2017年8月12日土曜日

素直に喜べないかもしれないが

アウトドア月刊誌のBE-PAL(ビーパル)9月号が「新しいニッポンの秘境108選」という特集を組んでいますが、この表紙の写真、どっかで見たことがあるなーと思っていたら、我が三重県は熊野市紀和町木津呂の風景でした。ヘアピンカーブを描いているのは熊野川支流の北山川。この付近は名勝として有名な瀞峡(瀞峡)のやや下流で、S字に大きく蛇行した流れが連続する区間です。
 わしも行ったことないけど、木津呂集落はこの北山川のヘアピンカーブの中に(アルファベットのUの字のイメージ)にあり、行政区域としては三重県に属するものの、周囲は和歌山県に囲まれているという独特の地形環境になっています。
 日本有数の木材産地であった紀伊山地から丸太を切り出して筏に組み、北山川、熊野川を流れ降りて集積地である新宮市に至る、その中継地として重要な位置にあったことは、筏の中継地を示す木津、川の大きなカーブを示す呂、という、まさしくこれ以上ないほど地理関係をピッタリ表す地名が示している通りです。


 さて、木津呂を「新しい秘境」に推薦しているのは池田圭氏という秘境探検家です。
 彼がここで注目したのは、熊野地域一帯の郷土料理である「めはり寿司」でした。


 めはり寿司とは、一般的には高菜の葉を塩漬けにしたものをまるごと一枚使い、ご飯をくるんで俵型に握った寿司のことです。中身のご飯には高菜漬の茎を刻んだり、鰹節を混ぜたりと、土地土地でいろいろなオプションがありますが、高菜漬けでくるむことと、ご飯の量が握り飯並みに多い(茶碗一杯分とか)の2つはベーシックなお約束です。
 これは、めはり寿司が晴れの日の食べ物ではなく、日常食、特に木こりや筏乗りのような労働者が携帯するご飯だったため、かさばらず、かつ、量が多いことが不可欠だったことに由来します。(めはり寿司というネーミングの由来は諸説ありますが、口を大きく開けないと入らないほど大きいので、食べる時に口と一緒に目も見開いてしまう=目を張るためだというのが有力説のようです。)

 で、ビーパルのこの記事には、めはり寿司と並ぶ郷土料理のサンマ寿司、そして筏流しの歴史を今に伝える「観光筏下り」や、新宮まで筏で着いた後に木津呂まで歩いて帰った「筏師の道」、さらにかつて筏乗りの宿だったという旧「瀞ホテル」、さらには同じ熊野市紀和町内にある世界遺産・丸山千枚田なども紹介されています。

 秘境とは何か、というのは大変に奥深い問題です。ビーパルの特集も、そもそも秘境をどう定義するのか、そもそも今の日本に秘境と呼びうる場所が本当にあるのか、についての秘境達人たちによる鼎談から始まります。
 地理的に文明社会と隔絶した北海道の原野とか絶海の孤島などは典型的な秘境ですが、それだけでなく、その土地に住む人が、長い歴史を持つその土地ならではの生活様式を守って暮らしている、あえて表現すれば「生活の力」を持っている土地も秘境である、というような内容は大変興味深いものがあります。

 ただ、残念ながら生活の力を今に伝えていたとしても、現代のあまりにも合理的で画一的な生活様式の社会の中では、ある種の「滅びの美学」とも映ってしまうようにも思えます。
 「秘境の達人」を名乗るが、本質的に現代の便利さにどっぷりつかっているであろう彼らは、こうした情報提供はできるし、魅力を語ることはできる。それはもちろん意義のあることだけれど、では、秘境を持続させ次世代につないでいくにはどうすべきかは答えを持ち合わせていません。

 せめて短期的には、この写真の美しい光景に魅せられた方はぜひ実際に木津呂を訪れ、景色を見たり地域の方と知り合って魅力を実感し、その対価として、いくらかでもその土地で消費する=地域におカネを落とす、ということしかないのかもしれません。

0 件のコメント: