2012年1月30日月曜日

法制度が想定する「未来」

はんわしが自宅の周りをぐるっと散歩しているだけで、すぐに数軒の廃屋を見つけることができます。その多くは古い木造家屋で、デザインや様式からおそらく昭和30~40年代、あるいはそれ以前に建てられたものだと思われます。
  中には梁や柱が傷んでいるのか、傾いたり、屋根が大きく波打っているものもあります。これらの家の隣家にとっては、台風や地震のことが気がかりであることは容易に想像できますし、以前このブログに書いたように、わし自身も同じような経験をしたことがあります。(その時のブログはこちらを)

 成熟社会に対応するためには今までのような拡散志向の都市経営でなく、限りがある資源を一定のエリアに集中投資する「コンパクトシティ」の考え方が重要となることは明らかです。(もちろん、工場とか迷惑施設のように郊外立地がふさわしいものも残り続けるでしょうが。)

  一方で、このようなコンパクトシティの考え方は、商店街活性化とか都市計画の「業界」ではもうずっと以前から提唱されていた考え方です。これが進まない 大きな原因も、中心市街地になればなるほど土地や建物の権利関係が複雑で入り組んでおり、再開発などに対する地元の合意がなかなか取れないことにあるのも、いわば常識です。

 最近あらためて思うのは、法律制度には「来たるべき社会」とか、「社会の活性化」といった考え方を取り入れていないのではないかということです。
 もちろん、憲法のように普遍的な社会理念を高らかに掲げるものは確かにあります。また、土地基本法とかの「なになに基本法」といったたぐいの法律も、その分野での理念とか理想を掲げた法律です。
  しかし憲法はともかく、実際に直接個々の法律紛争に適用される民法とか商法、民事訴訟法などは、実務的で価値中立的な法律であり、総則では法の理念がうたわれているものの、法律自体からは「この法は、日本がどのような社会であることを想定しているのか」をうかがい知ることはできません。

 うまく言えないのですが、たとえば医療保険や年金などの社会保障制度が右肩上がりの人口増と経済成長を念頭に制度設計されているように、それなら民法は、いったいどんな社会を念頭に置いて制度設計されているのか、ということです。
  近代の契約法の前提は、法の主体である個人や法人は合理的な存在で、自己の利益を最大化するために行動するということです。当たり前ですが、これは事実で はない(人間は不合理な存在で、往々にして利他的な行動もとる)ので、それを補完するためにさまざまな社会的な立法が行われました。

 冒頭の話に戻りますが、しかし、町の真ん中で放っておかれている廃屋についてはどうでしょうか。廃屋もモノである以上、誰かが所有しているので、それを利害 関係を持つ誰かが、自分で費用を負担して調べ上げ、真正な所有者に処分を求めればよい、というのが現在の民法の考え方です。
 それは、
・いかなる財産でも(廃屋でも)価値はある
・隣家は自分の権利は(廃屋が自分の敷地に崩れ落ちてこないように)自分で行使しなければならない
 という大原則があります。

 しかし、21世紀の今、モノに価値はなく、自分の権利を行使しない(能力的にも経済的にも、意欲の面でも)人はたくさんいます。まさに民法が想定している社会とは異質の世の中になっているのです。
 これは、「廃屋処理法」といった特別法を作れば済む話とは、少々次元が違うように思います。今の日本の現状を打破するには、法律面でも何らかの革新が求められているように思います。

2012年1月29日日曜日

もう代案はありません

 藤沢数希さんの「日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門」(ダイヤモンド社)を読了しました。
 人気ブログ「金融日記」の記事をもとに書き下ろしたもので、文章が大変読みやすく、内容がわかりやすいのでおススメです。

 日本経済の行く末とか、グローバル競争下の日本の経済政策はどうあるべきか、みたいな本はたっくさん出ています。
 しかし藤沢さんの本は「各人が自由な市場で競争する資本主義の優位性は、現時点では認めざるを得ない。したがって、人、モノ、カネが世界中を移動する自由市場を前提に、その中でどうやって利益を上げていくかを考えなくてはならない」という主義主張で貫かれています。
(これは、日本では「市場原理主義」と呼ばれていますが、世界の先進国ではほぼコンセンサスを得た考え方です。)

