2017年4月17日月曜日

仏都・伊勢を往く(古市街道編)その3了

承前  仏都・伊勢を往く(古市街道編)その1
    仏都・伊勢を往く(古市街道編)その2

 叡尊の「大五輪の五輪塔」がある清丸稲荷神社を後に、古市街道の古市郵便局前三叉路まで戻り、そこを左折して再び街道に沿って歩きます。(グーグルマップはこちら

 このあたり古市は、京都・島原、長崎・丸山などと並ぶ一大遊郭街で、芝居小屋や旅籠、料理屋などが建ち並んでいたそうです。一生に一度と言われたお伊勢参りを終え、いわゆる「精進落とし」のどんちゃん騒ぎが夜な夜な繰り広げられていたのでしょう。
 ただ、沿道には写真の大林寺のように、お寺や神社も多く、聖と俗が同居する空間だったのでしょう。
 土地柄、酒や色がからむ事件事故は多かったようで、中でも1796年(寛政8年)に起こった「油屋騒動」は有名です。

 世間を震撼とさせたこの殺人事件については大林寺の公式ホームページに詳しく紹介されていますし、わしも何回か取り上げたことがあるのでそちらをご覧ください。


 寛政8年といえば厳しい倹約令を強いた老中・松平定信が寛政の改革に失敗し、失脚した直後です。飢饉が頻発して多くの棄民が江戸に流入する厳しい世相の一方で、伊勢には相変わらず大勢の参宮客が押し寄せていたのですから、爛熟か、神頼みか、庶民はどんな心情だったのでしょうか。
 大林寺をあとに街道を進むと、事件の舞台となった遊郭「油屋」の跡があります。今は近鉄の線路となっており、建物はおろか場所も残っていません。



 さらに街道を進むと、左に入る路地があり、ブラタモリなどで放映されて今や古市界隈で一番の観光名所になった旅館 麻吉があります。
わしも中に入ったことはありませんが、山の斜面に階段状に建つ木造建築は風情があり、外から見ているだけでもなかなかに素晴らしいです。ぜひ一度泊まってみたい!


 ちなみに、路地のはるか向こうに遠望できる山は、弘法大師が開山したという霊峰・朝熊岳です。伊勢神宮を参るものは、この山の頂にある金剛証寺も参らないと「片参り」になると言われたそうです。
 
 麻吉から街道に戻って進むと、左側に寂照寺があります。


 伽藍のうち、金毘羅堂、観音堂、山門が国の登録有形文化財になっています。
 江戸時代に寺運が衰退した時期があって、本山から遣わされた画僧・月僊(げっせん)が絵を売ってその資金で再興したというものすごい歴史を有しています。月僊は余剰資金で貧困者への資金貸付制度を設け、それは明治まで続いたというのですから、偉大な仏教者だったのだと思います。(くわしくはこちらを)

 街道をさらに行くと、高速道路が掘割を横断する、広大な空間の交差点が広がっています。その角には伊勢市立「伊勢古市参宮街道資料館」があるので、いにしえの古市や花街の様子はここで知ることができます。(入場無料。公式サイトへのリンクはこちら


 高速道路の交差点を過ぎると、古市街道の道幅はますます狭くなり3~4mほど。江戸時代当時とあまり変わらないのではないかと思えるほどです。
 道すがら、「桜木地蔵」と書かれた石柱や看板が目に付くようになってきます。路地を右側に入り、家々や畑の坂道を下っていくと、5分ほどで桜木地蔵のお堂に着きます。


 由緒書によると、ここは勢田川(その1の小田橋が架かっている川)の源流で、桜の大樹の下に鎮座していたお地蔵様を、江戸時代に了運尼禅宣上人なる尼がここに庵を結んでお祀りしたものだそうです。
 ちなみに、チャンバラ時代劇によく出てくる大岡越前は、江戸町奉行になる前、ここ伊勢で山田奉行を務めていました。大岡もここに参ったことがあるそうです。
 
 さて、あちこち寄り道しまくりなので、歩き出してから優に2時間はたっています。
 桜木地蔵から古市街道に戻り、淡々と進むと、伊勢神宮・内宮の鳥居前町である「宇治」に入る、そのランドマークともいえる巨大な両宮常夜灯が目に入ってきました。


 ここからは急な下り坂(牛谷坂)になっており、左は猿田彦神社境内の林、右側は美術館などわずかな建物のみで、なんだか寂しい場所です。

 坂を突き当たると、御木本道路(県道32号)の交差点になります。その1でも書いたようにこの道は伊勢神宮・外宮前からここまで一本道でつながっているので、外宮から内宮へ歩いていくには御木本道路が最短ルートとなります。(健脚なら40~50分)
 急速にクルマが増え、猿田彦神社の参詣者も多く、古市街道の静かさがウソのようです。
 ここから100mで宇治浦田という大きな交差点に着くので、そこを右折して、石灯篭が建ち並び歩道が赤レンガの道を進んでいきます。
 ここ宇治地区は明治時代の廃仏毀釈が最も徹底的に断行されたため、現在でもお寺は一軒もないそうです。
 よく見ると、慶光院墓地のような史跡があり、以前このブログに取り上げた宇治橋供養塔がある北山墓地などもあるのですが、気が付く人はほとんどいないでしょう。


 おはらい町に入ると、さらに人出が多くなり、ほとんど歩行者天国状態です。間違いなく伊勢で最大の賑わいでしょう。
 お菓子やらソフトクリームやら、棒付きのかまぼこやら松阪牛やら、コロッケやらミンチカツやら、サイダーやら酒やらビールやら、もうありとあらゆる飲食店が並んでおり、数え切れないほどの人々がそぞろ歩いています。
 わしの疲労も限界ですが、最後に豆乳ソフトとか豆乳ドーナツで有名な豆腐庵山中の奥にある 宇治法楽舎跡 に寄らないわけにはいきません。


 宇治法楽舎は、内宮の祭神・天照大神の神前で読経や祈祷などの仏事(これを法楽といいます)を行うために建てられたお寺です。この石碑によると、1275年(建治元年)に御宇多天皇の命で建てられたそうです。
 この時期は、文永の役(1274年)は蒙古軍を撃退できたものの再度襲来してくることが確実視されていた政情不安定な頃で、朝廷は全国の神社仏閣に蒙古撃退の祈願を行うよう命じていました。その結果、弘安の役(1281年)も蒙古侵略軍を追い払うことができたのですから、伊勢神宮や法楽舎での祈願や仏事がどれほど霊験あらたかだったか、貴賤を問わず当時の人々は非常に強く印象付けられたことでしょう。
 
 たびたび引用している伊勢参宮名所図会にも法楽舎の名が見えます。(下の左隅に「不動堂」と並んで建っています。)


 おはらい町の通りはほぼそのままで、土産物屋や飲食店の代わりに、お寺や神職の住居などが建ち並んでいたのです。多くの僧による読経が聞こえ、香の煙が立ちこめていたことでしょう。お土産に御守りや仏画、念珠などを買っていく参宮客も多かったはずです。
 


 さて長々と3回に渡って書いてきた「仏都・伊勢を往く(古市街道編)」ですが、わしの本意は神仏の優劣を論じることではありません。神仏習合はつい100年ほど前までは人々の共通常識であり、神都と称された伊勢(宇治山田)でも実態として根付いていたということです。
 伊勢神宮における仏教の深い影響に思いを馳せると、さらに深く「こころのふるさと伊勢」の本質が見えてくるのではないでしょうか。

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