2011年12月31日土曜日

Tomorrow never knows

早いもので平成23年もあと数時間で終わりです。
 今年は東日本大震災、福島原発のメルトダウン事故、台風12号などによる風水害、など日本にとって試練の一年であったと後世に記憶されることは間違いないでしょう。

 しかしながら、それにしても「人知を超えた」という表現は言いえて妙です。
 昨年の大みそか、今年がこのような年になると予測できた人が一体何人いたのでしょうか。
 天災だけでなく、デフレ、円高、電力不足、それにアメリカやヨーロッパを中心にした世界経済の失速・・・これらの厳然とした事実は、したり顔で語る識者や政治家や官僚が、あるいは財界人が語った事前の予測や、今までの延長線上にある「解決策」をやすやすと飛び越えてしまったのですから。
 そうこうしているうちに、いやおうなく日本は「次のステージ」へと押し出されていくのでしょう。すなわち成長を目指す社会から、成熟と向かい合う社会へとです。

 成長することが難しいステージに進むことを、社会の閉塞感と表現されることがよくあります。これは「無常感」を言い換えてもいいのかもしれません。
 振り返ってみると、わが国でも、一つの体制が長らく続き、制度疲労によって混乱を極めたとき、そのような世相が見られました。「末法思想」蔓延した平安時代末期や応仁の乱などの戦乱が果てしなく続いた室町時代中期など。

 しかし、同時に、それは新しい時代へと進む「貯め」の時期でもありました。
 これは歴史が証明しています。
 
 明日のことは誰にもわからない。
 そのとおりです。まさしく今年がそうでした。
 しかし我々は歩み続けるしかない。
 手本はないのです。自分を信じて、自分の目で見て、耳で聞いて、頭で考えて、進んでいくほかない。

 そんなことを最近よく考えます。歳をとったのかもしれません。

 では、どちらさまもよいお年を。

2011年12月30日金曜日

パークアンドバスライド・・・こんなのいつまで続く

 伊勢神宮がある伊勢市ではお正月、多くの初詣客がやってくるため、内宮、外宮周辺の道路が大混雑します。このため、自家用車利用客を郊外の特設有料駐車場に誘導し、そこからバスで伊勢神宮に運ぶ「パークアンドバスライド」を行っています。

 はっきり言って、自家用車で伊勢に初詣に来るには相当な覚悟が必要です。もし特段の支障がないのであれば、面倒ですし寒いですが、公共交通機関でご来勢されることを強くおすすめします。結果的にその方がストレスなく、時間を有効に使えることは断言できます。

 伊勢神宮外宮へは、JR・近鉄伊勢市駅、または近鉄宇治山田駅から徒歩15分ほど。
 伊勢神宮内宮は外宮から約4km離れていますが、外宮前からは三重交通バスが頻繁に出ている(渋滞度合いで違うものの所要時間20分ほど。運賃は大人410円)ほか、タクシーもじゃんじゃん出ています。
 健脚の方なら歩いても1時間ほどです。
 なお、近鉄に五十鈴川(内宮前)という駅がありますが、ここが「内宮前」だというのは完全な誇張で、実際には五十鈴川駅から内宮まで徒歩で20分ほどかかりますので十分注意してください。

 ■パーク&バスライド(伊勢市役所ホームページ) リンクはこちら
   
 しかし、一市民として思うのは、パークアンドバスライドはいったいいつまで続くのだろうかということです。
 逆に言えば、クルマで来る人々が多数派を占める世の中はいつまで続くのかということです。

 伊勢神宮は20年に一度、社殿や鳥居を建て替え、神宝などもすべて作り替える「式年遷宮」が行われます。
 第二次大戦後から今まで式年遷宮は都合3回ありましたが、そのいずれも、伊勢市にとっては道路が新しく整備される歴史でした。
 式年遷宮イコール道路が良くなる、という歴史だったのです。

◆第59回式年遷宮(昭和28年) 参宮有料道路(現在の県道鳥羽松阪線)が開通。一説にはこの区間が日本初の有料道路だった。(歴史の情報蔵
◆第60回式年遷宮(昭和48年) 国道23号線のバイパス(通称 南勢バイパス)が松阪~内宮前まで整備される。
◆第61回式年遷宮(平成5年) 高速道路(伊勢自動車道)が伊勢IC、伊勢西ICまで延伸。鳥羽まで自動車専用道路が開通。南勢バイパスも完全4車線化。

 これはまさしく日本の経済成長の軌跡でもあります。
 しかし、次回の第62回式年遷宮が行われる平成25年は日本社会が全く違ったフェーズに入っているはずです。
 経済成長は鈍化または後退しており、市場は成熟化し、自動車に代表されるエネルギー消費型の文明が ・・・徐々にではありますが・・・ 見直されている社会になっているはずです。
 その象徴なのは、平成25年は伊勢市では、国道167号第二伊勢道路のような周辺部の整備は別として、市内への道路の新設は戦後初めて、とうとう行われないという事実です。

 ならば、伊勢神宮(神宮司庁)や、伊勢市役所、伊勢市観光協会など参宮や観光に関連するすべてのセクターはこう呼びかけるべきなのです。

 次回の遷宮は自家用車でなく、電車で来ましょう。
 市内はバスやタクシー、自転車で移動しましょう。
 皆で省エネ型の新しい式年遷宮にしましょう。
 時代は変わったのです。日本は新しい時代を迎えるのです。

 と。

2011年12月29日木曜日

本当に「御福餅本家」に行ってみた

先日、伊勢名物である「御福餅」のパッケージが変わったことを書いたところ、マニアと思われる少数の方々から反響がありました。
 そこで、実家に行きがてら、伊勢市二見町の中心部にある御福餅本家に立ち寄ってみました。

 
 今では自家用車利用の観光客が圧倒的に多いため、かつては目抜き通りであったJR二見浦駅から、旅館街を通って海岸沿いに、二見興玉神社、そして名勝 夫婦岩に至る参道も、昼間だというのに通行人はほとんどいないありさまです。
 ここに、伊勢地方の伝統的な建築様式である切妻妻入りの建物が二棟並んで建っているのが御福餅本家です。(写真の手前左側)

 
 例の、夫婦岩の間から朝日が昇り、旭光の中に富士山らしき山が見えるというパッケージの箱入り御福餅がずらずらっと並べられ、販売されていました。
 左側が8個入り(700円)、右側が4個入りです。ほかに12個入りと20個入りもあります。


 包装紙を外し、ふたを開けるとこんな感じ。(写真が汚くてすいません。)
 正直なところ、見た目はAK福餅とほとんど同じです。
 御福餅のほうは若干アンコ(こしあん)の中に小豆の粒が残っている感じがします。AK福のほうは完全なこしあんなので、よ~く見ると違いは分かるのですが。
 ちなみに、さびれた目抜き通り沿い、御福餅本家の数軒ほど隣には、AK福餅も二見支店を出しています。


 決定的に違うのは、御福餅の方は最後の仕上げ工程、つまり、お餅にアンコを乗せる作業は完全な手作業で、一切機械化されていないという点です。
 実際に店の奥が作業場になっており、白衣を着た10名ほどの職人さんたちがせっせと餅をちぎり、アンコを乗せています。
 御福餅をよく見るとアンコの両側に指でなぞった形が残っていますが、この模様がひとつひとつ違っているのが、完全オートメ化されているAK福と一目瞭然に違います。

 実はこの写真は、店員の方に「御福餅は完全手作りなんですよね?」と水を向けたら、「そうなんです! ちょうど今作業をやっていますので、どうぞ(カウンターの)中に入ってご覧ください。」と言ってくれ、お言葉に甘えて撮影させていただいたものです。
(携帯なので暗い室内だと画像がちょっとゆがんでしまっています。)

 御福餅さんは、この「手作り」の工程に相当こだわっておられるようで、わしがいろいろマニアックな質問をしたのに喜んでいただいたのか、それとも厄介なお客だと思われたのか定かではありませんが、上の写真の右側にあった4個入りのものは、その時「おみやげにどうぞ」といただいたものです。

 ここまで親切にしていただいたので、「どうしてパッケージを変えたんですか?」とはさすがに聞けませんでした。
 実際に、甘さといい、アンコの食感といい、はんわしてきには類似の餅よりも御福餅の方が好みなので、目先の変わった伊勢志摩みやげをお探しの方にはぜひ御福餅をおすすめします。

 ■御福餅本家 http://ofukumochi.com/

 ちなみに、新しいパッケージの夫婦岩の絵は、吉田初三郎もびっくりの超デフォルメ画ですが、実際に夏至の日、ごくまれにこのような光景が見られることを、伊勢志摩経済新聞が報じています。

2011年12月28日水曜日

新築移転した三重県「新伊勢庁舎」に行ってみた

三重県庁の地域機関(出先機関)である伊勢庁舎の、新しい庁舎が今週から業務を開始しました。
 旧伊勢庁舎は耐震基準を満たしていなかったため、100mほど東の隣接地に新築移転することとなっており、建物が先月竣工し、このたび引っ越しが完了したのです。
 新築された伊勢庁舎に行ってきました。


 おそらく伊勢神宮のお膝元ということなのでしょうか、伊勢(宇治山田)地域の伝統的な建築様式である切妻妻入りの外観となっており、大きな屋根が印象的です。
 伊勢神宮外宮に先日竣工し、4月オープン予定の「せんぐう館」もほぼ同じようなデザインなので、「伊勢にはこんなんしかないんかい!」と少々突っ込みたくなります。(ただ、デザインは上品でなかなか良い。)
 

 新庁舎は鉄筋コンクリート造り4階建ての本館と、2階建ての別館、厚生施設のある附属棟からなっており、建設費は約34億円。
 もともとこの付近の土地は軟弱な地盤だったようで、基礎工事の途中、隣接する民家が傾くなどのアクシデントがあり、その補償工事や、旧庁舎の取り壊し費用なども含めると総事業費は約46億円となるそうです。

 
 1階内部はこんな感じ。
 伊勢県民センター、伊勢県税事務所、伊勢保健福祉事務所、南勢志摩児童相談所、伊勢農林水産商工環境事務所、伊勢建設事務所などが入居しています。
 明るく広々としていて、県庁の狭く乱雑で劣悪な労働環境とは大違いなので羨ましい次第です。ここなら職員も、県民のため業務に精励できることでしょう。
 本当はもっと写真も撮ったらよかったのですが、あまりパチパしていると明らかに怪しい人になってしまうので自粛しました。

 
 昼時だったので、附属棟にある職員食堂にも行ってみました。
 これまた広々としており、木をふんだんに使った明るく清潔な食堂でした。セルフサービス式で、このランチで400円ほど。
 職員以外でも利用可能ですので、もし機会があれば県政ウォッチも兼ねて行ってみてはいかがでしょうか。

2011年12月27日火曜日

来春、松阪でCSRセミナー

松阪市のNPO法人 Mブリッジ CSR推進チームのホームページに「CSRセミナー」の参加者募集の記事が載っています。

 概要を転載すると

・参加予定150名の企業を対象にした、松阪市・松阪地域産業活性化協議会主催『松阪地域製造業者交流セミナー』が2012年2月3日(金)に開催される。

・本来は「松阪地域の製造業者」が対象だが、セミナーの運営団体として「松阪地域」「製造業者」に限定しない『Mブリッジ招待枠』を設けることができた。

株式会社オルタナ社長の森摂さんと、『CSR優良企業への挑戦』などの著者、原田勝広明治学院大学教授との貴重な特別対談が行われる。

・会社の上層部に「CSR意識の必要性」を伝えるのは大変という声も耳にする。1社につき2名までご招待することができるので、この機会に上司を誘っては? 決定権者の理解を深めてもらうチャンスに活用ください。
 とのこと。

 開催日時は平成24年2月3日(金)の午後3時から。
 場所は、松阪市高町502にある華王殿
 Mブリッジ招待枠の定員は40名で、申込締切は1月13日(金)。応募多数の場合は抽選となるそうなので、詳細はHPをご覧ください。

■NPO法人 Mブリッジ CSR推進チーム  http://m-csr.jimdo.com/20120203seminar/

 来年以降、日本経済の先行きはますます不透明になることが確実です。
 戦国期や幕末期を振り返っても明らかなように、混沌とした時代こそ、若い世代の人材育成が重要であり、来年は地域振興や産業振興の観点からも「人材育成」とか「若者や女性の活用」が大きなテーマとなることは間違いありません。
 もう一つ、大きなキーワードになるとはんわしが断言できるのが「地域貢献」です。CSRももちろんその範疇に入ります。

 国内市場は成熟化し、一部の企業では海外展開が不可避となります。同時に、多くの中小企業は身の回りの市場や自社の立地環境を捉え直し、再構築するという、内省的な取り組みがブームになってくるはずです。
 多くの中小企業は地域に立脚しており、地域住民のために何ができるかが、ビジネス上のステークホルダーの利害と同等か、それ以上の地位を占めてくるようになるでしょう。
 逆に言えば、地域に貢献できない企業はその地で存続する意味がありません。淘汰されるしかないのです。

 遅かれ早かれその分かれ目は来ます。
 ならば、前向きにCSRを学び、他に先駆けて自社に取り入れるべきです。
 日本の第一人者による対談が三重県で聞けるのです。この機会がどれほど貴重か!

2011年12月26日月曜日

熊野の新姫(にいひめ)がいよいよブレークか!