 なので、各章のタイトルからして刺激に満ちています。たとえば、最終章(第5章)で本の題名にもなっている「もう代案はありません」はこんな構成です。

1 成長戦略が何もないのが一番の成長戦略
(要旨:政府が成長産業を見抜くことはできず、政府が成長分野を決めて後押しすることで民間投資の効率的な配分や、人々のインセンティブをゆがめる。)
2 税制を抜本改革してがんばる人に報いる
(要旨:日本の税制は超累進的で、頑張った起業家からむしりとる構造になっている。このため、税金は広く国民が負担する消費税を中心にし、税率は所得税も法人税も消費税もすべて10%にする。)
3 年金は清算して一度廃止する
(要旨:現行制度では40歳以下の人は支払う保険料が受け取る年金を大幅に下回ることが確実。このような世代間格差は解消し、あらためて公的社会保障制度の必要性を議論すべき。)
4 解雇自由化で労働市場を効率的にする
(要旨:日本の厳しい解雇規制がリスクを新規採用の抑制や非正規労働者に押し付けることにつながっている。労働市場を流動化して、斜陽産業から成長産業に労働力が自由に移動できるようにすべき。)

 などなど。

 詳しくは本書をお読みいただきたいのですが、「市場も失敗するが、政府による失敗よりも傷口は浅い。」という趣旨が貫かれています。

 藤沢さんによれば、政府(政治や行政)の役割は、特定の産業分野をターゲティングして保護したり支援したりすることでなく、日本の成長力の源泉となる「生産性」を上げることです。
 質の高い人材を育成するための教育の再生であったり、起業家が輩出するような金融システムの構築や、民間企業がイノベーションを生み出すような自由な競争を促進するための規制緩和であったり、といった「潜在成長力の強化」こそが求められているのです。

 ところが日本では、成功したベンチャー企業の経営者を格差格差と騒いでつぶしたり、ヘッジファンドや投資銀行をマネーゲームだハゲタカだといって追い出そうとしたりで、むしろ自ら潜在成長率を下げるようなことばかりやっているのです。(本書110ページ)

 傾聴すべき意見かと思います。

2012年1月28日土曜日

三重県内の起業支援情報二題

タイミング的にやや遅くなってしまいましたが、三重県内で実施される起業支援のイベントを2つご紹介します。両方とも素晴らしい企画だと思います。

1 企業人への閃きセミナー&交流会
 四日市市にあるIT企業 サイバー・ネット・コミュニケーションズ株式会社は、起業家支援のためインキュベーション施設「Biz SQよっかいち」を運営しています。

 このたび、不況だからこそ起業にチャレンジ と銘打って、就職活動中の人、定年退職者、主婦の方にそれぞれターゲットを設定した起業セミナーを開催しています。

 残念ながら、第1回目の退職者向けの回はすでに終了していますが、この後、2月4日(土)に就活中の学生向け、2月18日(土)には主婦など女性向けのセミナーが実施されます。
 詳しくは下記のリンクを参照してください。

 ■Biz SQ よっかいち  http://www.bizsq41.jp/index.html

2 K-Biz起業サポート移動相談会 in 松阪
 K-Bizとは「クシロビジネス」の略で、北海道釧路市で施行された「釧路市中小企業基本条例」の理念にのっとり、北海道中小企業家同友会釧路支部などが取り組む、中小企業による新しいチャレンジを支援するものだそうです。
 釧路と松阪の関係ですが、明治初めに「北海道」という名前をかの地に命名した、いわば名付け親である探検家松浦武四郎が松阪市(旧三雲町)の出身であった縁があり、今回の相談会が松阪市で開催されることになったそうです。
 日時は2月25日(土)で、コーディネーターは、何と起業支援のカリスマであり、現在は静岡県の富士市産業支援センターf-Bizのセンター長である小出宗昭さんです。
 相談は無料のようですが、完全予約制のようなので、詳しくは下記のリンクをご参照のうえ問い合わせてみてください。

 ■北海道中小企業家同友会 釧路事務所  リンクはこちら 

 ■三重県中小企業家同友会 リンクはこちら(チラシのPDFファイルあり)

2012年1月27日金曜日

起業家の発想、役人の発想

ここ何週間か、中小企業の経営者とお目にかかる機会が増えています。中でも特に、自分自身で事業や会社を立ち上げ、大きく発展させた創業経営者、いわゆる「起業家」の方々の発想には驚かされ、今さらながらその慧眼に敬服することがしばしばです。

 先日の貿易赤字のニュースに象徴されるように、工業製品を輸出して外貨を獲得するという発展途上国型の「貿易立国モデル」がほぼ破綻している我が国ですが、役人はどうしても「現状維持」と「今の延長線上」の発想から抜け出すことができません。
 その典型が、いまだに地域商工政策の柱が企業誘致、なかんずく「工場の誘致」であって、莫大な税金を投じて道路や工業団地を整備し、誘致企業に補助金を出す手法が踏襲されていることです。
 さすがにこれでは先がないとわかってきたので、最近は「撤退阻止」、つまり他の生産コストが安い地域に企業が流出することを防ごうと、なんやかんや税金を投入しています。

 しかし、合理的に考えて、設備投資や労働投入が生産性向上に直結する、装置型産業や労働集約型産業が海外に移転することは経済の力学的必然です。このことを ~「産業空洞化論」のような良い悪いの議論ではなく~ 具体的でリアルなイメージで捉えないと対策の立てようもありません。
 そのことは、わしもわかっていると自分では思っていました。

 しかし、ある起業家から「四日市から石油コンビナートが全部撤退した後のことを考えたことがあるか?」と問われたとき、わしも、はたと困ってしまったのです。
 数千人の従業員が雇用され、大量の原油が輸入され、大規模な装置と高度な技術で原油を精製して多様な化学製品を大量に作り出す石油化学コンビナート。
 これはいわば三重県産業にとって重要すぎて、あるのが当たり前になっているのがわしも含めて多くの役人の認識なのだと思います。これが数年後に撤退してしまうかもしれないなどとは想像することもできません。

 絶句しているわしに対して起業家が言った言葉は、これまた予想外のものでした。
 「そんなの簡単や。四日市からコンビナートがなくなることは、長らく積もり積もった公害の街という負のイメージが払拭されることでもあるんや。本来の豊かな自然や環境が取り戻せることで、農業や食品製造業や観光業にはずっとプラスになる。アンチエイジングのような医療サービスも可能性が出てくる。こんな発想が新しいチャンスの芽になるから、時代の変化を読んで、それに合わせてどう事業を作るかを考えるのが経営者の仕事なんや。」
 
 よく、中小企業の強みは、組織が小さいがゆえの柔軟性とか機動力とか言われますが、そのことはこのお話のような超ポジティブな発想から生まれるものであることを再認識しました。
 同時に、どれだけアンテナの感度が高く、時代の先を見据えられるかの能力が、優れた起業家と、その他の凡百の経営者や役人との(残酷なほどの)違いなのだということも思い知らされたのでした。

2012年1月26日木曜日

2月9日に「ソーシャルファイナンス・セミナー」

三重県主催のソーシャルファイナンス・セミナーが、2月9日(木)13時30分から、津市の三重県水産会館で開催されます。

 くわしくは三重県ホームページを。リンクはこちら

 もともと、金融とは、大商人とか中世ヨーロッパの教会とかの大金持ちが庶民に貸し付けを行ったスタイルのほかに、多くの庶民たちが少額のおカネを出しあって元手を作り、それを仲間内で貸し付けあったスタイルの2つがあります。
 後者は「講」とか「無尽」と呼ばれる庶民金融で、近代的な銀行制度が導入されてからもこのスタイルは生き続け、信用組合とか、かつての「相互銀行」も比較的規模の大きな「無尽」から始まった例は多くあります。(たとえば、第三銀行もそうでした。)

 しかし、特にこのスタイルが注目を集めたのは、東日本大震災で被災した中小企業を再建するために、一般の市民から資金を集めて融資(投資)する仕組みが大きな成果を上げたことです。
 もちろん、それ以前から、通常の金融機関からは借り入れが極めて難しいNPOの活動などを支援するため、市民の有志が出資する、いわゆる「市民バンク」の活動も活発でした。正確には、こういった市民バンクの、社会的に意義がある(=社会的な課題を解決する)事業にファイナンスする仕組みが、東日本大震災であらためて見直されたという捉え方が正しいのかもしれません。

