2017年4月29日土曜日

仏都・伊勢を往く(金剛証寺編)上

 一部のマニアックな方(?)からは好評を得ているっぽい「仏都・伊勢を往く」シリーズですが、前々回の常明寺にせよ、前回の弘正寺にせよ、明治の廃仏毀釈ですでに姿を消しているので、今となっては跡地で往時の繁栄を偲ぶほかありません。
 そこで今回はリアルなお寺として、今や伊勢志摩を代表するお寺と言って過言ではない金剛証寺を訪ねてみました。
 勝峰山金剛証寺は欽明天皇の御代、つまり6世紀の仏教が日本に伝来したばかりのころに暁台上人なる人物によって、ここ朝熊岳に開山されたそうです。
 朝熊岳は標高555mながら伊勢志摩地域の最高峰です。一帯のどこからでも ~写真のように海上からも~ 仰ぎ見ることができるため、古来から霊峰として崇められていた場所だったようです。

 堂宇は平安時代(9世紀)に弘法大師によって建立され、密教修業の一大道場として隆盛を極めたそうですが、その後、鎌倉時代に密教(真言宗)から禅寺(臨済宗南禅寺派)に改められ、現在まで伊勢神宮の鬼門を護る寺として御本尊の福威智満虚空蔵大菩薩(ふくいちまんこくぞうだいぼさつ)をお祀りしています。
 

 金剛証寺は山頂にあるので、アクセスは有料道路(伊勢志摩スカイライン)を使ってクルマで来るか、登山道を歩いて登って来るかしかありません。
 スカイライン経由だと、伊勢、鳥羽の料金所から約15分で来ることができます。徒歩は登山道がいくつかありますが、近鉄朝熊駅に近い朝熊岳道(あさまたけみち)を使うと約1時間です。

 石段を登り、立派な山門をくぐると、「連間(つれま)の池」があって、「連珠橋」という太鼓橋が架かっています。


 連珠橋を境として、此岸(しがん=迷いの世界)と彼岸(ひがん=悟りの世界)が表されているとのことです。
 
 されに境内を進んでいくと、檜皮葺、朱塗りの巨大な本堂(摩尼殿)が現れます。
 もともとは江戸時代の慶長年間に、徳川家康の命令で姫路城主・池田輝政によって再建されたものです。(現在のものは平成6年に大修理)


 本尊の福威智満虚空蔵大菩薩は、広大無辺(虚空)の福徳と智慧を備えた菩薩だそうで、秘仏。伊勢神宮の式年遷宮の翌年のみ、つまり20年に一度ご開帳されます。

このように伊勢神宮とゆかりが深いこともあって、金剛証寺も神仏習合の名残が至る所に残っています。
 代表的なのは雨宝童子の信仰です。
 雨宝童子とは伊勢神宮・内宮の祭神である天照大神が、天上から日本の日向(ひゅうが)に下生(げしょう)しようしたときの16歳の少年(少女か?)の姿をしており、右手に金剛宝棒を、左手に宝珠を持ち、頭上には五輪塔を頂いています。
 仏教界が主張した両部神道の立場からは、雨宝童子は天照大神の本地仏である大日如来が姿をかえた存在であって、この三者は同体と理解されていました。

 先ほどの「連間の池」の彼岸、つまり参道から見て向こう岸には雨宝童子を祀った祠があります。

 雨宝童子の像は、弘法大師が朝熊山で修行している時に感得し、自ら造ったという高さ1メートルほどの像だそうで、本物は国の重要文化財。その複製が山門に安置されています。 


 しかしなぜ、大日如来(成人の姿)ではなくわざわざ童子の頃の天照大神をお祀りしたのかはよくわかりません。弘法大師の感得だというから理屈もへったくれもないのでしょうが。
 わしの推測ですが、上述のように朝熊岳は古来から伊勢志摩地域の霊峰で、おそらく雨乞いなども行われた聖地だったと思うので、雨を呼ぶ(あるいは雨を止める)神様と、アマテラスからニニギノミコトの「天孫降臨」のイメージが重なったのではないでしょうか?

 ほかにも金剛証寺と朝熊岳には霊峰たるゆえんの風習である「卒塔婆」供養などがありますが、これらは詳しく記述されているブログもあるのでそちらをご覧いただくとして、本堂と雨宝堂をお参りしたわしが次に向かったのは、三重県で数少ない国宝の一つである朝熊岳山頂の経塚群です。こここそ朝熊岳が霊峰であるゆえに成り立った、究極の神仏習合のスポットだからです。

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