 最近、FM三重(レディオキューブ)を聞いていたら、新姫(にいひめ)のCMをやっていたので、おや!?と思いました。
 もちろん嬉しい驚きです。

 新姫は三重県熊野市で発見され、平成19年から本格的な栽培が始まった柑橘で、大きさは数センチ、見た目は小さめの青ユズみたいな感じです。
 しかし、ヘスペリジンなど抗アレルギー性の成分を多く含む高機能性の香酸柑橘であり、現在は品種登録により熊野市が独占的な育成者権を持っていることから、同市が主導して栽培農家を拡大し、同時に特産品として関連する加工食品の開発にも取り組んできています。

 数年前は出荷量も少なく、華々しくPRされたわりに、実物にはほとんどお目にかかれない(熊野市内の店か、ヤマナカフレンテのような一部のスーパーでしか販売されていなかった)状態で、これは本当に特産品として産業化できるのかいな?というのが率直なところでした。

 しかし、2年くらい前から新姫果汁新姫ポン酢などの関連商品を東紀州一円の道の駅などでよく目にするようになり、プロモーションが本格化してきたことが実感されました。

 そして、先日の伊勢新聞では、(財)紀和町ふるさと公社(注:熊野市に合併する前の旧紀和町内の特産品開発・販売を目的に設立された熊野市の外郭団体)が、津市の寒紅梅酒造とタイアップして、新姫リキュールを開発。
 1月からの本格販売を前に、熊野市内で数量限定の先行販売を始めたことが報じられています。

 さらに、冒頭のラジオCM。
 いよいよ新姫、ブレークの時がやってきたのでしょうか。応援したいと思います。

 ただ惜しむらくは、東紀州の特産品に特有ともいえる、ネットによる情報発信が極端に少ないことです。
 新姫も、なかなか「にいひめ」とは読みにくいので検索キーワードとしては不利なのですが、それにしてもリキュールのニュースも検索エンジンではほとんどヒットしません。
 しかも発売元である(財)紀和町ふるさと公社のHPにさえ載っていません。たまたま伊勢新聞の記事を見た幸運な購入希望者は、電話して、熊野市内2カ所にしかない販売店で購入しなくてはいけないのです。

 なぜネットでPRしないのだろう・・・

 熊野市のもう一つの特産品である熊野地鶏は、先日放映されたNTV系テレビ番組「ぐるナイ」の人気コーナー「ゴチになります」で一躍有名になってきたようですから、「熊野地鶏用公式ポン酢」みたいなタイアッププロモーションも決して不可能ではないと思うのですが。せっかくのチャンスなのに。

■(財)紀和町ふるさと公社 通販コーナー「自慢の商品」
  http://www.kiwa-furusato.com/shop/niihime.html
   

2011年12月25日日曜日

年忘れ 熊野古道「馬越峠」ウォーク

世界遺産である熊野古道伊勢路の馬越峠を歩いてきました。

 まずは、年末恒例である「年末きいながしま港市」に立ち寄ってみました。12月17日から27日まで、紀北町の紀伊長島漁港で開催されています。
 ブリやアジ、渡利カキといった水産物や、干物などの加工食品、サンマ寿司、菓子類など約80のブースが出店しており、市価より安いということでかなりのお客さんが押し寄せていました。


 問題は、海のすぐ近くなので風が強くてものすごく寒いということ。
(もう一つ、強いて言うと、「紀伊長島にしかない」というものがあまりないことでしょうか。鮮魚も干物も、ある意味コモディティ化しているので、鮮度と価格だけで勝負するビジネスモデルは次第に厳しくなってくるのかもしれません。)
 しかし、いいものが安く買えるので、おすすめのスポットではあります。買いすぎに注意。

 午後からメインの馬越峠。
 クルマを三重県尾鷲庁舎の駐車場に止め、国道42号とJR紀勢本線を渡って、尾鷲神社の横から登り始めます。共同墓地、馬越公園を過ぎると本格的な石畳になり、勾配も急になってきます。
 真冬なのに大汗をかいて登ることおよそ40分で峠に到着。

 
 ここは尾鷲の絶景ポイントである天狗倉山(てんぐらさん)への分岐点でもあります。天気が良かったのできっと絶景だっただろうけど、シンドイのでこのまま紀北町(海山)方面に下ることにします。


 石畳に関して言うと、峠から海山側の方が絵になるポイントが多いような気がします。ヒノキの木立の中に、古人が営々と築きあげたのであろう石畳の道が続いているのを見ると、何だか懐かしいような、不思議な感慨にとらわれます。いつまでもいたくなる場所です。
 と言いつつも、近くでサルの鳴き声が聞こえてきてちょっと怖いので、スタスタと下ります。


 ここが紀北町側の登り口である、三重交通バスの「鷲毛」のバス停です。時刻が1時間に1本くらいしかないので、待ち時間が長い時は歩いて5分ほどの道の駅海山で一服していくのもオツです。
 鷲毛からバスに乗って尾鷲方面に戻ると、歩いて1時間半かかる馬越峠もわずか10分足らずです。(昨年の春に同じコースを歩きました。2010年3月22日 早春の熊野古道 馬越峠を歩く


 尾鷲に戻ってから、夢古道の湯で疲れを癒していくことにしました。
 夢古道の湯は温泉ではありませんが、尾鷲市沖の深海から採取されている海洋深層水を使った温浴施設で、保温や保湿効果に優れていることが実証されています。
 ここの露天風呂は本当に絶景で、尾鷲湾と尾鷲の街が一望できます。左にそびえる便石山(びんしやま)と天狗倉山も望むことができます。この二つの山に挟まれた鞍部が馬越峠ということになります。我ながらよく登った・・・。
 ちょうどこの日はゆず湯をやっていて、浴槽はすがすがしい柚子の香りに包まれていました。
 年末の一日を楽しく過ごせました。皆様もぜひ。

■夢古道おわせ http://yumekodo.jp/

■熊野古道 馬越峠コース案内くまどこ) 
    http://kumadoco.net/kodo/course/06/index.html

2011年12月24日土曜日

特区って、まだやっていたのか

政府は12月22日、総合特別区域の第一次指定の対象を決定しました。

 総合特区制度とは、政府の「新成長戦略」の一環として創設された制度で、地方自治体や民間からの提案に基づいて、規制の特例措置や税制・財政・金融上の支援措置等をパッケージ化して実施するものです。
 今までの構造改革特区では、とっくに指定されても、優遇策は今ある法的な規制措置の規制緩和だけだったのが、総合特区では、税制や金融面の特例も追加されたところが相違点です。
 具体的には、設備投資額の一部を法人税額から控除するほか、企業の借入資金に利子補給金を出すなどの措置があるようです。また、特例措置の提案については、国が実現に向けて地方と協議することを義務付ける制度も導入されました。
 総合特区には、「国際戦略総合特区」と「地域活性化総合特区」の2種類があり、このたびは国際戦略総合特区については7区域が、地域活性化総合特区については26区域が指定されています。
 
 三重県近辺で目に付くのは
○アジアNo.1航空宇宙産業クラスター形成特区(岐阜県、各務原市、愛知県、名古屋市、ほか8市町村)
○関西イノベーション国際戦略総合特区(京都府、京都市、大阪府、大阪市、兵庫県及び神戸市)
○和歌山県「高野・熊野」文化・地域振興総合特区(和歌山県)
 などといったところです。

 アジアNo.1航空宇宙産業クラスター形成特区については、日本経済新聞によると
・国際戦略総合特区の指定を受けた地域は、大手重工メーカーの航空宇宙部門の主要拠点や中部国際空港、県営名古 屋空港、名古屋大学などを抱える。米ボーイングの新型旅客機「787」の部品生産や三菱航空機(名古屋市)の小型ジェット機「MRJ」の開発などが進めら れている。
・愛知、岐阜両県などは海外からの部品調達コストの低減に向けた関税撤廃や、部品の一貫受注システム構築に向けた中小向け支援、工場の新規立地に関する規制 緩和などを取り組みとして挙げている。
・2015年の中部の航空宇宙産業の生産高を2010年実績に比べ3割増の9千億円とする目標を掲げているが、今後、政府に要 望した特例や支援措置がどの程度認められるのかが焦点となる。
 とのことです。(12月23日付け リンクはこちら

 また、和歌山県「高野・熊野」文化・地域振興総合特区は、紀伊民報によると
申請計画案では、観光客の受け入れ促進や文化財など地域資源の保全を目標に事業を展開するとしており、県内の世界遺産関連地域に訪問している観光客数を、現在(2010年実績)の年間1070万人から、2015年に年間1130 万人に伸ばし、外国人宿泊客数でも同8万8千人を15万人にまで伸ばす。
規制緩和など特例措置については、国家資格の通訳案内士以外でも有償で通訳ガイド業務ができる仕組みづくりや、ホテルや旅館が旅行代理業をできるようにする規制の緩和、世界遺産登録地の緩衝地帯(バッファゾーン)での史跡保全事業に対する国庫補助制度などを検討している。
詳細な実行計画や事業スケジュールは現時点で決まっていない。今後、国や県、地域協議会で協議を進めて具体的な事業計画を策定する予定。
 とのこと。
(12月23日付け リンクはこちら

 要するに、4年後にはこうなっていてほしい、という青写真(というか、願望)はあるが、具体的な実施方法は今後の国との協議次第ということのようです。

 特区制度は小泉内閣の時に、地方の自主性を重んじ、自分たちの地域に必要な振興策を自分たちで考え、必要な規制緩和措置を国に訴えていこうというもので、当時は非常に画期的な制度でした。
 しかし、その後、おそらく何十、何百という特区制度が全国から申請され、採択されたと思いますが、実際に地域振興に役立った成功例はごく少数か、はっきり言えばほとんどない(効果が全くなかったというのでなく、本当に狭い範囲に限定されて全国に波及しなかったものも含めて)のではないかと思います。

 インターネットで調べても、特区制度の成果は、政府が作成した簡単な成果レポートくらいしか見当たらず、精緻に分析しているデータは全く見つけることができませんでした。(ご存知の方がいれば、ぜひご教示をお願いします。)
 正直言って、特区って、まだやっていたのかという感じです。

 国の補助制度などに共通して言えることですが、実際に現場でビジネスや地域活動をバリバリやっている、リーダーともいうべき人やその団体は、行政との調整を長々とやっているくらいなら、まず自分たちでできることをやってしまおうというバイタリティーと行動力にあふれています。
 そういう勢力にとって、特区はいかにも「かったるい」、非常に「行政的なスピード感」の制度なのかもしれません。

 跡田直澄嘉悦大学教授も、その著書「中国が笑う日本の資本主義」(ヴィレッジブックス新書)の中で、「構造改革特区制度は各省庁が自分たちの権限を失いたくないために、全国的な規制は残しつつ、いかにも規制緩和しているように見せかけるために作り出した姑息な発想です」と喝破しています。

2011年12月23日金曜日

伊勢神宮にできた「せんぐう(遷宮)館」

伊勢神宮は20年に一度、社殿や鳥居をはじめ、多数の神宝をすべて作り替え、神様に新たな社殿へと移っていただく「式年遷宮」(しきねんせんぐう)という行事が行われます。
 記録によると第1回目の遷宮は7世紀、持統天皇4年(690年)に行われたそうです。
 応仁の乱などの混乱期には120年近く中座していた歴史もあり、ほかにも天災や戦乱、政治的、経済的な事情などで多少の時期のずれはあるものの、基本的に遷宮は連綿と続けられ、平成25年に第62回目の式年遷宮が行われます。
  すでに数年前から準備は始まっており、もし初詣に伊勢神宮に参拝される機会があれば、現在の社殿(正宮)の隣の敷地に、2年後に引っ越しするための建築の 準備が始まっているのを垣間見られると思います。(ただし、板塀で囲われているので、建築現場の中を見ることはできませんが。)

 昔は東海道中膝栗毛でもおなじみのように伊勢参宮は全国の庶民にかなり浸透していましたし、明治以降は国家神道となり、学校で伊勢神宮の歴史を教え、修学旅行にも伊勢参宮はポピュラーでしたから、「遷宮」についても多くの国民の共通認識があったと思われます。

 しかし、戦後教育世代が国民の多数を占めると、遷宮という行事の意義・・・一言でいえば、古いものを昔と同じように保存し続けるのでなく、全く同じもの(コピー)を作ることで後世に伝え続けていく、常若という考え方・・・も理解しにくいものとなっています。

  伊勢神宮も危機感を持ったのでしょう。
「多くの参拝者にとって参宮の入口となり、『神宮式年遷宮』についてより理解を深める拠点として、また、参宮の憩い の場として」(神宮司庁ホームページより)、伊勢神宮外宮(げくう)の敷地内に、資料館である「せんぐう館」を建築することが決定され、このたび建物が完 成したそうです。

 正式なオープンは来年4月7日とのことですが、先日マスコミ向けに内覧会が行われ、初詣客が多い年末年始は先行して休憩スペースを一般開放することになっているそうです。

 
 外観は伊勢神宮の建築様式である唯一神明造を模した大きな切妻屋根で、非常にシンボリックです。
 しかし、あまりに巨大なのと、色が真っ黒いので、わしは出雲大社の巨大な社殿を連想してしまいました。


 せんぐう館が建つのは、外宮の参道左側にある勾玉池(まがたまいけ)のほとりです。
 ここは、以前はどちらかというと参宮客はあまり来ないところで、伊勢市民の憩いの場所という感じでした。特に高齢者が早朝から体操をしたり、池畔をウォーキングしているのをよく見かけました。
 しかし3年前にせんぐう館の工事のため池周辺の散策道は閉鎖されてしまっていました。
 新築されたせんぐう館のガラス張りの渡り廊下越しに勾玉池を臨むことはできましたが、うっそうとしていた池畔の木々はすっかり切り払われ、イメージがすっかり変わっていました。
 展示資料の搬送などはこれからでしょうが、伊勢の新しい観光名所となるか、期待したいと思います。

■式年遷宮(伊勢神宮式年遷宮広報本部ホームページ)
  http://www.sengu.info/index.html

 さて、関連するようなしないような話ですが、かの有名な「御福餅」のパッケージデザインが変わったことが、伊勢市民の間に一種の衝撃をもたらしています。


 ご存じの方も多いでしょうが、御福餅はあんころもちで、伊勢名物として有名な「赤福」と外見はそっくりで、味もほとんど一緒です。
 これは、しょせんはあんころもちなので、過去から名物としてそれぞれがのれんを守ってきたということで納得はできるのですが、問題は包装紙のデザインもほとんど一緒であり、四角い折箱がピンク色の包装紙で包まれ、赤い毛筆体で書かれた文字が「御福餅」か「赤福」かという違いしかパッと見にはわからなかったことです。
 これがなぜ商標上問題にならないのか(実際にはトラブルになっていた時期もあったらしい)は伊勢の七不思議であったと言っても過言ではないのですが、このたび、御福餅は本店がある伊勢市二見町の名勝「夫婦岩」をフューチャーした包装紙に変更したようです。
 機会があれば、二見町にある御福餅本家に行って、反響を確かめてきたいと思います。

■御福餅本家ホームページ http://ofukumochi.com/

2011年12月21日水曜日

鈴鹿商工会議所が創業塾を開催

 鈴鹿商工会議所が、平成24年2月11日(土)・18日(土) の2日間、開業に向けた基礎知識や具体的なノウハウなどを指導する「創業塾」を開催します。

 対象は、これから創業したい、創業・事業ノウハウを知りたい、趣味を活かした事業を立ち上げたい、創業した事業を軌道に乗せたいなどと考えている、主婦、サラリーマン、学生、定年を迎えた方など創業に興味を持っている人から、すでに創業している人まで。
 年齢・性別・職業は問わないとのことです。

 受講料は3,000円で、定員40名。希望する場合は2日間の日程終了後、希望者には3月にフォローアップ相談も行うそうです。

 詳しくは鈴鹿商工会議所のホームページを参照してください。
 http://www.scci.or.jp/

 このホームページにもありますが、現在の社会・経済状況は、少子高齢化による社会変化と消費者ニーズの多様化など大きなトレンド変化の局面にあって、ある意味で非常に難しい時代です。
 しかし同時に、これはビジネスチャンスの大きな可能性も秘めています。
 国内市場は「縮小」していくなどと言われますが、それでも日本は1億人以上の同質的な消費者が生活している、世界的に見ても大変大きく、優良なマーケットです。
 大量生産型の大企業ならともかく、身の丈規模の中小企業にとって、国内市場の規模は無限であるといっても決して間違いではありません。

 日本の閉塞感は、政治や行政では容易に変えることができません。
 変えられるとすれば、それは企業家によるイノベーションと、アントレプレナーシップのほかはありません。
 ぜひこの機会を通じて、多くの方が鈴鹿で、三重で起業していただくことを願います。

2011年12月20日火曜日

世界遺産に関する生活者の意識調査

各種の興味深い世論調査を行っている株式会社サーベイリサーチセンターが、「世界遺産に関する生活者の意識調査」の結果を公表しました。
 今年11月に、全国の10 代~60 代の男女965名を対象に行ったものです。

 結果概要は以下の通りです。

1. 世界遺産について、日本人の関心は高い
・世界遺産について、興味・関心のある人67.8%
・世界遺産についての活動意向として、63.2%が「世界遺産への旅行・観光」
・今年世界遺産に登録された小笠原、平泉の認知率もそれぞれ5 割を超えている。

2. 一方で、意外と知られていない日本国内の世界遺産
・日本の世界遺産16 箇所すべてについて知っていた人は4.0%
・日本の世界遺産で1 番認知度が低いのは「琉球王国のグスク及び関連遺産群」

3. 日本人は旅行を計画するとき世界遺産を考慮する
・ 旅行先を企画する時、世界遺産を考慮する人 53.8%
・ 今年の夏休みで世界遺産を訪れた人 2 割弱 うち「満足した」人 90.6%
・ いつか旅行したい、訪れたい世界遺産 1 位は「屋久島」


 詳しくは、サーベイリサーチセンターのホームページをぜひご覧いただきたいのですが、気になるのは三重県にある唯一の世界遺産である熊野古道伊勢路への関心度です。(正式名称は「紀伊山地の霊場と参詣道」。ユネスコの世界遺産登録は平成16年7月)
 
 同調査によると
○日本国内の世界遺産のうち、あなたが世界遺産として知っていたものをお選びください
 という問いに対して「熊野古道」と回答した割合23.5%(一位は屋久島で70.3%)

○これまでに旅行で訪れたことのある日本の世界遺産
 
という問いに対して「熊野古道」と回答した割合7.7%(一位は古都京都の文化財で45.9%)

いつか旅行したい、訪れたい世界遺産
 という問いに対して「熊野古道」と回答した割合14.3%(一位は屋久島で56.0%)

 などとなっており、残念ながら決していい成績ではありません。

 もっとも、「旅行の行程を考えるとき、世界遺産の場所を訪れる、またそういったオプションに申し込むなど世界遺産自体を意識し、プランに影響を与えることがありますか」という問いに対して、最も多い回答は「ややある(40.2%)」で、「とてもある」を含めると5割強が影響が「ある」と回答していることから、プロモーションのチャンスはまだありそうです。

 観光客の志向はますます「いやし」とか「パワースポット」さらに「作り物、借り物でない本物の伝統や文化、自然」といったものを求めているので、熊野古道はむしろアドバンテージがあるのではないでしょうか。

 注意がいるのは、このアンケート調査がインターネットによって実施されていることです。これは「世界遺産を訪れようと思った時、具体的にはどのような媒体を参考にしてプランを決めていきますか」という問いに対して「インターネット(76.1%)」という回答が最も多いことからもうかがえます。

 ネットによる情報発信は、本や雑誌、テレビなど作り手のプロが介在せず、そのために手軽に誰もがタイムリーに発信できるメリットはあるものの、情報が不正確、生煮え、独りよがりで意味不明、などのデメリットも時として多いものです。
 サイトが乱立していて、トータルに情報発信している信頼のおけるサイトがないとか、見つけにくいというのは地域全体にとってマイナスですが、ネットは総合的な管理者もいませんから、官民が共同してどのようにネット発信をコーディネートしていくかは非常に重要な問題です。

 正直、その意味では、熊野古道伊勢路(つまり三重県側)はやや心もとない気がするというのは言い過ぎでしょうか?

2011年12月19日月曜日

『平清盛』伊勢志摩地域宣伝協議会が設立

 47ニュースによると、来年1月から放映が始まるNHK大河ドラマ「平清盛」に合わせて、平家ゆかりの史跡などが数多くある三重県伊勢志摩地域を全国にPRしようと、大河ドラマ『平清盛』伊勢志摩地域宣伝協議会が設立され、17日に伊勢市内で設立総会があったとのことです。(リンクはこちら

 同協議会は、三重県や伊勢市、伊勢志摩地域の自治体、観光、商工などの15団体で構成され、会長には伊勢市産業観光部長が就任。
 設立総会では、NHKで大河ドラマを担当するチーフプロデューサー 落合将氏の講演会も行われ、多数の市民が聞き入ったとのことです。

 伊勢と平清盛、さらに清盛一党が「伊勢平氏」と呼ばれた武士集団であったことは歴史的事実であり、清盛自身、勅使として3度、伊勢神宮に参拝しています。(その時に冠にかかった枝を払わせたという逸話が伝わる、清盛楠という古木が今でも境内に残ります。→ 2011年11月3日 来年の大河ドラマ「平清盛」と伊勢神宮

 しかし、日本史に詳しい人ならお分かりのように、伊勢平氏という時の「伊勢」とは、現在の三重県伊勢市を指すわけではまったくありません。
 伊勢とは本来、三重県の伊勢湾側、愛知県境の桑名市から四日市市、鈴鹿市、津市、松阪市から伊勢市にかけての地域一帯の地名であり、正確には古代の「伊勢国」のエリアを指したのであって、伊勢市のような狭いエリアの地名ではなかったのです。

 伊勢平氏は、その伊勢国を本拠にしていた平氏の一門であり、現在の津市のあたりにはゆかりの史跡が多数残っています。
 都のあった近畿地方に近く、海運や陸運の便に優れ、気候が温暖で農業生産力が高かった伊勢国は、伊勢平氏が朝廷の実権を握る武力と経済力を蓄えるのを可能にした土地なのでした。

 その意味では、昭和の市町村合併で、宇治山田市と周辺の村が一体となった新市に、三重県の大部分のエリアを指した「伊勢」を勝手に使い、自分たちの専売特許のごとく「伊勢市」と命名したのは ・・・市が歴史的に伊勢神宮とゆかりが深いことを考慮しても・・・ ある種のやり過ぎだった気がしないでもありません。

 さて、この大河ドラマ『平清盛』伊勢志摩地域宣伝協議会には伊勢市南部にある南伊勢町も加入しているようですが、ここは、平氏が没落した後に落人となって生き延び、流れてきた人々が移り住んだとされる土地が多く残ります。
 ニューカマーだった彼らには漁業権がなく、海のそばに住みながら魚を獲ることはできませんでした。そのかわり、森の木を切って炭焼きをしたり、製塩を行って生活したそうです。南伊勢町の西部の地図を見ると「竈」(かま)という字が付く地名が多いことに気づきますが、これらが平家の子孫による地域だそうです。(くわしくは南伊勢町のホームページを)

 このような興味深い歴史も、全国の皆さんに知ってもらえればと思います。協議会の活躍に期待です。

来年の大河ドラマ「平清盛」と伊勢神宮(2011年11月3日)

2011年12月18日日曜日

和歌山・太地町の「くじらの博物館」に行った

いろいろと、いわく因縁のありそうな和歌山県太地町の「くじらの博物館」に行ってきました。
 はんわし、2年ほど三重県南部の尾鷲市に住んでいたので、車で2時間程度の太地町は決して遠くはなかったのですが、今までなかなかご縁がなかったのです。
 日本唯一のくじら専門の博物館として40年以上もの歴史を有し、3階建ての展示施設のほか、海洋水族館、イルカ館があり、さらにはクジラやイルカを飼育している入り江もあって、そこではクジラたちのショーも見ることができます。


 冒頭で、いわく因縁がある、と書いたのは、言うまでもなく環境保護団体を標榜する一部の狂信的な反捕鯨主義者が、この太地町ではさまざまな活動を行っており、実力行使を伴った活動では地元の漁民と大きなトラブルになっているからです。
 実はこの日も町内で、クジラ搬送作業中の現場に無理矢理立ち入ろうとし、警備中の男性の胸を突いたとして、米の反捕鯨団体「シー・シェパード」の支援者である、オランダ国籍のアーウィンマルコピーターアド・フェルミューレン容疑者(42)が暴行容疑で警察に逮捕されるという事件が起こったばかりでした。
 ひょっとして太地町内は騒然としているかとも思ったのですが、まったく静かな、(おそらく)普段通りの平和な漁村という感じでした。観光客もたくさん来ていました。


 ざっくりと印象を書くと、昭和44年の設立ということもあってか、全体的に展示物などが古い感じなのは否めませんでした。小学校の時の「理科室」みたいというべきでしょうか。
 クジラの胎児や内臓器官、生殖器などのホルマリン漬けのビンがおびただしく並んでおり、館内のどこかにマッドサイエンティストでも隠れていそうな気がします。
 展示物の解説も、何と言ったらいいのでしょうか、文章全体が古いというか教え諭す感じで、今はやりのクイズ形式の展示とか、アニメキャラがナビゲートしてくれるといったチャラけた感じは一切ありません。
 卑近な例ですが、伊勢市の「神宮徴古館」に似た感じでしょうか。(多分わからないと思いますが。)

 太地町は江戸時代初期から「刺手組」という大人数の分業による組織的な捕鯨が始まり、以後、明治から戦後までの400年近く、捕鯨の一大拠点として繁栄しました。
 特に興味深いのは江戸時代の捕鯨で、監視役がクジラを発見すると、狼煙や旗でクジラの種類、頭数などを浜に伝達。直ちに10艘以上からなる船団が出航、クジラに近づいて、モリや網で捕獲します。(この手順も分業化されており、組織的に実行されます。)
 クジラの解体や分配などもシステマティックに行われ、正確な記録も残されており、いかに先進的な産業であったかが明らかにされます。

 明治になると、ノルウェーやアメリカなどの技術が取り入れられてさらに大きな産業に発展しますが、その後の諸事情により、南氷洋など遠洋での商業捕鯨はなくなってしまいます。

 これらの歴史を勉強してからクジラショーを見ると、感慨もひとしおです。エネルギー革命によって炭鉱から温泉レジャー施設に生まれ変わったのがスパリゾートハワイアンズ(常磐ハワイアンセンター)ですが、太地町も捕鯨衰退後、ひょっとしたそのような転換を図ったのではないか、などと想像を巡らせるのでした。


 捕鯨の是非についてはもちろん軽々に論じられないのですが、残念に思ったのは、せっかく捕鯨の聖地としてクジラを地域振興に活用し、このような立派な博物館まであるのに、その情報発信が不十分ではないかということです。
 くじらの博物館が、どれほど学術的な活動をしているのかはよく知りません。しかし研究紀要とか、日本における捕鯨の歴史やクジラへの感情(愛着)についても、ホームページを使って英語や動画で発信すれば、少なくとも反捕鯨団体が世界中に一方的に流している「日本=悪者」のイメージはだいぶ払拭されるのではないでしょうか。

 よくも悪くも、日本人は外国からの誹謗中傷に対して「紳士的な」「大人の」対応をするので、むきになって反論しないのは自分の非を認めているからだ、という先方の論法に乗ってしまっているような気がします。

■太地町立くじらの博物館ホームページ http://www.kujirakan.jp/index.html

2011年12月15日木曜日

大倒産時代の到来か

今週の週刊ダイヤモンドは 他人に迷惑をかけない「廃業」のススメという、いささかショッキングな内容の特集です。
 多くが戦後間もなくから高度経済成長前期に創業された中小企業は、創業経営者が70歳代後半となり世代交代の波に見舞われています。後継者があるところは良いものの、利益と同時にリスクも自らが背負わなければならない企業経営者や個人事業主は、先行きが見えない今、後継者の確保が非常に困難になっています。
 また、中小企業の金融機関からの借入金の返済猶予を認めるしてもらうという「中小企業金融円滑化法」が来年3月末に期限切れを迎えることから、大きな業況改善が望めない多数の企業において、深刻なハレーションが広がる可能性も高まっています。

 ダイヤモンドの記事は、
 本業が儲かっていないにもかかわらず無理に続けて倒産すれば、結局は周囲に迷惑をかけてしまいかねない。今こそ、「廃業」を選択し、他人に迷惑をかけずに会社をたたむ決断をするときかもしれない。
 と問題提起します。
 非常にシリアスな問題ですが、総合的に考えてこのような厳しい決断を下さざるを得ない局面はきっと出てくることでしょう。同じ記事の中で、実際に廃業を決断したビジネスホテル経営者の事例や、ゲームソフト開発会社経営者の事例が紹介されていますが、問題が問題だけに、何から取り掛かったらいいのか、だれに相談したらいいのか、ということがまずもっての課題です。

 このような時こそ、商工会議所商工会といった身近な支援機関が活用できると思います。
 残念ながら、ネットで検索しても整理された情報を見つけることが困難でした。なかなか気軽に相談できる内容ではないからこそ、ケーススタディとして廃業した人のインタビューや、どのようなことがポイントになるのか、税理士や弁護士、司法書士などの専門家に依頼する場合、どれくらいの費用が必要か、といった初歩的な知識を公開するホームページなどが必要ではないでしょうか。

2011年12月14日水曜日

中小企業庁が経営支援強化の新法を検討

****商工関係者以外は無視してください****

 本日の官庁速報時事通信社)が、経営支援強化で新法検討=金融機関の関与制度など構築へ―中小企業庁 という記事を掲載しています。

 経済産業省(中小企業庁)では近年、地域資源活用促進法や農商工等連携促進法、企業立地促進法などといった、地域経済活性化のための法律を制定してきました。
 これ自体は狙いはよくわかるのですが、農産物などの地域資源活用や、企業誘致の促進などに対象が限定されていることから、制定された当時は「小泉改革により広がった地域格差に対してのゴメンナサイ法律だ」などと関係者の間では評されていました。

 もちろん、小泉改革が地域格差を広げた事実はありませんが、失われた20年と呼ばれる景気低迷と同時に、人口の減少、高齢化、身近な商店の廃業の続出、小学校の閉校などといった、地域活力の低下の「見える化」が進んでいた地方(都市部に対しての)では、危機感がたいへん深刻であったことは確かです。

 これらの法制定後も、結局、抜本的に景況は回復せず、建設業、製造業、小売業、サービス業など地域の雇用と経済を支えている中小企業~むしろ小規模事業者というほうが正しい~は多くが事業縮小の瀬戸際に追い込まれています。
 新分野への進出や新市場の開拓にチャレンジできるのは、経営資源に余裕があり自社の強みがある、そして何より「意欲」がものすごく高い一部の企業に過ぎません。
 生業と呼ぶべき大多数の小規模事業者は先行きが見えない中、経営維持のための運転資金の確保とか、事業承継・廃業などといった課題に直面している現実があります。

 時事通信社によると、中小企業経営支援強化法案の内容は
・金融機関による融資先への関与を促す制度の構築
・自治体の外郭団体などを通じた産学連携を拡大
 の2つが主なものだそうです。

 金融機関による経営への関与は、融資先企業と緊密な関係を築き、単なる事業資金の融資にとどまらない、企業が計画する新事業の支援や、業績が不調な企業の再生アドバイスをしたりするもので、それこそ小泉改革のころに、「リレーションシップバンキング」と言われた手法です。
 平成15年ごろにはある種のブームになったリレバンですが、地域によって金融機関の積極性に大きなばらつきがあり、順調なのが一部の金融機関にとどまっていることが課題だと言われていました。そこで、新法によって再度、本格的な普及を促すことのようです。

 産学連携の拡大は、自治体の外郭団体(例として三重県産業支援センターのような)を基盤にして、地元の大学が開発した新技術をきめ細かく把握し、地域の企業に提供する仕組みづくりを目指すというもの。
 実際には、製造業を中心に技術的な産学連携は一定進んでいるのが現状ですが、幅広い中小企業にとって重要なのは、財務や会計に関する知識であることから、これらを大学のノウハウを使って支援することを考えているようです。

 中小企業庁による中小企業全般をカバーする支援法は、中小企業新事業活動促進法以来であり、非常に時宜を得たものと思います。

 また、はんわしが興味深かったのは、官庁速報にあった以下の文章です。

 中企庁のこれまでの施策は、地域の商工会などを通じて支援するケースが多かった。同庁は、(略)中小企業をてこ入れするためには、信用情報を把握する金融機関や、自治体の関連団体も活用して多角的に支援することが必要だと判断。

 これはつまり、商工会議所、商工会は力不足ってことでしょうか? どうなのでしょうか?

2011年12月13日火曜日

雨のハイウエイ

 三重県は田舎なので、都会と違って日常生活に自動車は不可欠です。一家に一台、二台ではなく、成年一人一台に近い保有率なので、おのずと事故も多く、車で通勤している時は最低でも一週間に一回は大なり小なり交通事故を見ていたと思います。

 つい先日も皆既月食を見に行った幼い兄弟が飲酒運転の車に轢殺される事故が起こりました。痛ましすぎる出来事です。
 しかし、現実として、このように亡くなる方々が毎日何人もいる。飲酒して車に乗るやつもおそらく何百人もいる。人間の業の深さを思い知らされます。

 そんな時、決まって思い出す、わしの心に刻まれた曲があります。
 アメリカのロック歌手、ブルース・スプリングスティーンの「雨のハイウェイ」(Wreck on the Highway)という曲です。

 スプリングスティーンは主に白人の若いブルーカラー層に共感され支持される歌手として、70年代後半にスターダムに上り、今でも第一線で活躍を続けています。
 この曲は、1980年に発表されたアルバム(二枚組LP)「ザ・リバー」の最後を飾る曲で、小品ながら心に残る佳曲です。

 

 はんわしの英語力ではスプリングスティーンの歌詞はほとんど聞き取れないので、Loveの洋楽歌詞検索も参照して大意を書くと

 週末、俺は土砂降りの中、車を走らせていた。
 家路は田舎の、どこまでも続く道。
 そこで車がぶつかってめちゃめちゃになっているのが見えた。

 雨は冷たく降り続く。
 道路には血と砕けたガラスが散らばっている。
 運転していた若い男が道路に倒れていた。
 振り絞る声が聞こえた。「助けてください、お願いです」と。

 救急車が彼を運んで行きました。
 さて、その後どうなったか。ここからスプリングスティーンの研ぎ澄まされた感性がにじみ出るのですが、わしが訳してもベタなので、原文を見てください。

An ambulance finally came and took him to Riverside
I watched as they drove him away
And I thought of a girlfriend or a young wife
And a state trooper knocking in the middle of the night
To say your baby died in a wreck on the highway

Sometimes I sit up in the darkness
And I watch my baby as she sleeps
Then I climb in bed and I hold her tight
I just lay there awake in the middle of the night
Thinking 'bout the wreck on the highway

 というわけで、交通事故には気を付けましょう。
 あなたが愛する人のためにも。

2011年12月12日月曜日

あなたが始めた会社は子供のようなものである

たびたびこのブログで引用しているGIGAZINEですが、「起業家のためのメディア対策指南書」という記事が興味深かったので紹介したいと思います。

 アメリカ・フィラデルフィアの Sean Blanda さんという方のブログを翻訳したものです。原題は Confessions of a tech journalist:my advice to startups pitching the media というものなので、どちらかというと技術系(製造や開発など)のベンチャー起業家を想定した、マスコミ記者からの取材の対応の仕方についてのアドバイスのようです。
 しかし、もちろん、小売りやサービスなどの起業家にも十分に応用できるものです。

 GIGAZINEへのリンクはこちら

 アドバイスは14種類あります。詳しくは記事をお読みいただきたいのですが、

2:あなたが始めた会社は子どものようなものである

3:ビジネスに関する説明はシンプルに

10:「自分たちの簡潔な説明」を練習しておく

11:ジャーナリストは味方

 などのような項目は、起業家に対して新聞記者が取材している現場に何度も立ち会ったことがあるはんわしも大いに共感できる内容です。

 当然ですが、ほとんどの記者は特定の技術分野の専門家ではないし、特定の業種に詳しいわけでもないので、起業家がとうとうと自社技術の素晴らしさや優位性を語っても、聞いている方はチンプンカンプンなことが多いものです。
 その結果、記者が生煮えのまま記事にしてしまって、起業家が思っていたことと違う捉え方で記事を書かれたり、ひどい場合は誤解されたまま書かれたり、というようなことも起こりかねないので、簡潔に、明快に、商品やサービスの説明ができることは大事です。

 また、Sean Blandaさんのアドバイスのうち特に共感できたのは、最後の項目です。

14:以下の質問には答えを用意しておいて下さい
・あなたの製品・サービスがどのようなものか教えてください。
・共同創業者とはどのように出会いましたか。彼らは何者で、何をしていますか。みなさんはおいくつなのですか?
・会社の所在地はどこですか。なぜそこを選んだのですか?
・解決しようとしている問題は何ですか。どうしてこの問題が出てきたのですか?
・どのくらいの利用者がいますか?
・ターゲットとしている顧客は誰ですか?今のところ顧客の反応はどうですか?
・今後6ヶ月の予定は何ですか。どのように成長していく予定ですか?
・競合企業と比べてどのような点が異なりますか?
・どうやって資金を調達しましたか。それを何に使いますか?
・なぜ投資会社/投資家を選んだのですか?
・あなたの製品・サービスの最も優れた機能は何ですか?
・業界の傾向についてどうお考えですか?
・私の質問したこと以外で、他に何か伝えたいことはありますか。

 これらの質問は、これから融資を受けようとするときの金融機関とか、補助金や支援を受けようとするときの商工会議所や行政機関などからも必ず聞かれる質問です。
 残念ながら、これらに即答できない、あるいは適当な答えしかできない起業家が、実は少なくないのです。

2011年12月11日日曜日

消費税25%でも幸福か?

 もはや衆目の一致するところ財政破綻は時間の問題であり、増税は不可避だと思われるわが祖国日本ですが、昨日発表された税制改正大綱でも、消費税を始めとした税制の抜本改革は先送りされたようです。
 
 わしも老親を抱える身であり、国による福祉の恩恵はありがたく感じていますが、そのツケを子供たちに付け回す今のやり方にも不安は募るばかりです。おそらく良識ある国民のほとんどは、そのようなぼんやりした不安を持っていることかと思います。

 そこで興味を引いたのが、この 消費税25%で世界一幸せな国デンマークの暮らし という本(角川SSC新書)です。

 著者のケンジ・ステファン・スズキさんは、岩手県ご出身で、今から40年ほど前にデンマークに渡り、国籍を取得。現地女性と結婚して家庭を持ち、今は風力発電の会社を経営している方。
 つまり日系デンマーク人であり、その立場から平均的な日本人のものの見方を通じて、高負担高福祉といわれるデンマークの生活がどんなものかをくわしく紹介している内容です。

 まず驚くのは、デンマークでは、医療費と教育費は一切無料。そして、育児支援や障がい者支援がたいへんに手厚いということです。
 詳しくは本書をお読みいただきたいのですが、著者スズキさんのお孫さんが難病を患い、おそらく億円単位の費用が掛かるであろう先端治療を受けながら、本当にまったく患者負担が無料であったというエピソードは、デンマークという国の奥深さを思い知らせてくれます。

 しかし、マイナス面というか、国民にとって負担となる部分もきちんと丁寧に説明しています。
 わかりやすいのは、国民の所得から税金や社会保障の負担金がどれだけ引かれるかという、いわゆる「国民負担率」の異常ともいえる高さです。
 実に71.7%(!) つまり、所得の7割以上が徴収されることになります。
 ちなみに日本は39.5%ですから、日本に比べると、ものすごい高率です。

 本のタイトルにあるように、消費税率も25%です。コンビニのサンドイッチが日本円換算で約600円。自動車は小型車でも400万円だそうで、食品などは日本よりはるかに安価なようですが、ちょっと想像がつかない消費生活みたいです。
 もちろん、これは政府を通じて医療や教育、福祉などによって再分配されるわけですから、国民の不利になるわけでは決してありません。
 しかし、不公平が生じないように、国民は個人番号登録制度という総背番号制で管理されており、所得や職歴、学歴、家族構成などが政府に完全に管理されています。 

 また、学費はなく、大学入試もありませんが、デンマークでは仕事に就くためには必ず資格が必要で、給料は、どんな会社に勤めていようとも労働者の持っている資格で額が決定する仕組みのため、より高い給料を得るために転職しようとすれば、その都度、大学や職業学校に入学して必要な資格を取得し直さなくてはいけません。
 デンマークの学校は完全な実力主義(=学力主義)なので、勉強しない学生はどんどん脱落し退学を余儀なくされます。卒業するためには学生期間のほぼすべての時間を勉強に費やさなくてはならないのです。この厳しさも日本の学校とは全く違っています。

 その結果、各種の調査による「国民の幸福度ランキング」でほとんど1位、もしくは1位に近い上位にランキングされる国となっていますが、それと同時に離婚や、孤独による自殺も非常に多いという複雑な社会になっているのがデンマークだそうです。

 もちろん、デンマークは人口553万人(兵庫県とほぼ同じ)、面積は4.3万平方キロ(九州とほぼ同じ)という小国であり、しかも高負担高福祉の歴史は100年以上もあって成熟しており、日本でそっくりそのまま真似ができないものであるのは当然です。

 しかし、日本でも家族やコミュニティの弱体化、国民の高齢化、少子化は急速に進んでおり、デンマークを参考にしながら社会の仕組みを再構築していかなくてはならないことは間違いありません。

 一つ言えることは、従来の日本の得意技であったキャッチアップがもはやできない先の見えない時代だからこそ、これから新しい時代を切り開いてゆく若手人材の育成、そしてその手段としての教育が非常に重要だということです。
 高等教育機関としての役割を果たしていない日本の大学の問題は過去からいろいろ指摘されてきましたが、一向に改まる気配がありません。
 まずは、日本の大学教育を改革し、真の高度専門知識を持つ起業家や職業人の育成機関に生まれ変わらせることから始めるべきなのではないでしょうか?

2011年12月10日土曜日

なぜ消費者は円高のメリットを感じにくいのか

先月、消費者庁が「円高メリットに関する消費者緊急意識調査結果報告書」を公表しました。
 急激な円高がまるで日本経済の足かせのように喧伝されていますが、一般的に考えて自国の通貨が高くなるのは良いことであり、それによってデメリットもある一方、メリットもたくさんあるはずです。
 消費者にとっては、輸入品の価格が安くなり、食料品や衣料など日常生活に不可欠な商品が購入しやすくなることが考えられます。
 また、エネルギーをほぼ全量輸入に頼っている日本では、電気やガス、石油の価格も調達しやすくなり、国内価格も安くなることが期待できます。
 では、実際に消費者は今回の一連の円高をどうとらえているのでしょうか?

 この緊急意識調査は多くの項目にわたっていますが、ポイントは以下のようになります。
1 円高のメリット
 円高によるメリットを消費者の約80%が期待している一方、実際にメリットを感じたとする回答は約40%であった。
 円高メリットを感じたことがある商品・サービスは、食料品(58.4%)や海外旅行・出張(46.3%)、衣服等(20.8%)等となっている。
 世代別では各世代とも同じような傾向が示されているが、男女別では女性が「海外旅行・出張」、「海外著名ブランド品」をより多く選択し、男性が「ガソリン、灯油」をより多く選択する傾向が見られた。

2 円高メリットを感じられない理由
 円高メリットを感じない理由は、既存商品等の価格低下が実感できないこと(68.7%)、円高に対応した新商品の供給がないこと(44.1%)等が挙げられている。
 男女別では、これらの項目の選択割合に大きな差異は見られないものの、年代別では高齢層において「既に所有する外貨資産の価値が減少する」とする回答が比較的多く見られたのが特徴的。

3 前回調査との比較
 平成7年度の「円高差益関連商品の円高メリット浸透状況等に関する物価モニター意識調査」において、「輸入品の購入などを通じて円高メリットを感じているか」と設問したところ、円高メリットを感じている、とした回答は約70%であった。
 単純な比較は困難であるが、我が国のみならず世界の経済情勢や円高の程度等の違いを反映してか、今回、円高メリットを感じているとした回答は、上記調査においてよりも少ない。

4 購買行動の変化
 円高により購買行動を変化させた消費者の割合は、これまでのところ、約15%とそれほど高くない。しかし、今後、円高により購買行動を変えようと思うとする動きも見られる(約21%)。
 消費者への円高メリット還元方法やその周知の一層の工夫によっては、具体的に、消費者の購買行動の変化につながることも考えられる。

 以上のことから、消費者庁では「円高メリットを感じない理由として、円高に対応した新商品の供給がないことが挙げられている一方、今後購買行動を変えようとする消費者の割合も相当程度あることが示されている。従って、消費者への新商品の供給などの円高メリット還元方法やその周知の一層の工夫によって、消費者の購買行動を変えようとする動きに添うことができる可能性もあると考えられる。」と結論付けています。(消費者庁ホームページはこちら

 確かに生活実感としては、スーパーなどでかつてよくやっていた「円高差益還元セール」みたいなものを最近は見かけなくなった気がします。
 これは景気の先行きが見えにくく消費者の購買意欲が減退しているせいもあるのでしょうが、同時に、現在は原油や金属などが歴史的ともいえる原料高となっており、せっかくの円高が原材料の値上げで相殺されてしまっているせいもあると思います。
 逆に言えば、かりにこれほど円が高くなければ、電気やガスはもっと大幅に値上げせざるを得ない状況になっていたはずで、これから厳冬期を迎えるにあたって社会問題になっていたことでしょう。

 同じように相対的な問題として、世界のおもな国々の中で日本は唯一デフレである(=物価が上昇していない)せいもあるかと思います。

 [世] 消費者物価指数の推移(1980~2011年)の比較(日本、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、インド、中国、南アフリカ)

 世界経済のネタ帳(http://ecodb.net/)のデータを利用して作った表で見ても明らかなように、いわゆる主要各国はこの30年間で消費者物価指数が上昇トレンドなのに対し、日本はほぼ横ばいです。
 この長期間にわたる物価の低下が円高メリットを相殺している(見えにくくしている)要素があるでしょうし、商業者としてもこれ以上の値下げができない足かせになっていると考えられます。
 
 しかし、繰り返しますが円高は一方的な悪ではありません。実感はしにくいものの、エネルギー価格の上昇は抑えられているわけですから、消費者庁も言うように新商品の供給など消費者の購買意欲を新たに増すビジネスを、企業には期待したいと思います。

2011年12月8日木曜日

津駅前で赤紙をもらった

おそらく左翼政党の関係者の方だと思いますが、津駅前で、旧帝国陸軍の臨時召集令状(通称、赤紙と呼ばれるもの)のレプリカを配布していました。
 今日は昭和16年、アメリカ、イギリスに宣戦布告して太平洋戦争が始まった日です。

 このレプリカが史料的にどれだけ正確で、価値があるものかはわかりません。(小さな字で 91.7.1 津市三重町 関口精一© とあるので、この方が復刻したものでしょうか。)
 
 内容は、一志郡久居町にあった歩兵33連隊への招集です。33連隊は、現在の陸上自衛隊久居駐屯地にいる第33普通科連隊の前身にあたる部隊です。
 「臨時召集令状」という名前の通り、戦争が激しくなり前線の兵士が不足した場合に、今は軍役を離れた兵士を再びかき集める目的で緊急に発行されたのが赤紙です。
 満20歳で通常の兵役検査を受け、いったんは軍役について除隊した後、または、健康上の理由などで軍役を免除されていた人々が、この赤紙を受領したときの驚きは想像に難くありません。
 多くの場合はすでに社会人としてそれなりの地位を得たり、または家庭を持っていたはずだからです。


 当時、兵役に就くことは男子にとって栄誉なことであり、また法律上も国民の義務でしたから否も応もありません。仕事も家族もうっちゃって、定められた日時に出頭するしかありませんでした。赤紙の場合、出頭期限は令状が来てからわずか2~3日後ということもあったようです。
 よく読むと「左記日時、到着地に参着し、この令状を以て当該招集事務所に届出づべし」と命令口調です。今では考えられないことです。