 市民バンク(ソーシャルファイナンス)がこれからますます重要になるのは、これからの日本においてほぼ間違いありません。今のような成熟した社会、すなわち多様な価値観が並立し、分散し、せめぎ合っている社会では、営利活動、非営利活動を問わず何かのアクションをしようとする場合「市民の共感」が何より決定的な要素になるからです。
 共感の具現化が、市民の志が託されたお金(志金)というファイナンスになるわけです。

 このことは、わからない人にはさっぱりわからない話かもしれません。
 たとえば、日本という国を閉ざすことで農業を守ろうと考えている人々、工業製品をどんどん作り続けて貿易黒字を続けることこそ日本の生きる道だと信じている人々、市民は税金を払っているのだから困りごとややっかいごとはすべて政治や行政が解決すべきだと思っている人々などです。
 こういった人々は、世界は変化し、市民は自立し、社会は進んでいくということがどうしてもわからないのです。おそらく市民が儲かりもしない事業やビジネスに身銭を投資する意味も理解できないでしょう。

 そういう人は残念ですが、このバスに乗ってもらうことはできません。気が付くまでほっぽっておくほかありません。

 逆に、ソーシャルファイナンスに少しでも可能性を見いだせる人は、このセミナーは絶好の機会になることでしょう。誰もが最初から全知全能ではありません。こういった勉強のチャンスを有効に活用して、知識と見聞と、人脈を広げていくことが大事です。
 
 一方、ソーシャルファイナンスの主役である市民バンクは、以前、四日市商工共済協同組合の経営破たんが大きな社会問題となったような潜在的な危険性も持っています。セミナーでは、このあたりの説明や議論にも期待したいと思います。

2012年1月25日水曜日

羽毛のナンバーワン企業が三重にあった

今日、三重県明和町にある河田フェザー株式会社を訪問しました。
 失礼ながら、あまり予備知識がない状態でおうかがいしたのですが、ここは羽毛専門の加工企業として、日本最大規模の工場であることを初めて知りました。

 言うまでもなく、羽毛とは「羽毛布団」とか「ダウンコート」などに使われる水鳥の羽根のことです。しかし、原料としての「鳥の羽根」が、ダウンやフェザーといった中間商品になるためには、ほこりや泥を落とし、洗浄して完全に汚れを取り去り、よく乾燥して、部位や羽毛の性質ごとに分別し、さらにそれを布団やコートなどの原料になるようレシピに沿ってブレンドする、という多くの工程が必要です。

 河田フェザーは昭和50年代から羽毛の加工に取り組んでいる、我が国の羽毛業界の草分け的な企業であり、ヨーロッパなど外国での羽毛の仕入から、除塵→洗濯→乾燥→冷却除塵→選別という加工を、自社で編み出した独自製法と、それを実現するために自社開発した装置機器を使って、ほぼ自動化された工程で行っています。
 完成した羽毛は、原料としてアパレルメーカーに出荷されるほか、同じ敷地にある関連会社で羽毛布団に加工されています。
 会社の方のお話しでは、羽毛精製処理能力:平均7.5トン/日、羽毛布団生産枚数 平均150枚/時間という生産規模は日本最大といってよく、その高い品質は、最近市場でよく目にする中国製の羽毛とは天地ほどの差があり、絶対の自信を持っているとのこと。中国市場でも、富裕層向けの高級品は同社の製品が多いそうです。
 ただ、近年はヨーロッパでも羽毛の生産量が減少しているほか、新興国の需要が高まって、国際価格の高騰や羽毛の品薄が問題となっているとのこと。この点は気になるところです。

 ところで、同社の工場は明和町に立地しています。
 明和町は松阪牛で有名な松阪市と伊勢市の中間に位置しており、最近では古代の遺跡である斎宮(さいくう)跡から、平安時代のものと思われる「いろは」のひらがな文字が書かれた土器の破片が出土したことで一躍脚光を浴びていますが、あたりは一面に田んぼが広がり、全く農村といった趣です。

