月曜日

アマテラスの誕生

 伊勢神宮・内宮の別宮である瀧原宮はわしの大好きな場所であり、今までに何度となく参拝しましたが、この本 アマテラスの誕生 筑紫申真著(講談社学術文庫) を読んで、さらに瀧原宮への関心が高まったので、ちょっとだけ内容をご紹介します。
  伊勢神宮(内宮)の創建は垂仁天皇25年、太陽神たる天照大神(アマテラスオオミカミ)がご神託によって五十鈴川上流にある現在地に鎮座したとされています。
  ところが、この垂仁天皇は実在したのかが疑わしく、したがってこの話は西暦何年ごろに当たるかもわからず、さらにこの鎮座の記述は「日本書紀」にはあるものの「古事記」にはない、などから史実としては不明というのが定説となっています。
  しかしこの「アマテラスの誕生」は、内宮創建は文武天皇2年(698年)の出来事だったと断定します。さらに驚くべきことに、アマテラスはもともと蛇の姿の男神であって、それが長い時間をかけて太陽の女神にして、皇室の祖先であったとの説話に変化していったと言うのです。


 詳しくは本書をお読みいただきたいのですが、筑紫氏の説を乱暴にまとめると、次のようになると思います。
1)はるか古代の人々は、神は天にいて、ある時期になると山の頂上に降臨し、そこから川を流れて人々の近くまでやってくるものと考えていた。
2)シャーマン(巫女)が川に身を浸すことで、神はその人に乗り移る。これが御陰(ミアレ)の本来の意味であり、語源である。
3)太陽や月、雨、雲、嵐、雷、海、岩、山といった天体や気象、地形はそれ自体が信仰の対象で、もともと神とはそれらを指していた。太陽への信仰は最も一般的なもので、太陽神を祭る神社は伊勢神宮以外に全国各地にある。
4)伊勢にももともと土着の太陽信仰があり、近畿地方の領主であった天皇家が九州や中部地方を平定して服従させていく過程で各地の太陽信仰を集約し、天皇こそがその正統な後継者であるという文脈の信仰に作り変えていった。
5)太陽神を表す「アマテラス」も、太陽そのものではなく、その巫女(ミアレ、織姫)を指す名称であった。(したがって太陽神は男性)
6)それが徐々に太陽そのものを指す意味にに変化し、8世紀の女帝であった持統天皇が権力と正統性を誇示するため、自分とアマテラスを重ねあわせる装置として神殿を整備することを画策した。それを実行したのが持統天皇の孫である文武天皇。
7)それまで伊勢神宮に社殿はなく、祭礼の時のみに斎王というミアレに拠り憑くことで姿を現していた。 
 というようなことになるかと思います。 違っていたらすいません。

 そこで最初の瀧原宮の話に戻りますが、続日本紀の中に「文武天皇2年12月乙卯、多気大神宮を度会(わたらい)郡に遷す」という記事が残っています。
 定説では、内宮は創建当初から五十鈴川上流にあったとされます。しかし筑紫氏によると、多気大神宮とは今で言う瀧原宮を指しており、太陽のミアレが行われていた川(古語の「滝」には急流の川という意味もあった)の場所がここであり、上述のように伊勢志摩地方の政治権力が大和朝廷に組み込まれていく過程で、もともとこの地域で有力な信仰を集めていた多気の(瀧原の)祭祀施設が、伊勢神宮の現在地(度会)に遷されたことを示している、というのです。

 もちろん真偽など確かめようもありませんし、学会では筑紫説は異端で、多気大神宮とは神宮関係の役所を指していたという解釈が一般的なようです。
 しかし、筑紫説を意識して瀧原宮を散策すると、天照大神を祀る瀧原宮、瀧原竝宮のほか、川島神社という神社があり、太陽(もしくは太陽の巫女)と川が一対の関係になっているように思えます。


 興味深いのは、瀧原宮のパンフレットでも、川島神社の御祭神、川島神の詳細や由緒は不明と解説されていることです。想像ですが、やはり太陽神の憑依(ミアレ)の場として川を信仰対象としていた特別な意味があったということかもしれません。

■神宮ホームページ 瀧原宮 http://www.isejingu.or.jp/about/naiku/takihara.html
  

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

筑紫申真氏の著書の紹介ありがとうございます。
この本は、伊勢地区の図書館にはありませんし、本屋さんに並ぶこともありません。
筑紫氏はこの本の発行後、伊勢では厳しい”村八分”の状態に置かれ、50才台で他界されたとのこと。この話は「昔のことはわからんでなあ」と避けられます。
まだ国家神道の余韻が残る時代、筑紫氏がフィールドワークを続けられ、この本を残されたことは、日本人の原始崇拝の姿を残すことで、私たちに真の伊勢神宮を知る動機付けとなりました。
伊勢神宮は、縄文期以来、多層の国際的な影響を受けており魅力的な存在です。官製神話への無意識な追従から離れて、真の歴史に向かい合っていけば、もっと世界の人々がこの地を訪れるでしょう。大和朝廷から現在まで中央の政治に翻弄されてきた伊勢では、このことが本当の地方創生ではないかと思います。 長文失礼しました。

半鷲(はんわし) さんのコメント...

 コメントいただきありがとうございます。わしが筑紫氏を知ったのは恥ずかしながら最近で、朝日新聞に載っていたのを見てからです。確か高校の教師だったとか。
 学問的な評価はともかく、非常に多岐にわたる視点からの考察で、大変面白く感じました。
 匿名様のおっしゃるように、伊勢神宮は多層な国際的な影響を受けており、そこが魅力なのはまったく同感です。