 裏面にはごちゃごちゃと注意書きがあります。久居までの旅費は部隊が立て替えるとか、本人が不在の時は確実迅速に本人に通報しろとか、病気の時は医師の診断書を提出しろとか。
 このへんの周到さは(しかも読めないような細かい字で書いてあるところは)現在の行政文書に通じているものがあります。

 いずれにしろ大変な時代だったと思います。
 平和な日本に本当に感謝です。

2011年12月6日火曜日

梅農家が作るドレッシング「ウメィドレ」

 三重県御浜町は、熊野灘に面した温暖な気候から「年中みかんのとれる町」を標榜する、柑橘の一大産地ですが、それと同時に梅の産地でもあります。

 その梅農家のひとつに八香苑があります。
 無添加減塩梅干しが地元では有名ですが、秋ごろに「梅農家が作るおいしい梅酢ドレッシング」というキャッチコピーの付いたウメィドレなるドレッシングを購入していたので、そのレビューを書きます。

 梅ドレッシングは、サラダ用のドレッシングの定番商品であり特に目新しさもないのですが、このウメイドレは明らかな特徴があります。

 それは、梅の風味、酸味がどぎつくなく、ほどほどに案配よく効いており、あわせてほのかにゴマ油の香りが感じられることです。
 
 ある種のミスマッチ的な組み合わせなので好き嫌いはあるでしょうが、はんわしの場合、生野菜のサラダ、ジャガイモやブロッコリーなどの温野菜、蒸した鶏肉や白身魚などに合うように感じました。
(ただ、せっかくの特徴なので、レシピが付いているか、ホームページで見られるともっといいと思いました。)

 東紀州の有名土産物店や道の駅(尾鷲お魚いちば おとと や、紀宝町道の駅ウミガメ公園など)で販売しているほか、八香苑のホームページからも購入できます。
 一本280g入りで700円なので決して安くありませんが、無添加、自家製の梅使用などのこだわりを考えれば納得の価格だと思います。

■八香苑ホームページ  http://www.ume-en.com/index.html

2011年12月5日月曜日

コミュニティ・ユース・バンクmomoが融資募集を開始

コミュニティ・ユース・バンクmomoが、12月1日(木) ~来年2月17日(金)の間、融資先の公募を行っています。

 momoは、いわゆるコミュニティバンク、市民バンクといわれるタイプの金融機関(正確には貸金業者)です。


 コミュニティバンクとは何かをごくかいつまんで説明すると、まず、一般市民から貸付けの原資となる資金の出資を受けます。(ちなみにmomoの場合、今年11月現在で、472名の市民や団体から総額4,719万円の出資を受けているそうです。)
 この資金を、地域の課題を解決するコミュニティビジネスなどの事業を行おうとする、志のある経営者に対して、一般の銀行より有利な条件で貸し付けます。もっとも、この時点で貸付け前審査があり、実際にビジネス的な成功の可能性があるか、経営者には経営スキルや責任感があるか、などの厳重な審査を行うことは銀行と同じです。
 審査にパスし、めでたく貸し付けが決まれば、コミュニティビジネスの設備投資や運転資金の円滑化につながり、ひいてはCBの活性化により住民の生活が豊かになるという仕組みです。この一連の流れを、momoは「お金の地産地消」と表現しています。
 
 では、一般の金融機関と何が違うのか。

 銀行や信用金庫といったところはあくまで「ビジネスライク」なので、貸付先のビジネスの収益性が重視されます。また、融資を受けようとする会社(とか経営者個人)がどれだけ担保能力があるかが決定的に重用です。担保となる資産がない会社や連帯保証人がいない経営者にはびた一文貸し出すことはありません。そして、もちろん企業としての金融機関の立場からはこの姿勢は当然でもあります。

 一方で、コミュニティバンクは事業の社会的な価値や持続可能性を重視します。資金はなくても経営者の熱意や理念がスタッフに共有され、顧客の共感を得ているかが大きな要素なのです。
 大きな利益を上げることはできない代わりに、細く長くビジネスが続くことによって確実に資金の回収はできることをビジネスモデルにしているのです。
 出資している市民も大きなリターンを望むというより、コミュニティビジネスへの共感があり、それへの資金的な支援に参画したいということが動機になっているケースが多いようです。

 日本社会のパラダイムが大きく変換しています。モノからサービスへ、モノからモノガタリへと、消費者の価値観は大きく変わっています。
 大量生産型の産業は、生活の糧としては不可欠ではありつづけるものの、それによって日常生活の満足感が得られる人は、他人と同じモノを手に入れて喜ぶ消費者が減り、金銭的な充足によって満足が得られる労働者も減るという二重の意味において、相対的な価値が低下します。

 したがって、これから主流となるのは身近な生活の課題を持続的に解決していくタイプのサービス産業になることは必然です。
 そして、その流れの中で重要な産業インフラがコミュニティバンクなのです。

 コミュニティビジネスを始めたい、始めているけどもっと安定させたい、発展させたいと考えている人は実にたくさんいます。
 12月と来年1月には無料相談会もあるようなので、迷っている方は、ぜひmomoの扉をノックしてみてはどうでしょうか。

■コミュニティ・ユース・バンクmomo   http://www.momobank.net/

2011年12月4日日曜日

ひと雨降って、冬景色

伊勢地方はめったに雪が降らないので、もう雪の便りを聞く北海道や東北地方の人から見たら、いかにも「ぬるい」冬景色かもしれませんが。
 今日久しぶりに伊勢神宮内宮を散歩したら、紅葉も終わりに近づいていました。
 



 五十鈴川の岸辺にはカエデでしょうか、紅葉の木々たちが色づいています。
 春の桜のころには、山の中にポツリポツリと満開の桜の木があって驚くことがありますが、伊勢神宮の紅葉もまさしくそんな感じです。
 暑い盛りの時期は全く一緒のような個性のない木々に見えますが、一本一本種類も違い、木の名前もあり、色づくものもあるのです。
 神道は仏教のような経典がないので、自分が心をオープンにしていないと神様の声を聴くことはできない、というような話を聞いたことがありますが、確かにフラットな精神状態で参道を歩くと、木々が語りかけてくるのが聞こえるかのようです。
 こんな気持ちになったのは久しぶりです。


 もう一か所、伊勢神宮マニアの間では有名な神宮宇治工作所のイチョウ並木も見てきましたが、昨日の時ならぬ嵐のような雨で多くが落葉してしまっていました。
 近くのおはらい町は、もう迎春の準備を始めています。

2011年12月3日土曜日

三重県「地域思いビジネス」発表会

三重県が主催する「地域思いビジネス発表会」が津市で開催されたので行ってきました。

 「地域思いビジネス」とは、地域の課題解決などに取り組む社会性と、事業の自立・継続性確保のための収益性を兼ね備えた、地域のNPOや企業等による、地域を良くしたいという思いに基づいたビジネスを指すそうです。一般的にはコミュニティビジネスとかソーシャルビジネスといわれる事業と同義と考えていいのではないかと思います。
 
 今日は、予選を通過した事業者6者がプレゼンを行いました。

1 特定非営利活動法人 赤目の里山を育てる会 (サイトはこちら
   「木質ペレットの利用促進による小規模分散型エネルギー地産地消の地域づくり」

2 特定非営利活動法人 チャレンジスクール三重 (サイトはこちら
   「不登校生・高校中退者等を対象に学びの再チャレンジの場を提供する、もうひとつの学校」

3 おるすばんハウスひまわり園 (サイトはこちら
   「地域の認可保育園、学童保育が対応しきれていない部分をケアする保育サービスの提供」

4 特定非営利活動法人 愛伝舎 (サイトはこちら
   「定住外国人を工場から介護の場へ、多文化共生を推進する定住外国人向け介護人材育成事業」

5 特定非営利活動法人 伊賀・島ヶ原おかみさんの会 (サイトはこちら
   「おかみさんを中心に地域ぐるみで取り組む地域資源活用・地域課題解決による元気づくり」

6 万協製薬株式会社 (サイトはこちら
   「高校生と製薬会社のコラボによる『特産品を使ったハンドジェル』の開発・製造・販売」

 このうち、1の赤目の里山を育てる会、4の愛伝舎、5の島ヶ原おかみさんの会は、活動キャリアも10年近くにわたっており、コミュニティビジネスとしては県内、いや近畿東海地域でもトップランナーだと思います。発表された取り組みも素晴らしいものでした。

 また、2のチャレンジスクール三重や、3のおるすばんハウスひまわり園も、スタートから年数は浅いものの着実な活動実績を残し、地域に貢献しているコミュニティビジネス事業者でした。

 今日の地域思いビジネス発表会では、会場参加者による投票で、「地域思いビジネス共感大賞」という特別賞を決めることが一つの目玉だったのですが、これは6の万協製薬がめでたく受賞されました。

 万協製薬のビジネスモデルは実にユニークで、同社が立地するのと同じ三重県多気町内にある三重県立相可(おうか)高校とタイアップして、地域の農産物を使った商品を作り、実際に販売も行う「商品開発プロジェクト」です。
 相可高校は「高校生レストラン」がテレビドラマ化された有名な高校ですが、同校の生徒を万協製薬がバックアップして、マーケティング、商品企画、生産、さらに販売までを見据えたプロジェクトによって「まごころ tea ハンドジェル」という商品が生まれたというものです。
(くわしくは万協製薬ホームページにも紹介されています。http://www.bankyo.net/ec/products/detail.php?product_id=4

 開発を通じて生徒たちが実際のビジネスプロセスを学んだり、商品に使う地域資源に関心を持ったりという効果は素晴らしいものがあると思いますが、同社の松浦社長も言うように、これは単なる企業の地域貢献(CSR)としての特産品開発にとどまるのでなく、多気町の将来を担う人材育成という長期的な視点を持って臨んでいることがポイントなのだと思います。
 また、このプロジェクトには多気町役場もコーディネーター役として参画しており、高校生を地元の生産者につないだり、物産展で販売する場を提供するなどの関わりを持っています。
 この、産学官の連携がうまく循環しているのが「まごころ tea ハンドジェル」プロジェクトの強みであり、ビジネスモデルとしての差別化ポイントなのだと感じました。

 終盤からは鈴木英敬知事も会場に来て、事業者のプレゼンに耳を傾けていました。


 ご覧のようにたくさんの参加者で会場はいっぱいでした。おそらく100人以上はいたでしょう。
 しかし残念だったのは、事業者のプレゼンの後に会場との質疑応答の時間もあったのに、(そして司会を務めていた四日市大 岩崎先生も再三会場に質問を振ったにもかかわらず、)参加者からの質問が非常に少なかったことです。まさか寝に来ていた人ばかりではなかったと思うのですが。

 順番は前後しますが、発表会の冒頭の基調講演は、コミュニティ・ユース・バンクmomo 代表理事の木村真樹さんによるコミュニティバンクの紹介でした。momoも創設から数年がたち、活動は大変順調に進んでいるようです。
 この話もたいへん興味深いものでしたが、長くなってしまうのでまたの機会にしたいと思います。

 いずれにしろ、三重県でも次代を担う新しいビジネスであるコミュニティビジネス(地域思いビジネス)がしっかりと根付いていることを実感できた貴重な一日でした。

2011年12月2日金曜日

日本を救う中小企業100

 今週のニューズウイーク日本版の特集は「日本を救う中小企業100」という興味深い内容でした。

 中小企業は日本の全企業数の9割以上、労働者数の7割以上を占めており、企業活動によって生み出される利益の半分も中小企業が稼ぎ出しているものです。

 同誌は、オープンを半年後に控えた東京スカイツリーの、振動制御装置に使われている巨大コイルばねを作ったのが、従業員80人の中小企業である実例を挙げて、中小企業こそ日本経済の前進力の中核であると評します。
 「本誌が厳選し、紹介する100社は、古い成長モデルが立ち行かなくなった後も新しい時代に適応し、日本経済を活気づけるべく進化してきた中小企業ばかり」とあるので、さっそく中身を見てみます。

 日本を救う中小企業のトップバッターに輝くのは、何と、医療法人社団KNI(東京都)です。
 このKNIは、医療サービスを産業と捉え、高い医療技術と日本人ならではのきめ細かい患者ケアをパッケージでアジア諸国に輸出し、医療を成長産業にしようと唱えている北原茂実医師が率いる病院経営グループです。著書を読んでその持論に敬服したはんわしも、以前にこのブログで紹介したことがあります。(病院がトヨタを超える日 2011年2月11日

 2番目に紹介される中小企業はコケ(植物の)を植えた外装パネルを使い建物内の温度を一定に保つ技術を持つ(株)ヴァロール(京都府)。

 3番目は、一般の流通ルートに乗らない規格外の魚をインターネットで売買する水産卸業の(株)旬材(大阪府)。
 と続きます。

 特徴的なのは、取り上げられている企業の業種は、医療、農業、省エネのような分野とか、保育、介護、教育のようなソーシャルビジネス(コミュニティビジネス)が大きなウエイトを占めていることです。
 中小企業と聞いて一般にイメージするような、技術オリエンテッドな(わかりやすく言えば、下請け的な、大量生産の加工技術だけに強みがある)製造業企業は、ほとんど選ばれていません。

 もちろん、製造業もあるのですが、先述のスカイツリーのばねといったオンリーワン技術がある東海バネ工業(株)(愛知県)とか、新幹線の先頭車両のとんがりをハンマー打ちの手作業で成形するという驚異の技術を持つ(株)山下工業所(山口県)のような、ごく限られたメーカーだけです。

 これはある意味で当然です。
 同誌もこう書きます。

 中小企業は少子高齢化や環境・エネルギーといった日本社会が抱える問題を解決に導く新ビジネスを生み出している。(中略)日本が必要としている製造業からサービス産業への構造転換を先取りしているのも中小企業だ。少子高齢化時代の成長産業である医療や保育などの分野では日本ブランドの病院を輸出したり保育園に企業努力を取り入れるなどの試みも生まれている。サービス産業は人手が頼りのため、雇用吸収力も大きい。

 まさしくその通りで、「課題解決」「サービス化」の視点がなければ、21世紀の産業の姿は見えてきません。

 明日一般公開される東京モーターショーの報道などを見ていると、いまだに「自動車産業の復権」とか、「地道な‘ものづくり’が日本経済を再生させる」とかいう議論がありますが、事態は全く逆で、自動車に代表される大量生産型・低コスト勝負型の製造業が中心では日本は生き残れないのです。
 ぜひ本誌をお読みください。

 以下は蛇足。
 取り上げられた100社の所在地を見ると、東京都が最も多く、次いで大阪府、神奈川県と続きますが、47都道府県中、27都道府県の企業しか出てきません。業種的にも建設業とか小売業・卸売業も取り上げられていないので、これについても疑問なしとはしません。
 しかし、「製造品出荷額が全国第9位の工業県」で「日本のトップシェアを持つものづくり企業も数多くある」はずの三重県から一つのエントリーもないことをどう見るべきでしょうか。

 PRが足りない、知名度不足だという八つ当たりもあるでしょうが、これがニューズウイークという世界的雑誌の日本編集部が見た客観的な三重県中小企業の姿なのだとわしは思います。
 もちろん、すばらしい企業が数多くあることは事実ですが、それが三重県という地域の、産業集積としての特別の優位性や層の厚さを示すものではないのです。
 この事実を冷静に見据えることなく、いくら「ものづくり支援」をしても、産業構造が発展途上国型のまま周回遅れになっていくだけです。

2011年12月1日木曜日

なんと「尾鷲」のチラシが朝刊に!