 この地に来た理由は、ここの地下深くを大台山系からの伏流水が流れており、繊細な羽毛を洗浄する水として最適の水質であったためと、羽毛は湿気があると丸まって洗浄しにくいため、前工程としてよく乾燥させる必要があるが、明和町は三重県内でも降水量が少なく乾燥工程に適した気候だから、という理由だったそうです。
 そう言えば、明和町近辺は「伊勢たくわん」(大根漬け)や、「伊勢ひじき」の産地であり、いずれも乾燥という工程が重要な産品です。しかもすぐ近くには酒造業者もあって、これも水質が良いことの証左と言えそうです。

 三重の隠れたナンバーワン企業を知り、何だか得した気分になった一日でした。

■河田フェザー株式会社 http://kwd.jp/index.html

2012年1月24日火曜日

これって高等戦術かも?

どっかの田舎の県の知事が、天下のNHK大河ドラマを批判したことが話題になっています。知事は、画面が汚らしいとか何だとか言っているようですが、昔のテレビの水戸黄門とか大岡越前みたいな、ある種の様式化した時代劇が好きな人には確かにそう見えるのかもしれません。
 しかしNHKの担当プロデューサーは、写実的な表現にこだわっているという趣旨の話をしているので、これはあくまで見ている人の美的感覚の問題です。

 うがった見方をすれば、こうも考えられます。

 田舎知事は、自分の県とゆかりがあり、ロケ地にもなっているこのドラマをもっともっと多くの人に見てほしい。見た人が、じゃあ今度の旅行はここに行ってみようか、という話になって、地元に観光収入が落ちるかもしれない。
 その話題作りには、なんか地元の知事が難癖つけている、みたいな話題がオモロイのではないか。だったらいっちょう、クレーマー役を演じてみるか。そしたらマスコミが面白がって騒いでくれて、タダでPRになる。しめしめ。
 ひょっとするとこんな高等戦術なのかもしれません。わかりませんけど。

 話は変わってTPP。
 一部の新聞が混合診療の解禁について報じています。
・アメリカの通商代表部(=日本の通商産業省に相当する役所)がTPPへの参加交渉や事前協議で、公的医療保険の適用対象となる診療と、適用対象外となる診療(いわゆる「自由診療」)を併用する「混合診療」の全面解禁を、議題の対象外にする方針を日本政府に伝えていた。
・これは1月22日に明らかになったもので、混合診療の全面解禁が国民皆保険制度の崩壊につながると主張をしている日本医師会などの関係者に配慮して譲歩したものとみられる。
 ということが要旨ですが、果たして本当でしょうか。

 日本経済の行き詰まりは、自動車や家電といった外需に過度に偏った産業構造が一つの原因なのは明らかです。その処方箋として、医薬品や医療機器の開発を核にして、医療技術や看護技術も総合化した「医療サービス」を次世代産業の柱に据えることがあげられます。
 これは、内需中心の産業構造へと転換する必要性と共に、人口の高齢化が進んで、間違いなく国内の実需が増加してくるためです。

 しかし、公的医療保険はわかりやすく言えば国家管理の社会主義経済であるため規制が多く、技術革新やビジネスモデル革新といったイノベーションが起こりにくい環境にあります。
 実際にニーズを持つ人が、それ相当の自己負担をしても革新的な医療サービスが受けられるようにしないと、せっかく進んだ技術やサービスが生まれてもなかなか普及せず、開発コストも回収できないことになります。つまり、医療が「産業」に育たないのです。

 仮に混合診療が解禁され、自由競争的な原理が働くようになれば、さまざまなイノベーションの芽が医療分野でも生まれてくることでしょう。このような局面になった時、日本という国の底力は計り知れません。

 これは困る。将来の医療イノベーションのイニシアティブを日本に取られることは、アメリカの国益に反する。
 ならば、規模的な将来性が低い日本市場への進出はあきらめるかわりに、イノベーションの起こりにくい公的医療保険制度を堅持させ、日本の医療産業が大きく飛躍して世界市場に展開することがないように今のうちにブロックしてしまおう。

 もちろんこれもわしの想像なわけですが、もしそうだったらすごい高等戦術です。
 日本は新興国という膨大な医療市場から、事実上締め出されてしまうのです。