2017年4月3日月曜日

津観音寺・国府の阿弥陀の見仏記

 今月から「仏都・伊勢を往く」を不定期連載していくと宣言した矢先、津市の恵日山観音寺(津観音)で年一回の観音会式が行われ、それに合わせて内陣が拝観できると聞いたので行ってみました。
 津観音は8世紀初めに開山された県内屈指の名刹です。ご本尊は、秘仏とされ通常は非公開のところ、この機会の三日間だけ御開帳されるという聖観世音菩薩。
 このありがたい聖観音様とご仏縁を結ぶこともさりながら、今回のわしの秘めたる目的は、かつてここ観音寺の有力塔頭であった大宝院の御本尊である「国府阿弥陀如来」(こうのあみだにょらい)の像を拝見することでした。
 この国府阿弥陀像は伊勢神宮・内宮にご鎮座する天照大神の本地仏とされており、江戸時代には伊勢街道を往来する参宮客にとって参拝欠かすべからざる、非常に有名な仏様だったそうなのです。わしも正直なところ、最近知ったのですが。


 日本で最高の神にして皇室の祖先と位置づけられる天照大神ですが、仏教が浸透し、天皇自身も深く帰依するようになる奈良時代ごろから、天照大神と仏教に関わる、もっと言えば、天照大神が仏教を崇拝し、大仏築造を喜んでいるといった内容の伝説や逸話が生まれてくるようになります。(もちろん逸話の発信元は仏教側でしょうが。)

恵日山観音寺パンフレットより
 津観音寺のパンフレットによると、「恵日山雑記」という記録に
・昔、奈良の西大寺を再興した興正菩薩(叡尊)の末弟である僧・覚乗が天照大神に対して「我に御姿を見せ給え」と日夜祈誓っていた。
・すると祈り始めてから100日目に夢の中で「明日、夜が明けたら二見浦にて我が姿を見せしめん」とのお告げがあった。
・覚乗が急いで二見浦に向かうと、海上が光り輝き長さが3メートル(一丈)もある金色の蛇が表れた。
・覚乗は驚き、この姿は方便であって実躯ではない、と着ていた袈裟を脱いで蛇に投げつけたところ、蛇は袈裟と共に水中に姿を消した。
・覚乗はその後も祈りを続けていたが、再び夢中にお告げがあり、「国府の里、大平山無量寿寺に我が真実の姿あり」と。
・そこで覚乗は無量寿寺で、秘仏であった寺の扉を開くと、この阿弥陀如来と両脇侍の観音菩薩、勢至菩薩の三尊像が光り輝いて現れた。
・(驚くべきことに、)像には二見浦で投げつけたはずの袈裟が掛かっており、覚乗は感涙して頂礼した。
 とあるそうです。覚乗はのちに西大寺の十一代長老となる実在の人物なので、14~15世紀ころの話になります。

 この無量寿寺が今の鈴鹿市南西部に当たる、鈴鹿郡国府村(こうむら)にあったことから国府阿弥陀と呼ばれるようになり、16世紀終わりの天正年間に諸事情により現在地である大宝院(津観音寺)で祀られるようになったもののようです。
 
 天照大神が蛇神であるというのは、以前このブログで紹介した筑紫申真氏なども唱えていますが、少なくとも太陽を表す女神だというのは定説なので、阿弥陀如来が本地仏であることも不思議な気がするし、そもそも阿弥陀如来は男性ではないのかしらんと思うのですが。如来に性別ってないのでしょうか?

 しかし、そのへんの解釈はともかく、江戸時代にはこの国府阿弥陀仏は毎丑年に江戸・両国の回向院で出開帳を行うなど広く知られており、江戸時代中期に出版された伊勢参宮のガイドブックである「伊勢参宮名所図会」には津観音と同等か、それ以上に大きく大宝院が「国府阿みだ」として紹介されています。(赤丸の箇所です。)


 また、三重大学附属図書館のホームページによると、同館が所蔵する当時の旅資料にも国府阿弥陀のことが記録されているものがあります。(参宮上方道中日記)

 で、この日、わしも実際に拝見したのですが、高さ1メートルほど。金箔などはなく清楚な印象の美しい仏様でした。
 たいへん慈悲深い感じがして、合掌した後で清々しい気持ちになったのが我ながら不思議でした。

■~津の観音さん~恵日山観音寺  http://www.tsukannon.com/

■ブログ 伊勢西国三十三所観音霊場案内記 第14番.観音寺
     http://kitaise.my.coocan.jp/ise33-14page.htm

■はんわしの評論家気取り 仏都・伊勢を往く(2017年4月1日)
 

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