2017年4月1日土曜日

仏都・伊勢を往く


 新年度が始まりました。今年は4月1日がわしにとっては休日の土曜日に当たるという珍しい年で、あいにくの小雨でしたが、思い立って伊勢神宮への一日参り(朔日参り)に行ってきました。
 それにしても伊勢神宮の、特に内宮の人出は相変わらずすごいです。わりと朝早くでしたが参拝者は引きも切らず、おはらい町も相当混雑していました。
 ところで、伊勢は神宮があるゆえに「神都」と呼ばれ、古来から仏教の影響が排除されてきた土地柄で、実際に内宮がある宇治地区にはお寺がまったくありません。
 しかしこのブログでたびたび取り上げているように、明治維新まで伊勢神宮周辺には多くの寺が甍を並べており、加持祈祷が盛んに行われ、全国から多くの僧尼や仏教徒が押し寄せてきていたのです。
 伊勢(宇治山田)はまさに仏都の側面を持っており、今もその名残をあちこちで見ることができます。

 内宮近くだと、たとえば、おはらい町沿いにあって現在は神宮祭主職舎となっている、旧慶光院がそうです。


 慶光院は室町時代に創建された尼寺ですが、時は戦国の世で群雄が割拠して治は大いに乱れ、内宮の宇治橋(御裳裾川橋)の架け替えや、本来なら20年に一度斎行される式年遷宮のための巨額の費用を、室町幕府はもちろん、朝廷も、神宮も工面できなくなってしまい ~荘園からの年貢が戦乱で運べなかったり、そもそも荘園が奪われたりして~ 荒れるがままになっているという、嘆かわしい異常な事態になっていました。
 そこで勧進聖と呼ばれる僧尼が全国を行脚し、土地の有力者や庶民から献金を募って費用にする動きが広まってきました。慶光院も代々の尼たちが伊勢神宮の復興のために各地を勧進し、ついには朝廷の信任を得て、宇治橋の架け替えや、100年以上も廃絶していた式年遷宮を復興するという偉業を成し遂げたのでした。
 しかしながら、今から思えば、いくら幕府や朝廷から許可を取ったとはいえ、一介の尼に過ぎない慶光院が、今の貨幣価値に換算すると300億円以上もかかる式年遷宮の費用をなぜ集めることができたかは謎というほかありません。
 おそらく、室町時代後期になると全国の神社仏閣は乱世のため維持管理に必要な収入が得られず困窮しており、必要に迫られて僧尼や神職が勧進を始めたもので、それが次第に専門化して、非常に高い募金スキルを持つ慶光院のような勧進聖が生まれてきたのだと思います。もともと仏教は神道に比べて弱者救済活動が盛んだったので一般民衆に近い位置にあったことや、全国に教団や宗徒のネットワークがあったことも理由でしょう。


 僧尼が伊勢神宮のために募金を集めるのは今では奇異に思えますが、言うまでもなくこの室町時代当時は神仏習合が社会常識でした。天照大神は大日如来(または十一面観音)が姿を変えたもので実質は同体と考えられていたので、仏教者が伊勢参宮したり、神前で読経するのは当然のことだったのです。
 宇治橋は1580年(天正8年)にも架け替えられていますが、その際には橋の安全を祈念した「橋供養」が挙行され、1500人もの僧が法華経2万部を修誦し、橋の傍らには高さが2m以上もある石造りの供養塔(宝篋印塔)が建立されました。完全な仏式のイベントだったのです。

 もっとも、伊勢神宮側が仏教を快く思っていたわけでは必ずしもありません。古来から仏教に対して様々な禁忌があったため、僧尼が伊勢神宮を参拝するときは正宮の前は許されず、別の場所からの遥拝しかできないなど物理的な規制は多々あったようです。
 しかし実態として式年遷宮は、慶光院という尼に、ひいては仏教者のネットワークや財力に頼らざるを得なかったので、これは乱世が終わって徳川幕府による太平の時代になると、神宮史としては一種の汚点と見なされるようになり、遷宮は幕府直轄の事業となって慶光院の関与は断ち切られるようになってしまいます。

 供養塔は明治になると神仏分離令によって(一説には神祇思想が流行した江戸時代中期に)撤去されます。今は近くの墓地に移設されているというので見に行ってきました。

雨が降っている、誰もいない墓地。非常に陰陰滅滅とした気分で探すこと5分。おそらくこれだろうと思いましたが、この塔、伊勢市の指定有形文化財でありながら看板もないのです。お墓の中にひょこっと建っているので、よくよく探さないと見落とすところでした。  
 橋の安全を願う供養塔が墓地に追いやられた神仏分離(廃仏毀釈)政策は、天皇を中心にいただく近代国家をまったく新しく作るために、あえて王政復古や祭政一致といった古代の政治体制を打ち出すという、それ自体矛盾したものです。しかしヨーロッパ諸国がアジアを侵略する中、日本が独立国として生き残るには必要な宗教政策だったのかもしれません。(多くの寺院や貴重な仏像などが破壊されてしまい、いまだにその傷はあまりに大きいのですが。)

 ただ、すでに民主国家となり人々の価値観や宗教観も多様化している今、明治時代にフィクションとして作られた「伊勢神宮は古来から変わらない姿である」とか「仏教の影響を受けない日本古来の精神を体現している」といったドグマは、そろそろ見直してもいいのではないでしょうか。実は伊勢神宮は陰陽道や仏教の影響も受けているインターナショナルな祭祀であり、それゆえに幾多の国難を乗り越え、社会の変革に柔軟に適応して今に至っているのです。
 こうした側面の遺跡を、不定期で「仏都・伊勢を往く」というシリーズでぼちぼち取り上げていきたいと思います。

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