 今朝、いつものように玄関から朝刊(中日新聞)を取り、なにげなく折り込みチラシを見たら、

 まるごとおわせをご案内

 と書かれた、なんだか字ばっかりのチラシが目に飛び込んできました。
 左上の美人は誰だかわかりませんが、両手に鯛を持っている赤いジャンパーのおじさんは、だれあろう尾鷲市長の岩田さんです。

 とうとう、伊勢市の一般家庭の折り込みに尾鷲の情報が入ってくるようになったのです。

 はんわし的にはうれしい。泣きそうです・・・。

 尾鷲は熊野古道が世界遺産に登録されて以来、営々と観光情報の発信や特産品開発などに取り組んでおり、最近は海洋深層水の東海地方~南紀地方で唯一の取水地として関連産業の振興が図られています。(ホームページはこちら

 実際、自然に恵まれた素晴らしい土地です。
 食べ物もうまい。
 
 しかし、伊勢にいる人間から見ても、「尾鷲は遠い」「尾鷲に行くには時間がかかる」というイメージが抜きがたく定着しており、実際はクルマで2時間もかからない、つまり伊勢から長島温泉に行くより近いくらいの距離なのですが、行ったことがない人が案外多い土地でもあります。

 そう感慨に浸りながらチラシをよく見ると、何と「中山商店 花かつお1パック引換券」とか、「お魚いちば おとと ぶりはらすミリン引換券」なんかが付いています。
 よくわからないけど、これは現地に行けば無料で引き換えてくれるという意味(おそらく)なのでしょうから、大盤振る舞いです。
 とうとう尾鷲も観光プロモーションに本気になった、というところなのでしょうか。

 そう思って、今、インターネットで検索してみたら、やはりと言うべきか、このチラシと各施設のホームページとはほとんどリンクしておらず、チラシを見てもっと詳しい情報を得ようと思っても不可能で、電話して聞くほかないということのようです。

時点修正済のもの(というか、まだ許せるもの)
 ■おわせお魚いちば おとと http://e-ototo.jp/
 
明らかにチラシとリンクしていないもの(ネットの方が情報が古い!?)
 ■尾鷲大物産市(尾鷲イタダキ市) http://owase-kb.jp/itadakiichi.html
 
 ■夢古道おわせ http://yumekodo.jp/
 
 繰り返しますが、尾鷲は良いところだし、上記の3つの場所も行って損はないことはわしが絶対保証します。
 しかしそれにしても、なぜチラシとネット、または新聞記事とネット、テレビとネット、が相互にリンクする「メディアミックス」の視点がないのかは本当に不思議でなりません。今どき、テレビで今映っていたスポットをネットで検索するのって、普通じゃありませんか?
 遠隔地から集客しようとするなら、タイムリーな、きめ細かい情報の更新は不可欠ですよ。

2011年11月30日水曜日

1個1800円 ロッテリア松阪牛バーガー

GIGAZINEに 1個1800円もするロッテリア「松阪牛ハンバーグステーキバーガー」試食レビュー なる記事が載っています。

 このハンバーガーは、「ご褒美バーガー」というサブタイトルが冠され、もちろん数量限定。日本を代表する高級グルメ「松阪牛」の、100gというやや大きめのハンバーグが使用されているとのこと。

 松阪牛の本当の値段(原価)はどれくらいなのか、関心を持つ方も多いと思いますが、ちょうど松阪牛の地元である三重県松阪市では、松阪牛のコンテストである第62回松阪肉牛共進会が11月27日に開催されました。(夕刊三重新聞の記事はこちら

 
出場資格は兵庫県産で900日以上地元松阪で肥育した特産松阪牛であり、決勝には予選を勝ち抜いた50頭が出場。体のバランスの良さや毛並みなどが審査された結果、優秀牛には「きくはる号」が選ばれました
 この「きくはる号」は体重680kg。落札価格は2010万円だったとのことです。
 他の牛については平均落札価格は250万円だったとのこと。

 さて、その原価として、ロッテリア松阪牛バーガーは高いのでしょうか? 安いのでしょうか?


■ロッテリア ホームページ http://lotteria.jp/index.html

2011年11月29日火曜日

東京の区と大阪の区の違い(おさらい)

地名に「なになに区」と付くところがあります。東京都練馬区とか、大阪市城東区とか。
 同じ「区」という名前ですが、法律的な意味あいは、実は全く違います。

 大阪市とか名古屋市のような「政令指定都市」にある区は、一つの市があまりに大きいので、行政サービスを効率よく行うために市域を細分化して区を設定した、単なる地域の呼び名にすぎません。
 区役所というのも、市役所の出先機関であって、普通の市(たとえば三重県伊勢市)なら、出張所とか、支所と呼ばれるようなものと位置づけは同じです。
 区長も、市役所の職員が人事異動でやってくる一つのポストに過ぎません。重要な決定は区で行うことはできず、市長や市議会が行うことになります。

 それに比べて、東京都の区は、地方自治法上、「特別区」と呼ばれています。大阪府大阪市鶴見区、とか、神奈川県横浜市港北区、とか、政令指定都市の区には「冠」として市の名前が付きます。(繰り返しますが、これは区が市の出先機関に過ぎないためです。)

 一方、東京の区には市という「冠」がありません。
 戦前はそうではありませんでした。東京府には東京市があって、その中に区があったのです。
 しかし、太平洋戦争中、戦時下の動員や物資の徴収、防空体制の伝達などを効率的に行うために、中二階である東京市は廃止され、東京「都」の下に直接「区」が置かれるようになったのです。

 このため、特別区(東京の区)は政令指定都市の区と違って、区長は選挙で選ばれ、区議会があって、議員も選挙で選ばれます。
 この面では、独立した市(とか、町や村。専門用語では市町村は基礎的自治体といいます。)と同じ権能があります。

 しかし、市町村なら普通にあるはずの、基本的な業務のいくつかを持っていません。
 ここが決定的なポイントです。
 市町村は住民に密着したたくさんの仕事をしていて、数えきれないほどですが、乱暴に大きくまとめると、以下の5つの仕事をやっています。

 その1 小学校や中学校の設置と管理
 その2 消防業務
 その3 上下水道の管理や道路とか公園の管理
 その4 ごみの収集と処理
 その5 介護保険とか国民年金、公衆衛生、福祉
 
 しかし、特別区にはその2、その3の仕事がありません。
 消防は東京消防庁、上下水道は東京都水道局と下水道局がやっている、いわば都の直営になっています。(ごみも収集は区、最終処分は都だったのでは?)

 その意味では、特別区は普通の市町村「未満」の不完全な基礎的自治体ということになります。東京23区というとすごく都会的なイメージがありますが、実は重要な事務は都に依存しているのです。

 これが良いか悪いかは一概に言えません。

 今度大阪市長になる橋下さんが主張している大阪都構想も、大阪府と大阪市の二重行政の解消が目的であり、東京都や特別区が効率的な戦争の遂行という目的で誕生したことを思い起こすと、「効率化」は確かに達成できるからです。
 また、大阪都の各区も住民が選挙で選んだ自前の区長と区議会を持てば、住民の声も反映されやすくなり、同時に住民の責任も自覚されることになります。

2011年11月28日月曜日

大阪維新の会、圧勝

昨日の大阪市長・大阪府知事のダブル選挙は、大阪市長選では大阪維新の会代表(前大阪府知事)橋下徹氏が、現職の平松邦夫氏(63)に23万票以上の差をつけて圧勝。
 知事選では、同じく大阪維新の会幹事長の松井一郎氏(47)が、他の候補者を大差で破って初当選し、大阪維新の会が共に完勝という結果になりました。特に市長選の投票率は1971年以来40年ぶりとなる60.9%という高投票率になったとのことです。
 もっとも、これ自体は、わしの大阪の知人もほとんどが橋本、松井の両名がきっと勝つやろ、と言っていたので大きな驚きはありません。

 お二人には、公約である大阪都構想をぜひ推し進めていただきたいと思います。

 これによって、誰が本当の敵かがあぶりだされてくることでしょう。
 口では地方分権、地方主権を唱えても、本質的な「利権の再分配装置」としての地方自治体のあり方や、国-地方の関係が見直され破壊されようとすれば、右も左も関係なく、それによって利益を得ている勢力が一斉に修羅の群れと化して大反対することは目に見えています。
 歴史の流れの中では、その勢力とて滅び去る時が来るのは自明ですが、それが決定的になるまでには無数の反動や巻き返しが起こるはずです。

 毛沢東の言葉が思い起こされます。

 私が考えるに、個人でも、政党でも、軍隊でも、学校でも、敵によって反対されないのは我々にとって良くないことだ。きっと敵と同じ腐敗に落ち込んでいるのだ。
 もし敵によって反対されたら、良いことだ。敵と一線を画していることの証明だ。
 もし敵がやっきになって反対し、我々のことを、めちゃめちゃだ、一つも正しいところがないと言って攻撃してくるならば、これはもっと良いことだ。敵と一線を画している証明であるばかりでなく、我々の活動が立派な成績を上げている証明でもあるのだ。
                                  ・・・・・毛沢東語録より

2011年11月27日日曜日

尾鷲の集客に「三日に一魚」が使えないものか?

 近ごろ尾鷲に行く機会があまりなく、今年はせっかくの秋の行楽シーズンも、熊野古道を散策することができませんでした。
 
 読者にはまたその話かと思われるでしょうが、尾鷲は大変良いところで、実際には高速道路を使うと意外に短時間で行くことができます。(アクセスは尾鷲観光物産協会ホームページの「アクセス」欄を参照→こちら

 しかし、三重県でも北部・中部の人から見ると、心理的な距離感は相当なものがあります。
 また、観光面でも、熊野古道が世界遺産になって、それが前面に出たキャンペーンが続けられてきたせいもあって、「熊野古道以外に何があるのか?」がよくわからない状況になっています。

 これは大変残念なことで、やはり市民の方や事業者の方にはどんどん情報発信をしていただきたいと願います。(そして、その情報がちゃんと地域外に届くように。)

 前から思っていたのですが、尾鷲には岩田昭人尾鷲市長が頻繁に更新している「三日に一魚」というブログがあります。これをもっと使えないものでしょうか。

 市役所のブログの記事は、一種の公共財なので、「三日に一魚で紹介された魚が食べられる店」とか、「この魚が、あの三日に一魚で取り上げられたなになにです」みたいに、もっと実利的な、商業ベースでの利用ができないかと思うのです。

 「尾鷲にはおいしい魚、珍しい魚がいろいろある(ありそう)」ということは、なんとなく市外の人々にも尾鷲の地域イメージとして形成されていると思います。
 しかし、先日の北川さんの講演にもあったように、問題なのは、それが尾鷲のどこで食べられるのか?、買えるのか?、見られるのか? ということです。

 その際、「市長が自ら書いているブログ」、「魚についてはものすごく博識で、尾鷲のおさかなクン」みたいな三日に一魚のブログと、尾鷲市民や市内の事業者がコラボしている、という仕掛けは、マスコミ向けの話題作りとしてもユニークなものではないでしょうか。

2011年11月26日土曜日

ヤマダ電機LABI名古屋に行ってみた

 昨日開店したばかりのヤマダ電機LABI名古屋に行ってきました。名鉄百貨店のテナントとしての入居であり、名古屋の顔ともいえる「ナナちゃん」もヤマダ電機の黄色いハッピを着せられていました。

 かつて4Mと呼ばれ、松坂屋、丸栄、三越と並んで名古屋を代表するブランド百貨店の一角を占めていた名鉄百貨店ですが、10年前のJR高島屋の出店によって名駅戦争とも称された激しい競争に追い込まれ、その後、伊勢丹との提携によって紳士服売り場の「メンズ館」や若者向けの「ヤング館」などを改装オープン。
 一発逆転を狙いましたが結局業況は改善せず、とうとうヤング館は閉鎖、ヤマダ電機のテナント出店となったのでした。

 都心のターミナル駅にあるデパートに代わって、大型家電量販店が入店するというのは、東京有楽町とか、最近では京都などでも見られる現象で、デパートというビジネスモデルの退潮と、カテゴリーキラーの台頭のわかりやすい例としてよく用いられます。

 しかし、家電量販店とてかつての隆盛は失われつつあるというのが多くの識者の指摘するところです。

 まず薄型テレビの価格暴落、販売不振があります。昨年までのエコポイント特需が終わり、各メーカーは3Dやインターネットテレビなどの新製品を投入しましたが、ブームと呼べるまでには至っていません。

 その他の家電も省エネ化や高機能化は進んでいるものの、決定的なヒット商品はなく、夏以降、各家電量販店の売り上げが低迷していることも大きく報じられました。

 ヤマダ電機LABI名古屋に一歩入ると、ほぼスマートホン専用と化した広大な携帯電話売り場に圧倒されます。今年はソフトバンクによるiPhoneの独占販売が崩れたり、ドコモの冬型モデルのほとんどがスマホだったりと、唯一スマホが気を吐く年だったことを象徴している光景でした。

 それにしても不思議なのは、旧ヤング館の1階から5階、のべ9250㎡にもなるという売り場の(おそらく巨額な)テナント料と、下落傾向が続く家電価格とのバランスで、それでもなお大型店舗を出店し続ける家電業界の収益構造です。
 何でも5年後にはヨドバシカメラも名古屋駅近隣に出店する予定だそうですので、ますます混沌としてくるのですが、このような中で、いったい勝者は誰になるのでしょうか。
 いや、そもそも勝者は生まれるのでしょうか?

2011年11月25日金曜日

「おかげ」というビジネスモデル

 伊勢市内のターミナル駅などに「おかげバス」と書かれたバス停があります。
 多くの観光客は、有名な観光地である「おかげ横丁」に行く直通バスだと勘違いするようなので、わざわざバス停の下に「おかげバスは伊勢市のコミュニティバスです。おかげ横丁の方には行きません」と注意書きしてあるほどです。

 ことほどさように「おかげ」というと「おかげ横丁」を連想してしまうのですが、言うまでもなく「おかげ」という言葉の由来は、伊勢神宮の「おかげ参り」から来ています。

 おかげ参りとは、江戸時代、民衆による伊勢参宮がある年に限って爆発的に発生した現象です。
 文献に残るものは、慶安三年(1650)、宝永二年(1705)、享保三年(1718)、享保八年(1723)、明和八年(1771)、文政十三年(1830)、慶応三年(1867)の7回あり、最後の慶応のおかげ参りは俗に「ええじゃないか」と言われています。
 宝永二年のおかげ参りの例では、4月上旬に京都付近の近畿地方から発生し、1か月間で300万人以上が全国から伊勢神宮に押し寄せたとのことです。(山川出版社 三重県の歴史より)

 主に奉公人の少年たちが主人の制止も聞かず伊勢に向かった(封建制で身分秩序が絶対だった当時、これは「抜け参り」と呼ばれるアナーキーな行動でした)ことがきっかけとなり、その後、大人たちにも抜け参りが広がりだしました。
 十分な旅の準備もせず、一種の熱狂で出かけてしまうことから、道中ではその土地土地の人々より施しを受けながら旅を続けました。
 沿道の人々はおかげ参りの一団に食事や草鞋、さらには金銭まで与えていたそうです。これは参宮という善行に進んで協力することで神威にあやかりたいという善意でもあったでしょうが、一日何千人、何万人もの人々が押し寄せてくるのですから、集団が秩序を乱して暴動にならないようにとの懐柔策だったのが真相ではないかとわしは思います

 しかし、いずれにせよ、現実に何百万人もの人が無一文の着のみ着のままで、人々の情け、おかげによって伊勢参宮をすることができたのです。
 この「施し」の精神、施しという表現が悪ければ、敬神思想にのっとった「相互扶助」の精神は、伊勢の人々の共通の思いとなって地域の精神史が形成されることになりました。

 おかげ横丁もその精神を讃えてネーミングされたものでしょうし、おかげバスもきっとそうだと思います。

 また、ベンチのオーナー(スポンサー)になることで人々に憩いを提供するという「おかげベンチ」というものもあります。
 これは今でいうCSRで、昔でいう「おかげ」だと言うわけです。(リンクはこちら→貫じん堂 おかげベンチ

 今現在、世の中は混沌として、ピンチとチャンスは目まぐるしく入れ替わり、先が見通せない時代です。このような時こそ、過去を振り返り、似たような境遇を祖先たちはどう考え、どう対処したかを見直し、未来への指針とすべきではないでしょうか。

 そう考えながらいろいろ調べると、「おかげ」という相互扶助や社会的責任であったり、江戸という巨大マーケットに進出して流通を一手に握り、流行を仕掛けて消費を喚起した「伊勢商人」とか、全国をくまなく行脚し、伊勢神宮の神徳を説いて信者の「講」を組織させ、集団参拝旅行のエージェントとなった伊勢御師(おんし:伊勢神宮の中~下級神職)、さらには山田羽書とよばれた紙幣の発行など、伊勢には数多くの画期的なビジネスやビジネスモデルがあったことがわかります。
 
 残念ながら、そのような伊勢発(三重発)のアントレプレナーシップが、現代の経営者やビジネスマンに十分に知られているとは言えません。
 伊勢の伊勢たるゆえんは、こうした先駆的な事例が多くあったことです。
 単なる観光地やグルメのPRでなく、未来のために振り返るべき過去の事例として、経済史的な視点からの歴史の振り返りが、他の凡百の観光地と比べての差別化要因にもなるはずです。

お伊勢参りが大ブームらしい(2010年5月9日)

2011年11月24日木曜日

No banheiro há uma linda Deusa!

