2017年7月12日水曜日

タオルと芋粥

 芥川龍之介の小説に「芋粥」というのがありました。平安時代、都の公家に仕える下級武士の物語です。気力も腕力も人並み以下で、貧乏暮らしのこの侍が、ある若い男の前でふと「せめて芋粥が腹いっぱい食べてみたい」と口を滑らせたことから物語は急転します。
 この若者は越前・敦賀の受領(ずりょう。地方長官)の一族でした。下級武士は敦賀に招待され、受領の邸宅で下へも置かぬもてなしを受けたことに驚き、気後れさえ感じ始めます。極めつけは夜も更けて休もうとしていた時、「皆の者、よーく聞け。今日は大切な客人から都から来ている。召し上がっていただくのに、明日の朝までにこれこれの大きさの山芋を、皆が一本ずつ必ず持ってまいれ」と叫ぶ誰かの号令を聞いたことです。
 夢うつつのうちに朝が来て外を見ると、百姓たちが持ってきた山芋が、それこそ山のようにうずたかく積まれていたのです。これを見た途端、侍は「もうこれを見ただけで腹が一杯になり申した」とつぶやいた、というような話でした。
 こんなことを思い出したのは、今月5日の九州豪雨で、山の崩壊や土石流、洪水などによる大きな被害を受けた大分県日田市の、ある被災者の呼びかけに応じて、全国から善意のタオルが途方もないほど送られてきて、収拾がつかなくなっているという記事を見たからです。


 J-CASTニュースによると、タオルの送付を呼び掛けたのは日田市で雑貨店を営む女性。自身も店舗や自宅が床上浸水しました。泥だらけになった室内を掃除するためには大量のタオルが必要なため、この女性は5日夜にフェイスブックで、浸水被害の状況を写真で紹介し、古いタオルを送ってくれるよう住所と電話番号を添えて呼びかけました。

 実はわし、この女性と思しき方がテレビのニュース番組でも取り上げられていたのを見ました。なるほど浸水した家が何百軒もあるならタオルは大量にいるだろうと思ったと同時に、テレビやSNSで呼びかけたらたぶんすぐに必要量は集まるだろうと思いました。むしろ、たくさん集まりすぎたらどうするのだろう、という悪い予感さえありました。

 さて、このフェイスブックでの呼びかけの結果、翌6日までに投稿のシェアは500件を超え、大量のタオルがこの女性のもとに届けられるようになります。6日の朝のうちに「タオルは十分足りています」という新たな書き込みを行い、夜にはタオル募集を削除し、その旨の報告も投稿しました。
 しかし善意のタオルは止まりません。一時は一日100本近くの問い合わせの電話が昼夜の別なく鳴り続け、今日12日の昼時点で、段ボール500箱ものタオルが届けられたとのことです。

 ご本人が前の投稿を削除したり、「もう送らなくてもいい」と新たに投稿しているのに送付が止まらないのは、最初の投稿を見た人がその後の経過を確認することなくツイッターで次々に拡散したためと思われるとのこと。
 一度投稿が広まってしまうと、本人でさえ情報の拡散を止めることができない、そして現在がどうなのかに関心が払われることもなく、さらに善意で情報が広がっていくという、ネットの便利さと共に恐ろしさも強く感じたというのがご本人の感想だそうです。

■J-CASTニュース
 ネットの「善意」の盲点 九州豪雨で「タオル大量送付」が起きたワケ(2017/7/12)

 あれだけの災害の衝撃的な映像を次々とテレビで流されると、視聴者の多くは何とか被災地の力になりたいと思うはずです。しかし、やはりこの点は冷静に、現地が今どんな状況で、どんな支援が必要なのかをよく見極めることが必要です。
 混乱し、その状況も刻々と変わっていく被災地では、モノよりもお金のほうがはるかに管理や扱いが便利で、結局はいろいろなことに役に立つ、ともよく聞きます。これはきっと真実なのだと思います。

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