Kana Uemura - toire no kamisama (deusa do banheiro) tradução



NPO法人 愛伝舎の坂本さんに教えてもらいました。

2011年11月23日水曜日

今日は新嘗祭(勤労感謝の日)

今日、勤労感謝の日の祝日が、昔の新嘗祭(にいなめさい)という神事に由来していることは何かで聞いたことはあったのですが、わしの一生において今日の今日まで、それを強く意識することはありませんでした。

 しかし、今現在、はんわし的に「伊勢の歴史文化」、なかんずく「伊勢神宮の歴史と雑学」がマイブームになっており、何冊か連続で本を読んでいるので、今日まで縁もなく興味もそれほどなかった新嘗祭を見に、伊勢神宮(外宮)へ行ってみることにしました。

 伊勢神宮ホームページによると、新嘗祭とは
  「しんじょうさい」ともいい、新穀を天皇陛下御自ら神々に奉られ、また御自らもお召しあがりになる大儀が宮中で行われるに際して、神宮へは勅使を御差遣 (ごさけん)されて、奉幣の儀が行われます。また、それに先だって神饌を奉り大御饌の儀を行います。引き続き別宮以下諸宮社でもお祭りが行われます。
 というマニアックな解説がされています。

 外宮正宮では朝7時から神事が執り行われているそうなのですが、これには遅れた(寝坊した)ため、外宮の別宮である多賀宮(たかのみや)の様子を見に行くことにしました。
 しかし、こちらもすでに神事は始まっており、外宮の同じ敷地内にある多賀宮の境内は参拝停止になっていて社殿に近づくことはできません。
 数十名の参拝客が足止めされていましたが、珍しい神事に遭遇できたということで、衛視の詰所にある防犯用?のモニターに映る神事の様子を興味深そうにのぞきこんだりしています。


 待つこと10分ほど。神事を終えた神職たちが整然と境内から下ってきました。

 
 砂利石を踏みしめる沓音がザッザッと響き、非常に厳かな空気が流れます。(といいつつ、写真はみなさんしっかり撮っていましたが)

 
 一行は(おそらく)外宮の斎館に戻られ、午後から行われる伊勢神宮内宮での新嘗祭に出仕されるのだと思います。

 外宮は「豊受大神」という神様が祀られているのですが、この神様は内宮の祭神である「天照大神」に日々の食事を提供する役割を担っています。
 それが転じて、農業や漁業、養蚕業など、自然からの恵みをいただく産業の守護神として広く崇敬を集めています。

 現在、日本経済の主役はもはや工業であり、商業やサービス業ですが、農林水産業は神格化し、神様が応援してくれているのに対して、商工業は格下だという実感は(もちろん、商いの神様、匠の神様もいるわけですが)抱かざるを得ません。

 農林水産業こそが日本文化の原点である、という考え方は、人間、食べるもの、着るものがなくては生きていけませんから、もちろん大事にしなくてはいけません。
 しかし、世の中の動きにあわせて、考え方は少しずつ変えていかなくてはいけないのも確かです。
 純粋に大地や海からの新たな恵みを神様に奉納した新嘗祭が、商工業も含めた広い意味の産業全体としての「勤労」への感謝に変わった(=勤労感謝の日が制定された)のは昭和23年からだそうです。
 そうやって徐々に、少しずつ、日本の悠久の歴史は変わっていくのでしょう。

三重県の組織改編

鈴木三重県知事が22日、県議会に対して行財政改革案などを説明し、あわせて来年度から県庁の大幅な組織改正を行う案を示したことが各紙に報じられています。

 組織改正の目玉は2つあり、一つは、危機発生の未然防止と、発生時の迅速・的確な対応のため、全庁を総合的に調整する強い指揮権限を持つ職が必要として、副知事級の「危機管理統括監」というポストを新設すること。
 もう一つは、県庁の現行の八部(はんわし注:部は国にたとえると何々省にあたる。)を、防災対策、戦略企画、総務、健康福祉、環境生活、地域連携、農林水産、雇用経済、県土整備の九部に再編するとおいうものです。

 いろいろ議論はあるでしょうが、何のことはない、野呂、北川、さらに田川県政の昔に先祖返りしたような感じです。20年前は、企画部とか、地域振興部とか、商工労働部というものがありました。そのころに逆戻りすると考えるとわかりやすいのでしょう。
 産業関係でいえば、北川県政の時に、農林水産業と商工業は同じ産業として一体的に振興する必要があるということで、全国で初めて両分野を合体させた「農林水産商工部」を誕生させました。
 その後、林業に関しては産業振興という捉え方より、地球温暖化対策など環境面からの施策推進が有効だということで環境部門と合体して、環境森林部になりました。
 これを解消することになるわけですから、三重県型産業として創生を目指したはずの農(林)水産業×商工業がなぜうまくいかなかったのか、これからどうしていくのかの検証と議論が必要でしょう。
 また、雇用施策(労働施策)もいったん商工業と切り離したものが復活するので、その辺の検証と議論も不可欠だと思います。

 しかし、正直言って気になるのは、高齢化が進み逆ピラミッド化が進む県庁職員の年齢構成において、現在「部長級」職員として扱われている「理事」というポストが廃止されると、部長級の大量の職員の行先はどうなるのかということです。国のキャリア官僚ならいっせい肩たたきされてどこかへ天下りするのでしょうが、県の場合は考えにくい。管理職は給料も削減され、ポストもなくなるのですからお気の毒な話です。

 一方で、現状は、部長、副部長、総括室長(一般で言う部次長に相当)、室長(課長に相当)、副室長(課長補佐に相当)といったようなすっきりしたラインでなく、途中に理事、特命監、副参事といったような中二階のポストが異常にたくさんあり、指揮命令系統が非常にわかりにくい体制になっています。
 このことは県職員の名簿を見ると一目瞭然です。しかし、ポストが複雑なため人材も玉石混交で、実際に、部下であるはずの中二階が上司である部長を面罵叱責したり、多数の職員の見ている前で名前を呼び捨て、公然とアホ呼ばわりするというモラルハザードが一部に蔓延しています。

 日本一若い知事は、自分の父親ほどにもあたる年上の部下たちを使いこなすのは大変なのでしょうが、若い職員のモラルダウンにつながりかねない人事の停滞を一掃し、早急に立て直す必要があるようには感じます。

2011年11月22日火曜日

リニアで名古屋もストロー化する

共立総研が公表した「名阪メガリージョンという選択 ~東海と関西が連携すべき5つの理由~」 というレポートを読みました。
 共立総研は岐阜県に本拠を置く地方銀行でありながら、中部全域を視野に入れた示唆に富むレポートを次々発表しているのですが、今回は「ありゃ?」という感じの、佳作にとどまった印象でした。
 皆様もご一読ください。(リンクはこちら

 リニア新幹線の東京~名古屋間は2027年に全通する予定ですが、仮に東京・名古屋が40分で結ばれるとなると、中部地方の雄である名古屋とて巨大なメガロポリス東京の引力に引き込まれてしまい、いわゆる「ストロー化現象」が起こるであろうという予測はその通りだ思います。

 具体的には
・名古屋から東京へ人が動くことは、買い物やコンサートのような一時的な目的によるものだけにとどまらない。進学や就職を契機としてと東京へ恒常的に人口が吸い上げられる。
・リニアが開業して名古屋が東京の通勤圏になれば、高額所得者を中心に名古屋に住んで東京で働く人が増えるのでストロー現象はそれほど進まないという見方もあるが、リニア通勤するような層は、ビジネスの機会、フェイストゥーフェイスの情報量、コンサートや展覧会のような文化接触のチャンス、子女の教育環境など、どれをとっても東京へ住むことを望むはずであり、リニア開業によって東京に住んで名古屋で働く人がむしろ増える。
 などとあり、非常に説得力を感じます。

 それではどうすればいいのか。
 最も肝心なこの部分が、実はよくわからなくなります。

 要するに、経済のグローバル競争が激化する中、名古屋だ大阪だと狭い日本でいがみ合っていては、世界はおろか東京とも戦えない。なので、「名阪メガリージョン」なる、産業政策や海外企業・外国人観光客の誘致、防災、道路などの広域インフラ整備といった個別の分野ごとに緩やかな連携を図ることを提唱しているのですが。

 これだけでもよくわからないうえに、レポートによると、このメガリージョンとは「道州制が導入されたときに同一の同州を構成するようなものではない」とあり、さらに関西が先行している「広域連合」でもない、とわざわざ説明があるのでイメージが非常にぼんやりしてきます。
 そして、東海と関西が連携すべき理由として、距離が近いこと、経済規模が大きく両方を合わせるとGDPは世界8位になること、など5つが列挙されています。
 新聞などが大きく報じたのは、」5つの理由のうち一つの
・関西にはリチウムイオン電池や太陽電池などの産業が集積しており、東海は自動車産業が集積している。なので、お互いに優位性がある産業同士が結びつきを強めることで国際競争力を高めることができる。
 というものでした。

 しかし、「名阪メガリージョン」には相当無理があるでしょう。
 実はレポート自身も「東海と関西は言語や経済活動などにそれぞれの地域カラーがあり、通勤通学や買い物など日々の行動はもとより、メディアや文化などの違いがあり、完全に一つの地域と見ることはそもそも無理なことは明白である」と告白しています。

 なので、提言は一種のショック療法で、東海、関西とも今までの延長線上で現在の閉塞状況を打ち破ることはできない、ということが言いたいのでしょうが、それにしても産業構造が知識集約型優位に変化していく現在、放送や出版、金融、ICTといった知識集約的な産業はますます東京に一極集中しており、今さら電池とクルマといったレベルの産業が結びついてもそれは弱者連合でしかありません。
 製造業の主戦場は新興国に移っていくのは必然なので、問題は国内で何を作るかではなく、技術を何に応用し、どんなビジネスモデルを作るか、ということなのです。

 レポートが指摘するように、東京と双璧をなしていた関西の零落は、脱工業化の流れの中で、それに代わる金融などのビジネスを発展させられなかったことに原因があります。いかにイノベーションを生み出すかは、技術進歩よりもビジネスモデルそのものの構想力が重要なので、住民が束縛を嫌い自己主張が強いとか、古来からの歴史文化の蓄積がある関西は、その意味では有利だと思います。どちらにしても製造業一本足打法の東海地方はストロー化が避けられないでしょう。

(補足)
 この「名阪メガリージョンという選択 ~東海と関西が連携すべき5つの理由~」の中で一番おもしろいのは、著者が大阪梅田のデパートで出会ったという大阪のオバチャン体験です。(13ページのコラム3「大阪は異国?」)ここだけでも読む価値があるので、ぜひお読みになってください。
 なんだかんだ言って、わしは共立総研が好きです。

2011年11月21日月曜日

はんわし「伊勢うどん」紀行(その3)

 高校は近鉄で電車通学しており、宇治山田駅から乗り降りしていました。
 そのころに比べると駅を使う高校生は少子化の影響でだいぶ減ったような気がします。よくホームの隅っこでタバコを吸っていた伊勢工業高校や鳥羽高校の不良生徒も今では全く姿を見かけません。子供たちは全体におとなしくなり、礼儀正しくなり、健康志向になりました。

 電車やバスを使う観光客もだいぶ減ったように感じます。数年前、伊勢志摩の定期観光バスはとうとう運行が廃止されてしまいましたし、宇治山田駅前にひしめき合っていた小さな(そして小汚い)土産物店や食堂も多くが姿を消し、学習塾やコンビニになっています。

 その中で、わしが高校生の時から全く変わらない数少ない光景が、宇治山田駅すぐ隣にある「味の朝日」です。
 オレンジ色と黄色の毒々しい照明に、とんかつ、とか、ふぐちり、とかがのたくった文字で書かれているファサードは、夜になるといっそう存在感を放ちます。

 と言うか、周りに夜やっている店がほとんどないので、ここ一か所だけが明るいという寒々しい駅頭風景ではあるのですが。

 ここに、うどんを食べに入ってみることにしました。
 ブログで「伊勢うどん紀行」を書いているので、何とか場数をこなさなくてはいけないという強迫観念と、かと言って河崎の「つたや」のような有名店では面白くないという思いもあって、高校生の時からあることは知っていたけど実は入ったことがなかった「味の朝日」に生まれて初めて入ってみることにしたのです。

 店はやはり全体に古い感じでした。しかし席数は多く、看板料理が活魚料理、なかんずくお寿司とかふぐ料理のようで、ふぐ調理師の大きな木製の看板がカウンターに掛けられていました。

 時間のせいもあったとは思いますが、予想通り非常に空いていて、わしのほかには観光客と思われる年配のご夫婦がお寿司を食べていました。

 わしはミッションである「伊勢うどん」(税込420円)を注文しました。
 待つこと約10分。(意外と長い・・・)
 極太の柔らかいうどんと、刻みネギ、そしてたまりしょうゆベースのタレがかかった典型的な伊勢うどんが出てきました。
 タレの量が少ないことが他店と顕著に違っていました(こちらを参照のこと)が、何よりどんぶりがものすごく小さなことに驚きました。記憶がフラッシュバックしたのです。
 子供の時に実家の近くにあったうどん屋も、ラーメンとかそばとか、天ぷらうどんは大きな鉢(どんぶり)に入っているのですが、伊勢うどんだけはご飯茶碗に毛の生えた程度の極小ぶりの鉢に入ってたのを思い出しました。これを思い出したのも何十年ぶりかでした。

 前にも書きましたが、多くの参宮客が押し寄せた歴史を持つ伊勢は、ファストフードともいえる餅が多種多様に発達しており、あらかじめ茹でておいたうどんを温め直し、タレをさっとかけて出せるうどんも名物になっていました。鉢が小さいのも、洗い物や重ね置きがらくだったからではないでしょうか。もともと伊勢ではこのサイズがスタンダードだったものが、讃岐うどんなどの影響を受けてどんぶりが次第に大きくなっていったというのがわしの推理ですが、真偽のほどはどうでしょうか。 

 「味の朝日」の伊勢うどんは、味は普通においしかったです。さらに、いろいろな記憶を呼び覚まされた貴重な体験をしたのでした。今度はカネためて、ふぐでも食いに来ようっと。

■場所はこちらです(ヤフー地図)

2011年11月20日日曜日

せいわの里まめや 北川さんの講演(その2)

(承前) せいわの里まめや 北川さんの講演(その1)

3 現在のまめやの活動
 まめやは農村料理レストラン、食品加工所、農村体験の3つの事業を行っている。
 レストランはバイキングスタイルで一人1000円。地元の米や大豆、旬の野菜を使い、完全手作りで昔ながらの農家料理を提供している。献立はその日の食材によって決めている。

 当初はスタッフ7人でのスタートだったが、現在は総勢35人が交代制で従事。70歳代の人は週3日の出勤。20~30代は朝9時から午後2時まで。若いスタッフが働きやすい環境にするため、子育てや家事に対応しやすい柔軟な勤務形態にしている。

 また、農家の主婦がほとんどのため、田植えの時期(4月26日から5日間)はレストランは「農繁期休業」となる。
 加工品は特産の大豆を使った豆腐、おから、味噌、そして漬物を中心に生産。まめやで使う食材としてのほか地域の学校給食の食材にも卸している。また地元のJAやスーパーにも日配品として卸している。

 農村体験は、豆腐やおからドーナツ作り、味噌作り体験のほか、農村料理教室としてまめやのスタッフを先生に旬の農村料理を作ってもらうコースもある。

 事業は順調にいっている。レストランは土日休日は200人以上、平日も100人以上が来てくれる。豆腐も遠方から買いに来てくれる人がいて要望も多いが、こだわりの生産はこれ以上は拡大できないので、当分はこの規模のまま続けていくつもり。

4 課題と展望
 地元の農家の主婦に働き続けてもらうには、「農村としての働き方」を考えないといけない。農家は農作業があり、地域や親戚との付き合いや地元の行事も大切。まめやだけで働くのではなく、これら家や地域の仕事と両立させる仕組みがいる。レストランの農繁期休業もその一つ。

 今でこそ旧勢和村は素晴らしいところだと思うようになったが、若いころは決してそうではなかった。出身はどこですか、と聞かれて勢和「村」です、と答えるのが恥ずかしかった。町のほうが、都会の方がいいと思っていた。

 しかし、まめやをやっていると多くのお客さんが地元だけでなく、はるばる遠方からも来てくれる。そして「ここは素晴らしいところですね」と言ってくれる。このことは地元の人にとっても発見である。
 今住んでいることは普通の地域だと思っている。米がおいしいのも自然が豊かなのも、いわば当たり前。それが遠くのお客さんに評価してもらえる、褒めてもらえる。
 つまり、遠方からのお客さんにとっても、地元の人々にとってもまめやが「気づきの場」になっている。

 まめやを続けていくには、勢和村にしかない「ここらしさ」を出すこと。ここに来てよかったと思わせる材料をどれだけ多く提供し続けられるかが大事になってくる。地元は総力戦で知恵を出さないといけない。

 一方で、課題もある。
 農業に従事する人は高齢化が進み、70~80歳代が主流。今でこそこのような人たちが庭先で少量多品種の野菜を作っているのでまめやの食材に使えるが、この人たちがいなくなったら野菜の入手が難しくなる。まめやでは産直市場も始めたが、おからをたい肥にして農家に還元し「豆が育てた野菜」と銘打っている。農家の支援も大切。

 また、この世代の人たちにはご先祖から受け継いだ農村の知恵がかろうじて残っている。まめやでは夏の閑散期にごまの白い花をお客さんに見に来てもらおうと、ゴマを栽培する相談をお年寄りたちにした。すると、「ゴマの灰で作ったこんにゃくはうまいぞ」という話を、ぽろっとしてくれる。「なにそれ?」と聞くと、昔はこんにゃくの凝固剤にゴマの枝を燃やした灰を使っていたという。実際にそれでこんにゃくを作ってみると信じられないほどおいしいものができた。
 せっかく知恵があっても、それは生活の一部で特に意識していないので、こちらから聞かないと思い出してくれない。高齢者は「金のタマゴ」である。もっとお年寄りの知恵が使えないかと思っている。

5 意見交換
・行政の役割
 地域活動の主体はあくまで住民。なので行政は待ちの姿勢で、やる気のある住民の取り組みは支援してあげる、というスタンスは仕方がない面もある。しかし、住民は普通の人である。ほかに仕事を持ち、意見集約や書類の作成などは本当に不慣れ。地元のために何かしたいと思っても、何をしていいのかが分からない。行政に期待したいのは、そのような住民を必要な相談相手や協力先につなぐ役割。丁寧に引っ張り上げることをやってほしい。

・役場を辞めたことについて
 自分(北川さん)はまめやオープンのひと月前、50歳の時に役場を辞めた。上司からは自分がプレーヤーになるのでなく、それをしっかり応援することが大事ではないかと説得されたが断った。まめやをオープンさせるために、農業法人の立ち上げ、補助金の申請、開業の準備など仲間と一緒に必死でやってきた。やっとそれが軌道に乗りそうだというとき、自分だけが安泰な公務員にとどまることはできなかった。仲間が嵐の中に飛び出していくのだから、自分も裸になって飛び出すんです、とかなんとか言ったことを覚えている。私もまだ若かったので。

・地域との関わりについて
 まめやをやって自分たちが一番変わったのは、地域という内側に目が向いてくるようになったこと。地域を愛しているという自覚がますます強くなってきた。この地で受け継がれた農村文化を次代に伝えていくことが本当に必要だと痛切に思っている。まめやでは子供たちから「つくし」100gを100円で買い取っている。ただしハカマは取って持ってきて、と言っている。これはこちらの手間が省けることもあるが、つくしのハカマ取りの地味な作業をしている間に、子どもとおじいちゃんおばあちゃんや、家族との会話が生まれることを期待してのもの。

(以上、文責ははんわしにあります。話の順序は一部入れ替えてあります。また、多くの部分は省略せざるを得ませんでした。一緒に津市げんき大学の場で北川さんの話を聞いた方から誤りや不十分な点へのご指摘を頂けると幸甚です。)

■せいわの里 まめや http://www.ma.mctv.ne.jp/~mameya/index.html

2011年11月19日土曜日

せいわの里まめや 北川さんの講演(その1)

 せっかくの土曜日なのに朝から雨。
 その中を、津市大門商店街にあるオーデンビルに行ってきました。
 「津市げんき大学」なる連続セミナーの第一回目として、三重県初の農村レストランとして全国的に有名な、せいわの里まめや の代表者 北川静子さんの講演会があったので参加してきたのです。

 まめやの活動については、公式ホームページや、三重県コミュニティビジネス支援サイトをご参照いただくとして、「本物」の地域産業活性化実践者である北川さんの、たいへん感動的だった講演要旨をメモ代わりにアップしておきます。
(当然ですが、文責ははんわし個人にあります。)


1 まめや発足のいきさつ

 18年前、まめやがある旧勢和村(現多気町)のJAがコメの食味計を導入した。その時、ためしに勢和村の田んぼでとれた米を測ってみたら80くらいの数字が出た。これは有名な魚沼産コシヒカリと同じくらいの値。
 有名なブランド米はさぞおいしいのだろうと思っていたが、実は自分の村でとれた米が負けないくらいおいしいことを初めて知った。地元には、住民でさえ知らない「すごい資源」があるということに気付いた。
 そのころ、自分(北川さん)は住民による特産の大豆を使った味噌作りや、漬物作りなどのボランティアグループ活動にも関わっていた。たいへんおいしい味噌ができるが、10年活動を続けても、仲間はずっと同じで皆が10歳年をとっただけ。このまま新しい仲間が入ってこなければ、いつかは味噌作り、漬物作りも自然消滅してしまうという危機感を抱いた。

 自分は当時旧勢和村役場の職員で、村の特産品PRの仕事をしていた。勢和村には丹生大師やアジサイのような観光資源があり、おいしい米があり、おいしい味噌があった。しかし、一般客から「そのおいしいお米を食べられるところはありますか?」とか「おいしい味噌はどこで買えるのですか?」と聞かれても答えられない。村内には食べられる場所も、売っている店もない。アジサイの名所もお客はただ見て帰っていくだけ。せっかく資源があるのにもったいないなあ・・・という思いが募ってきた。

 それなら、作るところ、食べるところ、売るところを自分たちで作ったらいい、というアイデアが生まれた。
 たまたま丹生大師近くに北川家の田んぼがあった。ここに店ができないかと仲間たちで話し合った。
 もともと旧勢和村は、村長のリーダーシップによって村民のボランティア活動が盛んな風土があった。農村には田畑があり、山があり、川がある。また自給自足の名残の生活の知恵がある。祖先から受け継いできたこれらの地域資源が、50歳代、60歳代の自分たちの世代で途絶えてしまうのではないかとの思いと、それをなんとか次世代の若い人につないでいく活動が必要だということで、本格的な事業活動の主体を作ろうということになった。

2 店の立ち上げまで
 本格的な事業のためにはしっかりとした事業主体を作らなくてはいけない。関わる人も本気であってほしいので、一口5万円で出資を募り、それを資本にして農業法人を作ることにした。結果的に35名の出資者から1050万円の出資が集まった。

 しかしこれではまだ店の建設には不足。そこで、三重県の「デカップリング事業」という補助金に申請することにした。これは地域資源の活用や後継者育成のための民間事業を支援してくれるもので、市町村を通じて申請する仕組みだった。
 それまでも村にはいろいろ支援してもらっていたので、補助金の申請くらいは自分たちでやると見得を切ってしまった。しかしこのため大変な苦労をすることになった。

 何せ、自分たちは田舎の普通のおじちゃん、おばちゃんである。事務仕事や、まして事業計画など作ったこともない。
 補助金の書類には、損益の見通しを書かなくてはならず、そのためには店に一日何人の客が来る見込みか、客単価はいくらか。豆腐を作って売るとしたら、その人件費はいくらか、材料費は、光熱水費は、というように商品一つ一つの原価計算をしていく。何度書き直しても書類はできず、結局、我々のような素人には書類作りなど無理だというムードにもなりかけた。
 藁をもつかむ思いで、三重県産業支援センターに相談に行くと、そこで三重県商工会連合会を紹介され、商工会の指導で書類作りをすることができた。結局、2年後にやっと補助金が交付されることになった。

 しかし、1250万円必要だったのに交付額は1000万円。運転資金はゼロという状態からのスタートを余儀なくされた。そこで、食器は自分たちの家の蔵で眠っているお皿や湯呑を持ち寄ったり、座布団はおばあちゃんたちに縫ってもらったり、豆腐を作る機械は廃業した豆腐屋から無料で譲り受けたりと、とにかく知恵と人のつながりで乗り切り、まめやのオープンにこぎつけることができた。
 地域の人の心をしっかりつかむことが本当に大事だと思い知った。一人の人間には二本の手と二本の足しかない。時間は24時間しかない。しかし、たくさんの仲間が特技や長所や人脈を持ち寄れば、何倍、何十倍の仕事ができる。このことは大きな教訓になった。

(つづく)

須賀利大池を国天然記念物指定に答申

昨日、国の文化審議会文化財分科会において、三重県尾鷲市須賀利町(すがりちょう)の須賀利大池と小池を、新たな国の天然記念物として指定するよう答申があったそうです。


 須賀利は行政区分上は尾鷲市に属していますが、地理的には海を挟んだ対岸にある、いわゆる「飛び地」です。
 長らく交通手段は船しかなく、そのためか昭和の香りが強く残る古き良き漁村の風景が、タイムスリップしたかのようにそのまま残っています。
 数年前に「にほんの里100選」にも選ばれ、この地を訪れる観光客も徐々に増えているようです。
(現在は立派な自動車道が開通しており、尾鷲市から国道42号を分岐し、約30分で行くことができます。)

 msn産経ニュースによると
 須賀利大池(約5万8000平方メートル)と小池(約2300平方メートル)は、約7千~1万年前の縄文時代前半に、入り江が自然にふさがれて湖となった海跡湖で、湖底には過去の大津波による角礫などの堆積物が良好に保存されている。
 大池周辺には、日本最大級のハマナツメ群落や、県絶滅危惧種のアズマツメクサをはじめ、希少な植物が生育。池に水をもたらす背後の山や海岸線が良好に残っているとして、周辺約39万5400平方メートルが指定されることになった。

 とのことです。
 三重県の南部は、熊野灘に面した長いリアス式海岸を有しており、南伊勢町~大紀町にかけても海跡湖がたくさんあるのですが、特に須賀利大池・小池の価値は高いようです。
 実はわしも大池には行ったことはないので、ぜひ近いうちに訪れたいと思います。
 
■尾鷲観光物産協会 http://owase-kb.jp/sugaricho.html

2011年11月18日金曜日

地域思いビジネスとは何か

 平成23年12月3日(土)の13時から、アスト津3階のみえ県民交流センターにおいて「地域思いビジネス発表会が行われます。
 
 「地域思いビジネス」とは聞きなれない言葉ですが、発表会を主宰する三重県のホームページによれば

 地域の課題解決などに取り組む社会性と、事業の自立・継続性確保のための収益性を兼ね備えた、地域のNPOや企業等による、地域を良くしたいという思いに基づいたビジネスの取組

 とのことだそうで、世間一般では、コミュニティビジネスとかソーシャルビジネス(社会的企業)と呼ばれているものとほぼ同義のようです。

 現在の地域経済の状況を「市場規模の縮小」と捉える目線ではなかなか理解できないでしょうが、中小企業のように地域に密着して事業活動を行っている現場では、企業による社会貢献やコミュニティ維持活動への参画の重要性がますます強く認識されるようになっています。

 一つには、社会的な貢献が消費者の好感を得て実際の営利活動にもプラスになること。

 もう一つは、多くの経営者が異口同音に言うように、海外移転など実質的に不可能な大多数の中小企業にとっては、地域社会が持続していくことこそが自社存立の基盤なのであって、自社の事業活動も地域の活性化と両立させていく必要があるとの再認識が広まってきたこともあるでしょう。

 NPOも、その意味では「地域思いビジネス」を担う大きなセクターです。彼らも活動を持続させるために最低限必要となる利益は自らで稼がなくてはいけません。
 社会課題に向き合うことがNPOの使命ですから、これをビジネスとして採算の確保や生産性の向上、商品やサービスの高付加価値化を図っていく必要があります。

 このような社会機運が高まっている中、地域思いビジネス発表会が行われることは大変に意義があることだと思います。

 地域経済を取り巻く環境はトレンド変化とも言うべき大きな変革期にさしかかっています。このトレンド変化に気づき、この場に集う人が、あらゆる指標が「日本の平均」を示す中間県の三重県で、いったいどれくらい集まるのでしょうか。
 地域の実力を量る意味でも(個人的には)めちゃくちゃ興味があります。

■三重県ホームページ 「地域思いビジネス発表会」参加者募集 ~地域のために ビジネスが出来ること 私達が出来ること~
 http://www.pref.mie.lg.jp/TOPICS/2011110133.htm

■ 三重のCB 
 http://hanwashi.blogspot.com/2011/02/blog-post_16.html